Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日本の高等教育機関における教員と事務職員(7・完)

7 結論:夢を越えて

日米の大学のマネジメントのありかたを比較してみると,それぞれに利点と欠点がある事がわかる.,高度成長時代において,日本的経営の下での企業にもたれて運営されてきた日本の大学は,アマチュアの経営が十分に成立する余地があり,そこからもたらされる自由な研究環境は多くのノーベル賞受賞者を生み出すまでになった.しかし,そのような企業との蜜月時代は終わりを告げ,今日,大学は日本的経営との強い依存関係からの脱却無しには存続し得ない時代に至っている.大学経営もプロフェッショナルによる経営が必要となっている.この点では,財政赤字から大学への支援を打ち切られ,大学が自律的な経営を実現するための努力を続けてきた米国のプロフェッショナルによる大学経営をベンチマークにすることで得られるものは多くある.

一方で,米国の大学の経営も多くの問題を抱えている.ギンズバーグは『大学の没落』[35]という著書において,米国の大学は,かつての教員中心の大学経営が,次第にプロフェッショナルによって経営されるようになり,その結果,教員の発言力が低下し,教育よりも経営が重視される大学となってしまったことを指摘し,その結果,マネジメントのための経費が膨れ上がり,現在の学費高騰を生んでいる,という批判を行っている.

この批判から分かることは,かつての米国の大学も日本の大学とよく似たアマチュアによる経営で成り立っていた時代があり,それがプロフェッショナルによる経営にとって代わられ,今日に至ってマネジメントコストがあまりに大きくなってしまったという歴史があることである.また,その過程の中で,全ての大学においてではないにしても,かつての教員達は,大きな不満を蓄積していったことも読み取れ,かつてマーティン・トロウがユニバーサル型における大学の内部運営について,学内コンセンサスの崩壊を予言していたことを思い出させる.こうした点は,今後日本の大学において,プロフェッショナルによる経営が中心となった時に他山の石とすべき教訓である.

大学経営が成功するためには,組織の構成員が経営の意志を理解できるのに十分なコミュニケーションをどのようにとって行くかが,一番大切な事項である.教職協働では無く,組織的なコミュニケーションこそ,大学経営の成功のために,本当に求められていることなのである.

 (了)

参考文献

[1]大場淳. 「大学職員の開発−専門職化をめぐって」. 広島大学高等教育研究開発センター『高等教育研究業書 (105)』, 2009年.

[2] 文部科学省高等教育局長.「大学設置基準等の一部を改正する省令の公布について(通知)」,28文科高第1248号, 2017年 

[3]マーティン・トロウ(天野郁夫,喜多村和之訳).『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』.東京大学出版会, 1976年

[4] 「機敏に自己革新を,外国人教員を教授会メンバーに」.日本経済新聞, 2013年8月11日付

[5] 有本章.「高等教育の国際比較研究におけるトロウモデルと知識モデルの視点」.広島大学高等教育研究開発センター大学論集. 第 33 集(2002年度), 2003年

[6] Abegglen, J. C. The Japanese factory: Aspects of its social organization. Free Press.1958.

[7] 柴垣和夫「戦後日本資本主義——その再生・発展・衰退——」.鶴田満彦・長島誠一編『マルクス経済学と現代資本主義』.櫻井書店.2015年.

[8]浅野長二. 大学に対する希望. 工業教育, 2.1: 24-28, 1954年

[9]経済産業省. 「産業構造ビジョン 2010」, 2010年

[10] 参議院経済産業委員会調査室.「日本経済の変遷と今後の成長確保策としての支柱」.経済のプリズム, No111, 2013年

[11] 佐藤真人. 「戦後日本の資本蓄積と内部留保」. 關西大學經済論集, 65(3): 251-281, 2015年

[12]文部科学省.「高等教育の将来構想に関する基礎データ」.中央教育審議会大学分科会(第135回)配付資料,資料1-2,2017年

[13] 「私立大112法人が経営難、21法人は破綻恐れ」.読売新聞,2017年12月31日付

[14]日本私立学校振興・共済事業団.「平成29(2017)年度私立大学・短期大学等 入学志願動向 」.2017年

[15] 郡千寿子. 「教員と職員—弘前大学の取り組み」.平成29年度大学質保証フォーラム−学生のための大学をつくる.大学改革支援・学位授与機構.2017年

[16] 戸部良一, et.al. 『失敗の本質: 日本軍の組織論的研究』. 中央公論新社, 1991.

[17] Chandira Punchihewa. “Introduction to e-learning”. Your e-Learning Tutor: Introduction to e-learning.URL: https://knowelearning.wordpress.com/tag/hype-cycle-of-e-learning/, Last access January 8, 2018. 2013

[18] Li Yuan. “MOOCs and Higher Education: What is next? “, Cetis Blogs, URL: http://blogs.cetis.org.uk/cetisli/2013/06/25/moocs-and-higher-education-what-is-next/, Last access January 8, 2018. 2013

[19] Webster University Online “Trends in Online Learning”, http://websteruonline.com/trends-in-online-learning/, Last access January 8, 2018. 2015

[20] Laura Pappamo. “The Year of the MOOC”, The New York Times, Nov. 2, 2012. http://www.nytimes.com/2012/11/04/education/edlife/massive-open-online-courses-are-multiplying-at-a-rapid-pace.html, Last access January 8, 2018. 2012.

[21] Derrick Harris. “Udacity founder: MOOCs can help the economy, even if they can’t replace college”. https://gigaom.com/2014/01/25/sebastian-thrun-moocs-can-help-the-economy-even-if-they-dont-replace-college/, Last access January 8, 2018. 2014.

[22]小野成志.「e-ラーニングTIESの体験」.教員と職員のこれから.https://www.slideshare.net/SeishiONO/from-now-on-faculty-and-administrative-staff,2018年1月8日閲覧,2017年

[23] ALLEN, I. Elaine; SEAMAN, Jeff. “Online Report Card: Tracking Online Education in the United States”. Babson Survey Research Group, 2016.

[24] John Warner. “MOOCs Are "Dead." What's Next? Uh-oh”. Inside Higher Ed. October 11,2017. https://www.insidehighered.com/blogs/just-visiting/moocs-are-dead-whats-next-uh-oh, Last access January 8, 2018. 2017

[25] The White House Office of the Press Secretary, “FACT SHEET on the President’s Plan to Make College More Affordable: A Better Bargain for the Middle Class”. https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2013/08/22/fact-sheet-president-s-plan-make-college-more-affordable-better-bargain-, Last access January 8, 2018. 2013

[26] Steve Kolowich, “Southern New Hampshire U. Designs a New Template for Faculty Jobs.” THE CHRONICLE OF HIGHER EDUCATION, MAY 08,2014. https://www.chronicle.com/article/Southern-New-Hampshire-U/146443, Last access January 8, 2018. 2014

[27] 船守美穂.「Post MOOC 時代の大学教育―オンライン教育を取り入れた教育の質向上の試み」.NPO法人CCC-TIES 報告集 vol.6,TIES シンポジウムオープンエデュケーションに直面する日本の大学 −Post MOOCとCHiLOの可能性−, http://www.cccties.org/wp/wp-content/uploads/2014/11/p20140614_TIESsymposium_v1.0.pdf,2018年1月8日閲覧,2014年.

[28] Martin Weller. “Mapping the open education landscape”, The Ed Techie, November  9, 2017. http://blog.edtechie.net/oep/mapping-the-open-education-landscape/, Last access January 8, 2018. 2017

[29] 榊原康貴.「大学通信教育とオープンエデュケーション」.ViewPoint,Vol14,CTCアカデミックユーザーアソシエーション,2014年

[30] Feldstein, M. “Why Unizin is a Threat to edX”. Re-trieved from e-Literate: http://mfeldstein. com/unizin-threat-edx, Last access January 8, 2018. 2014.

[31] Phil Hill. “Unizin Updates: A change in direction and a likely change in culture”. E-Literate: https://mfeldstein.com/unizin-updates-change-direction-likely-change-culture/, Last access January 8, 2018. 2017

[32] Birnbaum, Robert. Management fads in higher education: Where they come from, what they do, why they fail. Jossey-Bass, 2000.

[33] Alan Key. A powerful idea about ideas. TED2007. https://www.ted.com/talks/alan_kay_shares_a_powerful_idea_about_ideas, Last access January 8, 2018. 2007

[34] 中央教育審議会.「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」.文部科学省.2014年.

      [35] Ginsberg, Benjamin.The fall of the faculty. Oxford University Press, 2011.

