私が麗澤大学の牧野晋先生と初めてお会いしたのは、1998年8月に開催された「東京地域アカデミックネットワーク(TRAIN)」のワークショップでのことであった。私は当時、大学としては当時やや珍しかった「学術ネットワークから商用ネットワークへの乗り換え」を行った経験を報告するためにそこに参加したのである。不慣れなワークショップへ参加して戸惑っている私に真っ先に声をかけてくれたのが牧野先生だった。不運なことに当日は、ワークステーションが壊れていてスライドでの発表ができない。仕方なしにプリントアウトした紙を投影して発表した。それを牧野先生に慰めていただいたことは忘れられない。実は、この時の牧野先生との思い出として今でも私はWebページにこの時の資料を残している。
爾来、牧野先生には色々なところで助けていただいた。牧野先生は、生来の人なつっこさとそれでいていかにも頼りになるだけの信頼感を持ち合わせていた方で、やがてTRAINが解散し、残務整理をするためTRIAN協会として組織替えをして私が副委員長をお引き受けした時にも、事務局長をお引き受けくださって、私としては二人で苦労を分かちあったという貴重な思い出がある。
思えば、TRAINのワークショップ以来、苦労した時にはいつも牧野先生が一緒になって苦労してくれたような気がする。牧野先生がいなければ、私の仕事のいくばくかは乗り越えられなかったかもしれないと思うことがよくあった。
それだけに、先生の訃報をお聞きしたときには、到底信じることができなかったし、今でも信じることができないでいる。倒れられるまでお元気だったのに突然死に見舞われることなど誰が想像できるだろう。つい先日も同じようにTRAINでお世話になった平原先生が、同じように突然亡くなられたのに続いて、一体何が起こったのだろう。御二人とも私より10歳近く若いのである。
インターネットに携わる人たちは時として過酷な労働を強いられるが、結局はそうしたことが災いしたのかもしれない、と思うとさらに何とも言えない気持ちになってしまう。
牧野晋氏平成21年2月11日逝去。享年48。こうしていても、思い出すことははかりしれない。