日本の高等教育機関における教員と事務職員(6)

6 教員と事務職員の夢から現実への道

ここまで見てきたことをまとめれば,日本の大学は,新卒一括採用と自前主義により運営されてきた.これは日本的経営を採用する企業にもたれてこそ実現できた運営方法であった.これからの日本の大学は,同じような運営を維持することはできない.日本的経営が限界を迎えている一方で,超高齢化社会は目の前に迫っており,18歳人口は減少の一途を辿っている.日本の大学は今後どこに活路を見いだすべきかについて考える時期に来ている.

日本の大学が第一に達成すべき課題は,既に見てきたよう企業の新卒一括採用方式に依存した仕組みからの自立である.将来を見据えた場合,企業はいつまでも新卒一括採用方式を維持することはできない.このために.日本の大学としてできることは,学生の卒業後の進路について適切なポートフォリオを持つことである.現状の新卒一括採用方式は否定できないが,多様な進路が用意されているべきである.その具体的な手段をグローバル化の中に見いだすことができる.世界の企業や大学院進学などへのステップは,今後の大学経営にとって見通しておかなければならない.

第二の課題は,多様な入学者の確保である.卒業後の進路の多様化を前提にすれば,日本の18歳人口の変動に一喜一憂する必要は無い.多様な卒業後の進路を前提に,多様な入学者を確保することになる.すなわち,世界各国からの入学者を確保し超高齢化社会での生涯学習の機会を生み出すことである.

この二つの課題は,日本のどの大学にとっても十分に理解されている課題であるにも関わらず,多くの日本の大学はこの課題の解決の達成に時間を要している.しかし,それ故に,ここには,競争を勝ち抜くための多くのチャンスが眠っている.そのチャンスを掘り起こすのが,大学の構成員であり,従来の区別で言えば教員と事務職員である.

そのためになすべきことは,ここまで検討してきた大学の構成員の状況を踏まえれば,(1)プロフェッショナルの経営者により,(2)教育研究に専念するスタッフを配し,(3)non-academicの分野では,分野毎にプロフェッショナルのスタッフを配するという3つの対策である.以下では,この3つの対策を見ておくことにしよう.

6.1 プロフェッショナルによる大学経営

プロフェッショナルの大学経営者については,日本において人材がいないという意味では無いことに注意すべきである.大学運営に巧みな経営者は,現に多く存在している.しかしながら,ストロナク[4]が述べたように,そうした人材を大学運営のプロフェッショナルとして認める環境が存在せず,そのような分野がある事も自覚されないところに問題がある.このため,アマチュアの経営者とプロフェッショナルの経営者が区別なく扱われ,プロフェッショナルの経営者による大学運営が成熟してゆかない.プロフェッショナルの大学経営者を活用できる市場も形成されない.

それゆえ,各大学において求められていることは単純である.大学の経営者は,プロフェッショナルの仕事であるという価値観を共有し,理事長,学長による現在の大学経営を,巧拙はあれどもプロフェッショナルの仕事として認めるだけである.「学長は,大学経営のプロフェッショナルである」という構成員の意識は,それだけで,経営に変革をもたらす.それによって大学の構成員である教員と事務職員のありようも変わる.

6.2 大学の運営

私立大学の運営は,伝統的には,トップダウンに徹した「理事長主導型」とボトムアップの意思形成を尊重した「教授会主導型」のスタイルに分類されると言われて来た.いずれのタイプも共通しているのは,トップと構成員の間のコミュニケーションの不足である.これに対し,ストロナク[4]は,大学経営においてのコミュニケーションの重要性を指摘する.

トップの理念を,構成員が良く理解し,チームワークで理念の実現に向けて進むための努力が,大学の運営に限らず,どの事業ドメインにとっても不可欠であることは言をまたない.しかしながら,大学経営に十分精通していない経営者の場合,その必要性を痛感したとしても,どのようにしてそのようなコミュニケーションを図るかについての技量が十分ではなく,運営に苦労することになる.古いタイプのマネージャーは,こうした場合,勤務時間外の懇親でコミュニケーションを取ろうとするが,現代においては,そのような試みが成功することはない.

日本の多くの私立大学が独特であるのは,組織内のコミュニケーションの不足を補うこと無く,あるときは,理事長の一方的な意志決定により物事を進めて失敗するか,また別の時には,教授会の意向を尊重して,結局何も物事が進まないか,常にどちらかであることにある.大学運営のプロフェッショナルであれば,こうした問題の解決の糸口をみつける技量を持っている.実際に,そのような大学のベストプラクティスは多く存在している.

6.3 教育と研究

現在の日本の大学は,大学運営のプロフェッショナルという認識が薄いため,本来は教育研究に専念すべき研究者も,大学運営に多くの時間を奪われている.従来の意味での教員は教育と研究のプロフェッショナルなのであり,その業務に専念すべきである.

また,研究者が研究のための時間を確保するためには,教育に専念するスタッフも考えるべきである.南ニューハンプシャー大学の例に見られるように,教育に専念するスタッフは,研究業績に追われること無く教育に専念できる[26].プロフェッショナルとして教育に専念することは,研究に専念する研究者には無いプロフィットがある.

日本の大学においても,教育への取り組みは変化を遂げつつある.例えば,一部の講義を語学学校へアウトソーシングする動きは,いくつかの私立大学で見ることができる.また,教育の態様によっては,従来の意味での教員が担当する必要の無い分野がある.例えば,コンピュータスキルの不足する学生への学習支援などは従来の意味での事務職員が担当する場合もある.このように教育の分野では,すでに従来の教員と事務職員という意味合いが,少しずつではあるが失われつつある.しかし,これらの動向は,なし崩し的に行われている例が多く,紆余曲折の果てにいつの間にか旧来の体制に復古してしまう事例も多い.大学運営上の明確な意志決定によって,教育に専念するスタッフの在り方を決定する必要がある.

一方,教育に専念するスタッフの存在により,研究に専念する教員は,一部の教育を分担しながら,研究のために一学期をまるごと割り当てるような方策も採ることができる.近年日本の研究論文数の減少に対する懸念が取り上げられることが多いが,研究者に自由な時間を確保することは,かつての高度成長時代のような自由な研究環境を提供することを可能にする.

6.4 Non-academicのスタッフ

研究教育を取り巻く,non-academicな大学運営のスタッフは,コア業務に集中すべきであり,ノンコア業務はアウトソーシングなどに任せるべき分野である.Non-academicな大学運営上のコアは,比較的単純であり,アドミッションオフィス,IR業務,キャリア支援の3業務である[32].これらを担う構成員は,それぞれの固有の専門的な技能を必要としており,しかも,常に環境変化にさらされ,新しい技術を習得しなければならない.

アドミッションオフィスは,本来的には入試問題の作成から合格者を確定する作業を含む,入学までの多様な業務を含んでおり,大学の基本的な収入を支える業務である.従来の考え方で言えば,入試問題を作成したり採点したりすることは教員の仕事であったが,慎重を要する業務を教育と研究を専業とするはずの教員が片手間でやるべき仕事ではない.専門のスタッフが対応すべき仕事であり,そのスタッフが入試に関するプロフェッショナルであり,研究者であることが求められる.つまり,従来の教員の一部がアドミッションオフィスのスタッフとなる.あるべき姿を見据えれば,この部門では,従来の教員と事務職員という区別は殆ど意味を満たない.

IR業務については,すでに研究者が,専任スタッフとして行う大学がある.現状では,このような要員は特任の教員としての身分が与えられていることが殆どである.今後は,従来の教員の身分にこだわること無く,あえて従来の区別で言うならば事務職員として研究者が携わることが自然である.

最後に,キャリア支援は,すでに見てきたように,高等教育機関が従来の新卒一括採用方式にもたれかかったキャリア形成から脱却し,多様なキャリア形成を視野に入れるために大きな転換を要する分野であり,急速に変化する社会状況を常に認識し,グローバリゼーションを踏まえた施策を提案できる立場になければならない.そのためには,就職指導のような泥臭い業務に加えて,調査研究にも時間を割くべきであり,調査研究スキルを身につけたスタッフが配置される必要もある.

以上,三つのコア業務についてスタッフの在り方を見てきたが,いずれの場合も,従来の教員が関わってきた業務を教育研究から切り離し専業化させることで,高等教育機関の本来の姿である教育研究のために多くの時間を提供することになるという点で共通している.教員と事務職員という区別を捨て去ることが,大学経営を柔軟にし,成長可能な大学を作り上げる.

6.5 大学のスタッフのあるべき姿

以上の検討から,今後の大学において必要とされる人材は,およそ次のようなものになるはずである.

第一に,Non-academicのコア業務に携わるスタッフには,博士の学位を持ち海外とのコミュニケーションに不自由のない語学力のある人材が求められている.

第二に,大学のスタッフは,研究教育を含むどのような業務であれ,海外からの優秀な人材を雇用できる体制を組む必要がある.この点は,ストロナク[4]が特に強く求めていたことでもある.大学内の公的言語は,英語とするような取り組みは,すでにいくつかの大学において実施されているが,今後は高等教育機関での一般的な姿になってゆくべきである.

こうしたスタッフを確保するために,スタッフに対する適切な処遇が必要である.南ニューハンプシャー大学において,教育に専念する教員は出来高払い制になっていることを紹介したが,日本においては,日本的経営から脱却し終身雇用制度から任期制への転換を実現することも重要な要素である.教員においては,すでに任期制については浸透しつつあり,教員に限らないすべてのスタッフが任期制とする大学もあるが,大学の雇用形態の一般的な姿になるにはまだ時間を要する.雇用形態の柔軟な運用を実現するためには,経営者の一方的な意志だけでは実現できず,スタッフとの丁寧なコミュニケーションを取ることが求められる.

一方,海外からの雇用を前提とした取り組みは,全てのドキュメントを多言語対応にするな,公用語を英語にするなどの多くの労力を必要とする作業もあるが,企業にも大学にもすでに多くの前例がありことでもあり,経営者の意志決定さえできれば,さほどの時間を要しないはずである.

これからの大学経営においては,教職協働という概念が入りこむ余地はない.教育を担うスタッフが,従来の事務職員である事もあれば,non-academicな業務を従来の教員が担うこともあれば,スタッフ同士の協働も必要である.しかし,教員と事務職員という区別は,大学がアマチュアの経営者によって経営されていた時代の残滓であり,その区別に基づいた教職協働という概念は,大学経営に利益をもたさない.

6.6 自前主義からの脱却

日本の高等教育機関は,オープン化への取り組みがなかなかできない組織であった.これは日本的経営の下にある企業と同じようなスタイルで自前主義を貫いてきた結果である.

大学は,国からの助成を受け,多くの優遇措置を受けた上で経営されている.そのために,社会への還元が求められていながら,日本の大学はなかなかそれに応えることができずにいる.オープン化はそれに応える機能を果たすだけではなく,他の事業ドメインと異なり,高等教育機関のオープン化への取り組みは,しばしば大きな利益をもたらす.すでに見たように大学間の取り組みが,大学連携である限り,大学間の利益や思惑を巡っての利害調整に多くの時間を費やし,思った成果を上げることができない.一方,大学におけるオープン化の成果は,米国に多くの事例を見ることができる.

これに対し,日本においてオープン化への取り組みが弱いのは,自前主義の呪縛に捕らわれているからである.もし,高等教育機関におけるオープンプラットフォームが提供され,大学が自前主義を捨てて,積極的に成果をオープンプラットフォームに提供するような意志決定ができれば,多くの成果が期待できることは,米国の大学のいくつかのケースが示している.

今後の日本の大学が生き残りをかけて競争しなければならない時代が来る,その時代においても大学に求められていることは,大学のオープン化への取り組みであり,その成否が大学の存亡を決定する.

6.7 私学の未来

アラン・ケイはかつて「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創り出すことである」[33]と述べた.この言葉は文部科学省でもしばしば引用されている[34].文部科学省は,これによって,私立大学は,国の支援に頼ること無く,自立して新しい道を切り開いて行くべきであるという示唆をしている.実際,今後の厳しい経営環境の下では,私立の大学経営が進む道は創造力に満ちたものでなければ,生き残ることはできない.そのためには,大学経営の在り方を根本的に見直す必要がある.その時,国を頼ることはできない.文部科学省は,多くのステークフォルダーを抱え,その利害調整に苦慮しながら,恐らく最善と思われる政策を実施している.しかしながら,それを個別の私学に無理矢理適用することには,自ら限界がある.

国立大学は,こうした文部科学省の政策に大きく左右されることは避けることはできないが,私学はより自立した道を歩むことができる.そこに大きなビジネスチャンスもある.希望のある未来は,私学経営に託されている.

 

(続く)

参考文献

[4] 「機敏に自己革新を,外国人教員を教授会メンバーに」.日本経済新聞, 2013年8月11日付

 [26] Steve Kolowich, “Southern New Hampshire U. Designs a New Template for Faculty Jobs.” THE CHRONICLE OF HIGHER EDUCATION, MAY 08,2014. https://www.chronicle.com/article/Southern-New-Hampshire-U/146443, Last access January 8, 2018. 2014

[32] Birnbaum, Robert. Management fads in higher education: Where they come from, what they do, why they fail. Jossey-Bass, 2000.

[33] Alan Key. A powerful idea about ideas. TED2007. https://www.ted.com/talks/alan_kay_shares_a_powerful_idea_about_ideas, Last access January 8, 2018. 2007

[34] 中央教育審議会.「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」.文部科学省.2014年.

日本の高等教育機関における教員と事務職員(5)

5 オープン化を拒む日本

ここまでは,日本の高等教育機関の構成員についての言わば通時的な課題を考察してきた.この課題を解決するためには,同時に,今日の共時的な課題,すなわち,日本の大学は,世界の大学の一部を構成しているという,日本の高等教育機関を取り巻く現状を見ておく必要がある.

既に見てきたように,日本の経済的社会的な仕組みは,自前主義によって成功を収めてきた.その成功体験を背景にして,大学もまた自前主義の中にある.日本の高等教育機関は,アジアの中では例外的に母語での教育を行えることは誇るべき事だという指摘はその通りだとしても,今日の世界の高等教育機関の中での孤立を招く一因にもなっている.ここでも,長所は,同時に短所にもなる.

この場合の最大の問題点は,目の前にある折角の資源を見逃し,自前主義の下では決して気付かれることのない機会損失を発生させていることにある.

ここでは,その一例として,オンライン教育について見ておくことにしよう.

5.1 米国のオンライン教育に見るオープン化の取り組み

オンライン教育には過去に2つのブームがあった.北米においては,第一のブームは1999年から2001年にかけてのe-learningのブーム[17]であり,第二のブームは2011年から2013年にかけてのMOOC(Massive Open Online Courses)である[18].

第一のブームであったe-learningは,講義資料や講義映像のオンライン配信,オンラインテストやオンラインフォーラムなど,教室で行われてきた講義をオンライン化するものであり,高等教育機関は,経済的に成功することはなかった.しかし,ブームが去ったあとも,大学におけるオンラインの受講者数は増加の一途を辿っていた [19].これには,米国の高等教育機関が,国からの財政支援が途絶え,収益構造を確保するための新たな道を模索する必要に迫られたという側面もあるが,同時にまた,教育のオープン化,すなわちオープンエデュケーションは大学に利益をもたらすものであると捉えているからである.このため米国においては,e-learningブームのあと,この仕組みを利用して,それまでは大学の中に閉じられていた,講座をオンラインで公開するOCW(Open Course Wear)を展開して行くことになった.OCWも経済的な成功は必ずしも収めなかったが,それでもオープンエデュケーションに対する大きな期待は止むことは無かった.

この点は,e-learningへの高等教育機関の取り組みが一貫して低調だった日本とは大きな差がある.この時期に米国の大学はオンライン教育について多くを経験し,日本の大学はほとんど学ぶところが無かった.日本では,オンライン教育は,手間のかかる割に効果の無いものという受け止め方がなされていた.米国でのOCWの活動は,日本ではJOCW(http://jocw.jp/jp/)の活動によって継承され,MOOCのブームは,JMOOC(https://www.jmooc.jp)の活動によって日本に初めて紹介された.いずれの場合も,日本は米国以上の熱心な活動が展開されてきたにも関わらず,オープンエデュケーションに対する日米の認識の差が,投資意欲の大きな差になってあらわれており,人一倍苦労の多い活動を強いられている.

以上の経緯から,自前主義の課題をみるために,オンライン教育は好例となる.そこで,日本の自前主義を見るために,まず米国の二つのケースを見ておくことにしよう.

5.1.1 MOOCとオープンエデュケーション

MOOC(Massive Open Online Courses)は,OCWの活動とは一応独立しており,元々は,カナダの大学に起源を持つ取り組みであったが,オープンエデュケーションに対する意識はOCWよりもさらに強かった.OCWは単に,講義を公開するだけであったが,MOOCは,講義そのものをオンラインで行い,修了証も発行するという大胆な活動だったのである.

2012年に,スタンフォード大学,ハーバード大学,MITなどが参入して,ブームとなり,この年は”The year of the MOOC”[20]と呼ばれるまでになった.このブームの最初のきっかけは,当時スタンフォード大学の教授であった,Sebastian Thrunが体験したことであった.

彼は,あるとき,自らのスタンフォード大学の講義をオンラインで公開した,対面で授業をしながら,同時にMOOCとよばれるオンラインにもこの講義を公開し,学期末の試験をどちらも受けることができるようにした.対面授業を受講したのは,スタンフォード大学の学生200名である.その結果は,驚くべきものであった.成績上位者には対面で受講したスタンフォードの学生はいなかった.なんと上位412位までが,オンラインコースだけを受講した学外受講者だったのである[21].オンライン教育の威力を革新したThrunは,オンライン教育の会社Udacity™を創業することにした.MOOCブームはここから始まったのである.

Thrunはその時は気がつかなかったようだが,オンライン教育では,そのような現象はしばしば観察される.オンライン教育が対面授業以上に高い成果をあげる事があるということは,オンライン教育の専門家の中では,比較的知られている事実である.例えば,日本においても,Thrunの経験よりずっと以前に,ほぼ同様の結果を得た結果がある[22].また,図6は,毎年度全米の大学の教員に向けて行われている,オンライン教育に関するアンケート結果の経年変化を示している.この結果から,オンライン教育は対面講義より劣っているという見解は年々減少し続けており,近年は全体の3割に留まっていることがわかる.また対面以上の効果があるとする見解も一割に届いていることがわかる.Thrunの経験は,彼が最初というわけではなかった.

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図 6オンラインと対面講義の間の教育効果に差はあるか(文献[23])

最終的には,2017年になって,Thrun自身が,MOOCは終わったと宣言した[24]ように,MOOCの活動は,Thrunの思った方向に向くことができなかったが,それはオンライン教育の終わりを示しているのでは無く,むしろオンライン教育が,次の段階に進みつつあるという積極的な宣言なのである.

5.1.2南ニューハンプシャー大学とオープン化

オンライン教育はオープンエデュケーションという方向だけを向いているわけでは無く,高等教育機関により直接的に大きな利益をもたらすものとしても期待されている.その典型的な例が,米国南ニューハンプシャー大学にある.

米国南ニューハンプシャー大学は,1932年に設立された歴史のある大学ではあったが,学生数が五千人に満たない小さな大学であり,小さな大学であるがゆえの経営難に見舞われていた.そこで,2003年に学長に就任した,Paul.J.LeBlancは.この状況を改善すべく,大規模なオンライン教育の仕組みを導入した.ここで一つ注意すべき点は,オンライン教育を単なる通信教育として位置付けることとしたのでは全く無く,コース設計から教員の働き方まですべてをオンライン教育のために徹底的に見直したところにある.

まず,評価方法を見直した.コンピテンシーモデルに基づくダイレクトアセスメントの導入である.コンピテンシーモデルでは,学習時間を一切評価せず,学習者のスキルだけを評価し単位を発行する. これは,学習者にも大学にも大きなメリットがある.学生は,講義回数などの量的な制約を受けること無く,短期間での卒業が可能になる.大学は,カリキュラムを小さく分割したコンピテンシーセットで構築することで,同一の講義で多様な学位に対応することが可能になる.すなわち,講義の使い回しが容易になる.

また.大学側での教育活動は一切行われないため,人的コストは最小限に抑えられる.南ニューハンプシャー大学では,オンキャンパスの学生は,今でも五千人を下回っているが,オンラインの学生は7万人を越えている,また,教員数は150人程度で,オンライン教育を開始する前と殆ど変わっていないことからも,経済効果の大きさをうかがい知ることができる.

この結果は,学習者にも大学にも大きなメリットがある.学生は,講義回数などの量的な制約を受けること無く,短期間での卒業が可能になる.大学が学生に求める学費は,相当に低額なものとなる.学費の高騰に悩む米国では,このような大学は政府からも支持され,2013年3月には,当時のオバマ大統領から,南ニューハンプシャー大学に対して,賞賛が与えられた[25].これに呼応して,米国教育省は,コンピテンシー・ベースのプログラムにも学費援助を認めることとし,南ニューハンプシャー大学がその最初の例になっている.

教員の処遇も見直された.オンライン教育に携わる教員は,講義の数に基づく歩合制とした.一通りの講義数をこなすと,オンキャンパスで教える教員と同等の給与水準となるように給与体系は設計されている[26].オンライン教育は,学習者の主体性が決定的であり,教員は,かつてのように教壇に立つのではなく,学習者の背景に退いて,学習者の求めに応じてコーチングやアドバイスをする.その教員を適切に管理するスタッフが,あえて日本的に言えば事務職員と言うことになる.

最後に,米国では,オンライン教育は単独の大学の中で孤立して存在しているわけでは無い.南ニューハンプシャー大学が徹底的に見直した.講義方法については,そのために適切な教育方法が検討され,多くのスキルアセスメントが出されている.例えば,Council for Aid to Educationでは,職業準備度や学生レベルを測るCollegiate Learning Assessment(CLA+)を開発した.また, Educational Testing Service (ETS)は,学生に学習に関する電子証明書を導入している.さらに, ACT Inc.は,WorkKeyというスキル評価システムを開発している.また,そうした活動に対する投資も寄付も盛んである.例えば,ゲイツ財団は,コン「ピテンシー・ベースの教育プログラムを開発するカレッジに対して100万ドルを助成している
[27].

このように多様なリソースが公開されているのは,米国の各大学がそれぞれの成果をオープンにしていることによって実現されている.日本では見ることのできない仕組みであるが,それでもなお,米国のオンライン教育の研究は相互に孤立しており,もっと相互の成果を活かすべきだという批判さえある[28].

大学は,成果をオープンにし,相互の成果を活かすことで相乗効果が生まれる.これがオープン化を大学経営の中で重視する理由になっている.

5.2 日本の自前主義

日本では,古くからの通信教育の歴史がある.通信教育は,高等教育機関の進学に恵まれない学習者達のセーフティーネットとしての機能を果たしてきた.そのため,安価な学費と懇切な指導により成立してきた.今日において,このような高等教育機関のビジネスモデルは厳しい位置にあり,伝統的な高等教育機関の通信教育は,その歴史を終えようとしているものが多い[29].同じような観点からオンライン教育を考えると,とても投資に見合った成果をあげることはできないことは確かである.

オンライン教育は,従来の教育とは全く異なったアプローチが求められている.教育方法について言えば,ダイレクトアセスメントは,オンライン教育にとって大きなメリットがある.しかしながら,日本には授業時間の遵守などの多くの量的な制約が存在し,ダイレクトアセスメントへの道のりは険しい.米国では,南ニューハンプシャー大学がまず道を開き,国がそれを追認するというアプローチを許したのであり,同じ事は,日米の制度的な相異を乗り越えて,日本にあっても良いはずである.

また,ダイレクトアセスメントのためのスキルアセスメントのツールや,コンピテンシーモデルの研究などが不可欠となる.しかし,そこに,米国のようなオンライン教育のための豊かな支援は無い.教員と事務職員の関係も南ニューハンプシャー大学の例にあるように,大きな変革が不可欠である.しかし,日本の雇用慣行の中では,実現の難しい部分がある米国の成果を活かそうとしても行政との折り合いがつかない.

それでも,日本において,フルオンラインの大学はいくつか創設され,あるいはオンラインのコースを開設する大学もある.これらの大学では,オンライン教育で成果を上げるために,資金の限られた中で,教育方法の開発や,教員と事務職員との関係の改革に取り組むことを求められている.そのためには,結局独自の工夫を強いられ,やがては自前主義が必要となる.日本において,自前主義の陥穽から抽け出ることは容易なことでは無い.

以上は,オンライン教育を一つの例にとったに過ぎないが,日本の自前主義からの脱却が求められている好例となっている.世界の大学がオープン化に向かっている中で,日本の文化的な背景が,自前主義に傾斜しているため,日本の大学も自前主義の大きな制約を受けている,日本の大学が,日本的経営に根付く自前主義を抜け出して,オープン化への道を見いださなければ,オンライン教育の例に象徴されるように,成功するために多くの労力が必要になる.

5.3 大学連携という陥穽:Unizinの苦悩

大学のオープン化に類似するものに大学連携の取り組みがある.日本の高等教育機関では,広く成果をオープンにするという方式よりも限られた範囲での連携が好まれる.しかし,大学連携のベストプラクティスはなかなか出てこない.この事情は.米国でも変わることは無い.2014年にオンライン教育変革をもたらす活動として大きな期待を持って始められた大学連携プロジェクトであるUnizin[30]は今日までのところ,あまり大きな成果を出せずにいる.経費分担を巡る各大学の対立から責任者の入れ替わりなどもあり,内部に困難を抱えていることが,外部からもうかがい知ることができる[31].

大学連携は,各大学の思惑や利益配分を巡っての対立など大学間の立場の相異が先鋭化しやすく,成功するまでには多大な努力を必要とし,さらにそれを維持するためにも多くの苦労を費やすことになる.これに対して,オープンなプラットフォームに自由に各大学が成果を提供できる環境があれば,各大学の思惑によらず,プロジェクトを推進できる可能性はずっと高くなる.大学連携との相異は,オープン化の価値をよく示している.

 

(続く)

参考文献

[17] Chandira Punchihewa. “Introduction to e-learning”. Your e-Learning Tutor: Introduction to e-learning.URL: https://knowelearning.wordpress.com/tag/hype-cycle-of-e-learning/, Last access January 8, 2018. 2013

[18] Li Yuan. “MOOCs and Higher Education: What is next? “, Cetis Blogs, URL: http://blogs.cetis.org.uk/cetisli/2013/06/25/moocs-and-higher-education-what-is-next/, Last access January 8, 2018. 2013

[19] Webster University Online “Trends in Online Learning”, http://websteruonline.com/trends-in-online-learning/, Last access January 8, 2018. 2015

[20] Laura Pappamo. “The Year of the MOOC”, The New York Times, Nov. 2, 2012. http://www.nytimes.com/2012/11/04/education/edlife/massive-open-online-courses-are-multiplying-at-a-rapid-pace.html, Last access January 8, 2018. 2012.

[21] Derrick Harris. “Udacity founder: MOOCs can help the economy, even if they can’t replace college”. https://gigaom.com/2014/01/25/sebastian-thrun-moocs-can-help-the-economy-even-if-they-dont-replace-college/, Last access January 8, 2018. 2014.

[22]小野成志.「e-ラーニングTIESの体験」.教員と職員のこれから.https://www.slideshare.net/SeishiONO/from-now-on-faculty-and-administrative-staff,2018年1月8日閲覧,2017年

[23] ALLEN, I. Elaine; SEAMAN, Jeff. “Online Report Card: Tracking Online Education in the United States”. Babson Survey Research Group, 2016.

[24] John Warner. “MOOCs Are "Dead." What's Next? Uh-oh”. Inside Higher Ed. October 11,2017. https://www.insidehighered.com/blogs/just-visiting/moocs-are-dead-whats-next-uh-oh, Last access January 8, 2018. 2017

[25] The White House Office of the Press Secretary, “FACT SHEET on the President’s Plan to Make College More Affordable: A Better Bargain for the Middle Class”. https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2013/08/22/fact-sheet-president-s-plan-make-college-more-affordable-better-bargain-, Last access January 8, 2018. 2013

 [26] Steve Kolowich, “Southern New Hampshire U. Designs a New Template for Faculty Jobs.” THE CHRONICLE OF HIGHER EDUCATION, MAY 08,2014. https://www.chronicle.com/article/Southern-New-Hampshire-U/146443, Last access January 8, 2018. 2014

 [27] 船守美穂.「Post MOOC 時代の大学教育―オンライン教育を取り入れた教育の質向上の試み」.NPO法人CCC-TIES 報告集 vol.6,TIES シンポジウムオープンエデュケーションに直面する日本の大学 −Post MOOCとCHiLOの可能性−, http://www.cccties.org/wp/wp-content/uploads/2014/11/p20140614_TIESsymposium_v1.0.pdf,2018年1月8日閲覧,2014年.

[28] Martin Weller. “Mapping the open education landscape”, The Ed Techie, November  9, 2017. http://blog.edtechie.net/oep/mapping-the-open-education-landscape/, Last access January 8, 2018. 2017

[29] 榊原康貴.「大学通信教育とオープンエデュケーション」.ViewPoint,Vol14,CTCアカデミックユーザーアソシエーション,2014年

[30] Feldstein, M. “Why Unizin is a Threat to edX”. Re-trieved from e-Literate: http://mfeldstein. com/unizin-threat-edx, Last access January 8, 2018. 2014.

[31] Phil Hill. “Unizin Updates: A change in direction and a likely change in culture”. E-Literate: https://mfeldstein.com/unizin-updates-change-direction-likely-change-culture/, Last access January 8, 2018. 2017

日本の高等教育機関における教員と事務職員(4)

4  夢見る教員と事務職員

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図 2 名目GDPおよび同成長率の推移(文献[10])

 

日本的経営は,経済成長を前提として成立していた.ところが,日本はバブル崩壊とリーマンショックによって突然に高度成長時代の終わりを迎え,今日,「失われた10年」はいつの間にか20年を越えて長い低成長時代を迎えている(図2).明治時代以来とも言える成長モデルに支えられてきた企業戦略は,ここで歴史上初めての大きな転換点を迎えることになった. この結果,日本的経営を支えてきた企業も大学も行き詰まりを迎えることとなった.

4.1 低成長から立ち直れない日本経済

低成長時代になると,今まで様々な点で優位に働いてきた日本的経営はマイナスに働いてゆく.高度成長というゲームから低成長というゲームに日本経済がゲームチェンジしたとき,企業は,百年にわたって醸成されてきた日本的経営を捨てて機敏に変化することができなかった.「出る杭は打たれる」事を前提とした垂直統合・自前主義は,高度成長を促進できていたことと同じ理由で,低成長を促進する.成長を目指して,抜け出そうとする小さな企業は,大企業だけで無く,横並びに拘泥する同規模の企業にも「出る杭」として打たれてしまう.大企業が成長に苦しんでいるときに,米国でGoogle™やFacebook™が成功したように,小さな企業が世界的な企業に成長することによって経済成長を牽引するようなモデルは,日本的経営の中では成立し得ない.日本の長い成長期の長所は,ここにきて短所に転じた.このため,低成長時代の日本的経営の中でなし得ることは,守りの戦略であり,有利子負債の圧縮,コスト削減と内部留保の昂進等である(図3).

 

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図 3 内部留保率と経済成長率、資産増加率の推移(文献[11])

 

もちろん,日本の企業は,こうした事態を良く理解しており,守りから攻めに転じるための努力をしようと試みている.しかしながら,日本的経営の長年にわたる成功体験は,根本的な変革を難しくしている.とりわけ新卒一括採用方式は,企業にとってというだけでは無く,直接の人事担当者にとって,効率の良いシステムであり,それを捨て去ることは,人事制度の根本的な変革を伴うことになるばかりか,日本的経営を根本的に見直す必要があるため,変革には時間を要している.

新卒一括採用方式についていえば,通年採用などの新しい人事採用政策は加えても,他方で新卒一括採用方式を中止することは,容易にはできない.むしろ,新卒一括採用方式を維持しつつ,そこにやってくる人材が即戦力であるようなモデルを追求する.高度成長時代のように,終身雇用制度を前提にした,手厚い教育をする余裕が企業の側で失われてしまったためである.企業から大学へ即戦力を強く求めるようになったのは,日本的経営の負債に苦しむ企業の悲鳴でもある.

4.2 低成長に戸惑う大学経営

高等教育機関に目を向けると.この時代の高等教育機関は,低成長の経済という実状以外にもう一つの課題を抱えていた.18歳人口の長期的な減少である.ただし,高等教育機関の在学生だけで見るならば,18歳人口の減少に呼応するように進学率が向上したため,最近に至るまでは,本格的な学生数の減少に悩むような状況には無かった(図4).

 

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図 4 各高等教育機関の在学者数の推移(文献[12])

 

ところが実際には,限られたパイを取りあう中で,各大学によって在学生数には大きな偏りがあり,比較的規模の大きな大学は学生数を確保できることが多かったのに対し,学生数の増減に敏感な中小規模の大学の中には,恒常的な定員割れに悩む大学が多いという現象が起きた(図5).

さらに,学生数減少に悩む大学は,学生数の減少に応じて定員も減らさざるを得ず,それでもなお定員を満たさないという現状に悩む大学もあり,単なる定員割れということからは窺いきれない深刻な状況がここには隠されている.これは,観点を変えてみれば,大学間の競争環境が整ってきていると見ることもできる.

しかしながら,現実は,経営困難な大学は,公的な支援などに支えられているため,支援が無ければ本来は整理されているはずの大学でも,経営状態が苦しいながら,存続し続けることができる.つまり,私立大学は,自由な経済競争のもとにあるわけではない.その歪みは,数多くの大学が定員割れでの運営を余儀なくされるという形で現れている.2017年12月31日の読売新聞では,独自の調査として,大学を抱える法人のうち17%にあたる112の法人が経営困難な状況にあると報道されている[13].これらの経営困難な法人と他の多くの私立学校法人がともに定員割れを甘受することで,大学の倒産は回避されている.垂直統合・自前主義方式でも見られた日本の文化に根ざす「横並び」を重視する考え方が,ここにも活きている.

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図 5 2017年度規模別入学定員充足率(文献[14])

 

このような重い課題を抱えながら,この時代の大学は,低成長下においてコスト削減に励む企業からは教育研修コスト削減に資するための一環として,即戦力の人材,国際化へ対応できる人材などを求められた.文部科学行政も企業の要請に応えるために,大学設置基準等の誠実な履行を高等教育機関に求めた.具体的には,開講授業あたりの講義回数の遵守やガバナンスの強化などである.文部科学省からすれば,従来の設置基準等を満たせば,十分企業からの要請にも対応できるという判断がそこにあった.企業と行政の求めていることは,形式的にみれば誤った判断では無かったが,大学の現に抱えている問題を顧慮してはいない.

4.3 教職協働という泡沫の夢

企業と行政から様々の課題を与えられた大学の構成員は,「アマチュア経営者」と「教育に未熟な教員」そしてその下に位置付けられた「ものを考えることを求められたことの無い事務職員」しか存在しない.要求されることと,要求を実現するために与えられた人的資源には大きな乖離がある.年に数回しか講義をしない教員に,決まった回数の講義をしなければならないと迫ったところで,教育効果が上がるわけでも無い.ガバナンスを手にしたアマチュア経営者は,高等教育機関として不可欠な機能には無関心で,短期的な経済収入にだけ関心を持つことしかできず,大きな成果を上げたかも知れない教育機関を衰退させて行く.ものを考えることに慣れていない事務職員に考えることを要求してもその要求にはとても応えられるものではない.

このような大学にあって.教員と事務職員という上下関係を前提にした「教職協働」を求めても,ドン・キホーテが従者サンチョ・パンサを伴って風車に突進するような愚かな結果しか生まれてこない.

もちろん,人的資源に恵まれた大学での教職協働のベストプラクティスは存在する[15].教職協働で成功している大学については,何も気に病む必要は無い.しかし,教職協働に必要な資源が不足し,教員と職員の間に旧態依然とした上下関係を維持する大学では,ただちに困難に遭遇する.資源が絶対的に不足し,的確な情報分析が欠如しているところに,精神論で問題解決を迫るアプローチは,「失敗の本質」の一つである[16]. 教職協働を大学の質保証にまで組み込み,すべての日本の大学に教職協働の進捗のチェックを求めることになれば,失敗の本質に足を踏み入れることになる.

 

(続く)

参考文献

[10] 参議院経済産業委員会調査室.「日本経済の変遷と今後の成長確保策としての支柱」.経済のプリズム, No111, 2013年

[11] 佐藤真人. 「戦後日本の資本蓄積と内部留保」. 關西大學經済論集, 65(3): 251-281, 2015年

[12]文部科学省.「高等教育の将来構想に関する基礎データ」.中央教育審議会大学分科会(第135回)配付資料,資料1-2,2017年

[13] 「私立大112法人が経営難、21法人は破綻恐れ」.読売新聞,2017年12月31日付

[14]日本私立学校振興・共済事業団.「平成29(2017)年度私立大学・短期大学等 入学志願動向 」.2017年

[15] 郡千寿子. 「教員と職員—弘前大学の取り組み」.平成29年度大学質保証フォーラム−学生のための大学をつくる.大学改革支援・学位授与機構.2017年

[16] 戸部良一, et.al. 『失敗の本質: 日本軍の組織論的研究』. 中央公論新社, 1991.

 

日本の高等教育機関における教員と事務職員(3)

3 教員貴族と下僕としての事務職員の時代

日本における高等教育機関の教員と事務職員の関係は,大学という閉じられた組織の中での関係としてあったわけでは無い.高等教育機関自身も当然のことながら,それを取り巻く経済社会との関係に支えられながら存続してきた.特に日本の企業と大学の関係は教員と事務職員の関係を考える上でも避けては通れない.日本の企業は,長い間日本的経営と呼ばれる独特の経営システムで成功を収めてきたが,高等教育機関は,教育機関としての最終的な出口として,その成功の重要な役割を担ってきたからである. ここでは,まず,日本の企業と大学がどのような関係にあったかを振り返り,そこにおける教員と事務職員の関係を位置付ける.

3.1 高度成長時代の企業

日本の企業における「日本的経営」の特性は,既にジェームズ・C・アベグレン[6]が1958年に指摘したところであり,その特性は,「終身雇用」,「年功序列」,「企業内組合」に集約される.この三つの特性はやがて日本的経営の三種の神器と呼ばれるようになった.以来,この三つの特性を持つ日本的経営は日本の経済成長を支えてきたとされる.しかし,日本の経済成長は,リーマンショックを迎えるまで,第二次世界大戦の限られた時期を除けば,明治期からほぼ一貫して成長を続けてきたことに注意すべきである(図1).柴垣和夫[7]は,日本的経営の端緒を第一次大戦後に大企業におけるホワイトカラーや熟練工の長期雇用と年功賃金化が進んだことに求めており,その後,日本の資本主義がピークに達する1980年代中葉に日本的経営は完成を見るとしている.日本的経営は,戦前から戦後の長い期間にわたり日本の経済の発展に大きく寄与してきたのであり,戦後期に突如として出現したわけではない.

こうした経済的社会的な背景を踏まえるならば,アベグレンの日本的経営に関する定義には,やや不十分な点がある.アベグレンは,「Japanese factory」すなわち,個別の企業経営についての日本的経営を定義しているために,日本的経営の背景にある経済的社会的な関係について十分な言及がない.日本的経営の特徴と言われる三種の神器の背景には,それを支えるための経済社会的な仕組みが前提として存在する.そのような仕組みはいくつかあるが,本稿では,高等教育機関との関わりから,2つの点について指摘しておく。

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図 1実質国民所得の推移(平成12年度年次経済報告)

 

第一は,企業の外部との関係を考慮しなければならない.企業と教育機関との関係でいえば,新卒一括採用方式の仕組みがそれである.新卒一括採用方式は,「終身雇用」の前提となる仕組みであり,それを支えるものであるが,それに留まらない意味を有している.

新卒一括採用方式は,企業にとってあるいは人事担当者にとって,採用コストを著しく軽減できるシステムである.大学には,入学時に受験生が受験のために参照する偏差値に基づく明確な序列があり,その序列に従って受験生は成績に従って振り分けられて各大学に入学する.入学した学生が,後に述べるように「トコロテン式」[8]に押し出されるだけであれば,入学時の偏差値の序列に従って人材確保をするだけでそこに大きな誤りは起こらない.仮に期待通りの人材ではなかったとしても,その大学の学生を採用したのなら仕方が無いという評価にもなり,人事担当者としての責任を免れることができる.大学の側も,この新卒一括採用方式に大きく依存することにより,安定的な経営を確保することができた.企業と大学の間の深い相利共生の関係がここにでき上がった.

また,新卒一括採用方式は,大学にだけ適用されるものでは無かったし,初等中等教育は高等教育機関の出口でもあった.新卒一括採用方式により教育機関と企業とは,人材養成に関して相利共生の関係を形成するようになっていった,

第二は,日本企業の内部編成の問題である,日本の企業は,「垂直統合自前主義」[9]により成長してきた.ここで「垂直統合」は,大企業を中心とし,そこに中小企業が組み込まれた閉じたヒエラルキーを持つことであり,「自前主義」は,すでに知られている技術でも,その垂直統合の中で,世界にも他者にも目を向けること無く,無い物は自前で開発するような仕組みである.この仕組みにとって重要な点は,その序列を維持しながら成長してゆくことにある.その序列を乱すものは,「出る杭は打たれる」ものとして扱われる.「出る杭」は,上位の大企業からだけで無く,同列の企業同士の足を引っ張り合いで現れることもあり,日本の文化に根ざす「横並び」を重視する考え方が,ここに活きている.小さな企業が大企業に変貌を遂げることに成功したのは,第二次世界大戦後の混乱期などを除けば,ほとんど見ることができなかった.それでも,先に述べたように,一貫した成長を実現してきた日本にとっては,このような垂直統合自前主義方式の下でも,大企業から中小企業まで,広く経済成長の利益を享受することができた.つまり,日本的経営と呼ばれる仕組みは,経済成長が達成できることを前提に成立していた.出る杭は打たれ,誰もが前に出ることのできないまま進んだとしても,日本の経済全体が成長している以上,大多数の企業にとって,この仕組みは,それぞれに恩恵が与えられた.経済成長は,日本において明治以来100年に渡って維持されてきたものであり,そのもとで時間をかけて形成された日本的経営は,容易にゆるがすことのできない仕組みになっていた.

また,先に述べた新卒一括採用方式は,垂直統合・自前主義方式に大きな貢献を果たしていた.

第一に,垂直統合に大きな効果があった.大企業ほど序列の高い大学からの人材確保が容易であり,小さな企業が優秀な人材を確保できることは例外的であった. 小さな企業に人材が行き届かない以上,小さな企業の活動は制約を受けることになる。

第二に,自前主義に対する効果があった.新卒一括採用方式は日本の大学にだけ通用する仕組みであり,海外からの雇用を前提としない.海外の大学を偏差値で評価することはできず,入学時期も異なる.結果として,この仕組みによって人材の国際化を図ることは困難であり,外に開かれているというよりは,内側で,自前でなんでも作るという自前主義の分化の醸成に貢献した.

この時代にあっては,自前主義によるガラパゴス携帯電話と呼ばれた日本独自規格での成功や,自動車産業に代表されるような海外進出の成功はあっても,海外のリソースを活かして,そこから世界戦略を展開するといった方式による成功は甚だ少なく,本当の意味での国際化について顧みられる機会が少なかった.

3.2もたれ合う教員貴族と下僕の事務職員

経済成長を続けていたこの時代の日本の大学の内側を振り返ってみる.この時代に企業が新卒一括採用方式を行う前提として,大学は18歳で入学した学生が,4年間で卒業することが大学には期待されている.留年は例外的にしか起こらない.「トコロテン式」[8]と揶揄された仕組みの上に大学経営は成り立っていた.米国の大学のように4年間で卒業することは難しい仕組みを,日本の大学が採用することになっていれば,企業は採用人事に大きな障害を来たしていたはずである.「トコロテン式」に対する批判は,すでに1950年代に行われていたことからも,高等教育機関と企業の日本的な関係が古い歴史を持つことがわかる.

大学のビジネスは,学生を消費者として見るならば,トコロテン式の恩恵により,リピーターを考慮する必要が殆ど無いビジネスである.トコロテン式で入学し,卒業していった学生が,再び大学に戻ることは例外的な事態である.リピーターを獲得するためのより良いサービスを提供する努力を必要とせず,なおかつ毎年確実な収入を約束されたビジネスは,他にはみることはほとんどない.

もちろん,これに加えて,大学に対する公的な支援も忘れてはならない.公的な支援無しに100年近い間大学の倒産がほとんど無かったという状況を作り出すことは不可能である.

この時代の大学では,「トコロテン式」のサービスを行えば良く,大学のサービスの主眼であるはずの教育がおざなりでも,問題は起きなかった.教員は自分の都合で教育をすれば,済んだのである.年間を通じて数度しか講義をしない教員,こっそり飲酒をしながら講義を行う教員,戦争の思い出話で通年の授業を終える教員などがいたとしても,それをとがめ立てする理由はなかった.実際に,こうした授業を筆者は学生時代に経験した.

ただし,この時代の大学教育は,必ずしも悪い結果をもたらしていたわけではない.近年,毎年のようにノーベル賞受賞者を排出している世代の大学教育は,このような自由な教育環境があったことと無関係ではない.この点は,現代の高等教育機関の在り方を考える上で,重要な示唆になっているはずである.

一方の事務職員は,何のために必要だったのであろうか.この時代においてはワードプロセッサが存在しなかった.多くの私学では,事務職員の採用において字がきれいに書けることを求めていた.事務職員はワードプロセッサの代わり以上の役割を期待されていなかった.さらに,事務職員は,考えることを期待されるどころか,むしろ考えることを禁じられていた.教員の指示に素直に従い,教員の望む書類ができ上がれば,優秀な事務職員として評価されていたものである.

この関係は,教員にとって便利な関係であったことはもちろんであるが,事務職員にとっても判断を回避でき,決まった仕事だけをやっていれば良いために歓迎された.筆者は,かつて,相応の身分のある事務職員の方から,「そんなことをできるくらいなら大学の事務職員はやっていない」という台詞を,なんどかいただいたことがある.大学の構成員は,教員と事務職員という上下にもたれかかっていたのであり,それを可能にしていたのは,企業の新卒一括採用方式にもたれかかった大学経営だったのである.

教育も十分に施せない教員が貴族のように振る舞い,ものを考えることを求められない事務職員が下僕として仕えることによって,教員と事務職員はもたれ合い,大学は企業にもたれながら運営されていたのである.

(続く)

参考文献

[6]Abegglen, J. C. The Japanese factory: Aspects of its social organization. Free Press.1958.

[7]柴垣和夫「戦後日本資本主義——その再生・発展・衰退——」.鶴田満彦・長島誠一編『マルクス経済学と現代資本主義』.櫻井書店.2015年.

[8]浅野長二. 大学に対する希望.工業教育, 2.1: 24-28, 1954年

[9]経済産業省. 「産業構造ビジョン 2010」,2010年

日本の高等教育機関における教員と事務職員(2)

2 マーティン・トロウのモデルにおける大学経営

日本における高等教育機関の教員と事務職員の問題を考えるための導きの糸として,トロウモデルを取り上げる.大学の未来を占うものとして,盛んにもてはやされたトロウモデルは,今日ではすっかり忘れられた存在であるが,その説明力は,今日でも侮れないものがある.

周知のように,マーティン・トロウは,大学の進学率というたった一つのパラメータだけで,米国の高等教育機関は,エリート型,マス型,ユニバーサル型と進化してゆくとするモデルを構築した[3].1970年代のことである.この時代は,米国はベビーブームが終焉を迎え,高等教育機関も大きな変貌を遂げて行く時期に当たっており,トロウのモデルは,エリート型からマス型に移行して行く米国の高等教育機関の状況を良く説明していた.

ただし,トロウの述べたユニバーサル型については,この時代の米国には本格的には到来しておらず,当時の米国の実状から演繹された予想モデルに過ぎない.このため,その後の米国の高等教育機関の変遷を見た場合,ユニバーサル型におけるトロウの予想は,必ずしも妥当しなかった部分もある.

それでもトロウモデルに魅力があるのは,進学率という単一のパラメータしかない単純なモデルで,多くのことが説明できるという点にある.

2000年代初頭に日本の高等教育機関は,第二次ベビーブームの終焉に伴い急速に18歳人口が減少して行く段階を迎えた,トロウモデルでいえば,ちょうどマス型からユニバーサル型への転換点を迎えたように思われ.この時,単純ながら説明力のあるこのモデルは日本にも適用可能なものとして大いに注目された.ただし,日米の間の環境の違いから,日本へのトロウモデルの適用が必ずしも妥当しなかった部分もあり,さらにユニバーサル型に至っては,モデルの予想とは次第にずれが大きいものとなっていったとしてもやむを得ないところである.近年トロウモデルの取り上げられる機会が減少してきているのも,こうした事情による.

とはいえ,このモデルは,半世紀を経た今でも示唆に富んでいる.日本では主として教育研究の在り方の変貌などについてのモデルの予想が注目される中で,あまり注目される機会は少ないが,大学経営に関するトロウの指摘は,とりわけ考えさえられる点が多い.表1にトロウモデルにおける経営に関係する3つの指摘を示す.

表 1トロウモデルの例

段階

エリート型

マス型

ユニバーサル型

社会と大学の境界

閉じられた大学

開かれた大学

大学と社会との一体化

大学の管理者

アマチュアの大学人の兼任

大学人が専任化

プロフェッショナル

大学の内部運営形態

長老教授による寡頭支配

教員と官僚による支配

学内コンセンサスの崩壊

外部の支配

マーティン・トロウ『高学歴社会の大学エリートからマスへ』(1976年)*1

まず,表1中の「社会と大学の境界」については,大学のオープン化についての予想であり,米国の実状をよく現している.大学のオープン化は,トロウがモデルを構築した1970年代から,米国においてはすでに大きな変貌を遂げつつあった分野である.そして,ユニバーサル型段階おける「大学と社会の一体化」は,2012年にブームとなった大規模オンライン教育コースMOOC(Massive Open Online Courses)等に見られるオープンエデュケーションの活動を予想していたようにも見える.高等教育機関のオープン化は十分な理由があり,高等教育機関にとって価値あるものという認識が米国ではかなり明確である.オープンエデュケーションはその延長上にある.

一方の日本の高等教育機関にけるオープン化は,行政も経営者も,そこに価値を見いだすことができず,さらにはオープンエデュケーションについては,わずかの例外を除いて,ほとんど顧みられることが無い.このため,後に見るように,日本の高等教育機関は折角の機会を失うこととなっている.

次に,表1中に示す「大学の管理者」は,この中では,もっとも示唆的である.まず,エリート型段階における大学経営はアマチュアの大学人がしかも兼任で行っていたとされている.それが,マス型段階では,アマチュアでありながらも専業化が進み,ユニバーサル型段階においては,プロフェッショナルの経営者が登場するとしている.この予想は,米国においては,ほぼ妥当している.今日の米国では大学経営はプロフェッショナルの仕事である.一方の日本においては,エリート型のアマチュアの大学人による経営という点はまさに指摘の通りであるが,今日に至っても,プロフェッショナルの経営者は登場していない.かつて横浜市立大学の学長を務めた経験もある,テンプル大学日本校学長のB・ストロナク[4]は,日本の大学には,経営者としてのプロフェッショナルが不在である事が大きな問題であることを指摘している.

なお,ここで,大学の経営に求められているのは大学経営のプロフェッショナルであって,他の事業ドメインにおける経営者としてのプロフェッショナル経験を問うてはいないという点は明確にしておかなければならない.近年多くの他業界の企業人出身者が高等教育機関のマネジメントに関わるようになってきているが,高等教育機関が価値を生み出すものは何かを理解しない限り,彼らもアマチュアに過ぎない.例えば,上述の「社会と大学の境界」としてトロウが取り上げた高等教育機関におけるオープン化の重要性は,他の事業ドメインとは,目指すべき方向が異なっている.後に述べるように,「自前主義」を前提とした日本的経営に慣れたドメインの経営者にとっては,オープン化が高等教育機関の価値を生み出すということを理解することは難しい.しかし,その理解無くしては,高等教育機関は,大きな機会損失を蒙ることになる.

最後に,「大学の内部運営形態」は,エリート型段階における長老の寡頭支配を指摘するが,この点は日米に共通している.これは大学がアマチュアの大学人により経営されてきたことと関係しており,アマチュアの大学人の兼務という体制の下では,大学運営が長老の寡頭支配になることは,むしろ自然な姿である.その後のマス型とユニバーサル型に対するトロウの説明は,今振り返れば不十分な説明であるが,マス型においては,長老の寡頭支配は無くなるものの教員の支配は続くという説明と考えることが出来る.これは,あたかも,日本における教員と事務職員の関係を示しているように解釈することもできる.一方,ユニバーサル型は,プロフェッショナルによる経営の下で,従来の学内運営は大きな変化を遂げるであろうことを象徴しているようにも解釈でき,現在の米国の状況を予想しているようにも見える.いずれにしても,エリート型における長老の寡頭支配がやがて失われてゆくという点に関しては,トロウの予想通りである.

以上の例に見られるように,進学率という単一のパラメータで,トロウモデルは驚くほど様々な事態を,ある程度の妥当性をもって説明している.ただし,その反面,モデルが単純なだけに,なぜそのような事態が起こるのかについての説明は十分では無い.

トロウモデルが成立する仮説として,高等教育機関の進学率の上昇に連れ,それまで大学を支えてきた国家的な財政支援が膨張し,やがては限界を迎え,その結果,大学に大きな変化が起こるためであるとされている.この説明は,米国にはよく当てはまるが,日本には十分当てはまるとは言えない.近年運営費交付金の削減が,国立大学を衰退させているという問題を日本も抱えるようにはなったが,それでもなお国の支援の上に日本の大学は経営されている.そのような状況にあっても,なお,トロウモデルに妥当性があるとすれば,改めてそれぞれの国における固有の背景を十分に明確にした上で,このモデルを受け止める必要がある[5]

日本における教員と事務職員のあり方について考えるときにも,トロウモデルは,教員支配に関してある程度の在り方を示唆してくれているように見える.しかし,なぜそのような結果が導き出されるかについては,ここに改めて検討しておく必要がある.

(続く)

参考文献

   [3] マーティン・トロウ(天野郁夫,喜多村和之訳).『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』.東京大学出版会, 1976年

   [4]「機敏に自己革新を,外国人教員を教授会メンバーに」.日本経済新聞, 2013年8月11日付

   [5] 有本章.「高等教育の国際比較研究におけるトロウモデルと知識モデルの視点」.広島大学高等教育研究開発センター大学論集. 第 33 集(2002年度), 2003年

*1:本表作成は,「雑記帳」http://d.hatena.ne.jp/ced/20061229/1167407440, 2006年12月29日による

日本の高等教育機関における教員と事務職員(1)

サンチョ・パンサよ,どうやら運命の女神は,われわれが望んでいたよりもはるかに順調に事を運んで下さるとみえるぞ.ほら,あそこを見るがよい.三十かそこらの途方も無く醜怪な巨人どもが姿を現したではないか.

セルバンテス作(牛島信明訳)『ドン・キホーテ』(岩波文庫)

 

梗概

かつての日本の高等教育機関と企業の間には,「新卒一括採用方式」制度を通じた人材養成に関する相利共生の関係があった.このおかげで,高等教育機関は厳しい経済的な競争環境にさらされることも無く,従って経営らしい経営をすることもなく存続し続けることが可能であった.このため,近年に至るまで,日本の高等教育機関の倒産は驚くほど少ないまま推移してきたし,日本の高等教育機関の下にある構成員,すなわち教員と事務職員は,経営に対して余り大きな役割を求められることもなかった.

しかし,そのような時代は過ぎ去りつつある.今や日本の企業を取り巻く経済環境の変化に押され,企業が大学に求める人材に対する要求は年々厳しさを増しており,高等教育機関はその対応を迫られている.今後,歴史的に経験したことのない高齢化社会を迎え,大きな変化を迫られる日本の社会の中で,高等教育機関は,従来のように企業にもたれかかって存続することはできなくなる.

高等教育機関の構成員は,従来の教員と事務職員という区別の枠を越え,自身の組織の生き残りをかけて,各人がそれぞれの専門領域におけるプロフェッショナルとして,経営に大きな役割を果たしてゆかなくてはならない.*1

1 はじめに

日本の高等教育機関の教員と事務職員の間には,厳然とした主と従の関係が存在してきた.高等教育機関における教員と事務職員の問題を先駆的に取り上げてきた研究者の一人である広島大学の大場淳は,米国の事務職員はadministrative staffと呼ばれているのに対し,日本の事務職員については,英語では適切な表現は見あたらないと指摘したことがある[1].文部科学省においても,伝統的に,高等教育機関の職員とは教員のことを指す用語であり,事務職員は「その他の職員」に区分されていたことを考えれば,administrative staffでさえない事務職員という意義はある程度理解されるであろう.

この点,文部科学省が2017年4月の大学設置基準の改正において,「教職協働」を定義することとなったのは,教育行政における,ある種の意識の変化を示している.しかしながら,「教職協働」に定める教員と事務職員の役割と関係を「大学は,当該大学の教育研究活動等の組織的かつ効果的な運営を図るため,当該大学の教員と事務職員等との適切な役割分担の下で,これらの者の間の連携体制を確保し,これらの者の協働によりその職務が行われるよう留意するものとすること.」[2]と定義することには問題がある.教員と事務職員という区別を一旦設けた上で,改めて教員と事務職員が協働するという視点は,教員と職員という上下関係のある区別を無条件に取り込んでしまっているからである.

本稿では,文部科学行政の主導する「教職協働」という視点が,伝統的な日本の経済的社会的な背景に根ざした高等教育機関の運営の在り方に由来するものである事を明らかにするとともに,これからの高等教育機関の経営は,「教職協働」という伝統的な発想にとらわれた体制では実現できず,教員と職員は,それぞれプロフェッショナルとして経営に独自の役割を果たすことにより実現されるはずであるという点を明らかにしておきたい.

なお,以下では,コンテキストによって「高等教育機関」と「大学」という用語が混在する.厳密には,高等教育機関は大学を含む少し広い概念であるが,本稿では,特別な場合を除き同じ意味を持つ.

(続く)

参考文献

     [1]大場淳. 「大学職員の開発−専門職化をめぐって」. 広島大学高等教育研究開発センター『高等教育研究業書 (105)』, 2009年.

     [2] 文部科学省高等教育局長.「大学設置基準等の一部を改正する省令の公布について(通知)」,28文科高第1248号, 2017年 

*1:このエントリは,雑誌『私学経営』2018年5月号に掲載された「教員と事務職員のこれから —「教職協働」の甘美な夢 —」に加筆訂正したものである.