6 教員と事務職員の夢から現実への道
ここまで見てきたことをまとめれば,日本の大学は,新卒一括採用と自前主義により運営されてきた.これは日本的経営を採用する企業にもたれてこそ実現できた運営方法であった.これからの日本の大学は,同じような運営を維持することはできない.日本的経営が限界を迎えている一方で,超高齢化社会は目の前に迫っており,18歳人口は減少の一途を辿っている.日本の大学は今後どこに活路を見いだすべきかについて考える時期に来ている.
日本の大学が第一に達成すべき課題は,既に見てきたよう企業の新卒一括採用方式に依存した仕組みからの自立である.将来を見据えた場合,企業はいつまでも新卒一括採用方式を維持することはできない.このために.日本の大学としてできることは,学生の卒業後の進路について適切なポートフォリオを持つことである.現状の新卒一括採用方式は否定できないが,多様な進路が用意されているべきである.その具体的な手段をグローバル化の中に見いだすことができる.世界の企業や大学院進学などへのステップは,今後の大学経営にとって見通しておかなければならない.
第二の課題は,多様な入学者の確保である.卒業後の進路の多様化を前提にすれば,日本の18歳人口の変動に一喜一憂する必要は無い.多様な卒業後の進路を前提に,多様な入学者を確保することになる.すなわち,世界各国からの入学者を確保し超高齢化社会での生涯学習の機会を生み出すことである.
この二つの課題は,日本のどの大学にとっても十分に理解されている課題であるにも関わらず,多くの日本の大学はこの課題の解決の達成に時間を要している.しかし,それ故に,ここには,競争を勝ち抜くための多くのチャンスが眠っている.そのチャンスを掘り起こすのが,大学の構成員であり,従来の区別で言えば教員と事務職員である.
そのためになすべきことは,ここまで検討してきた大学の構成員の状況を踏まえれば,(1)プロフェッショナルの経営者により,(2)教育研究に専念するスタッフを配し,(3)non-academicの分野では,分野毎にプロフェッショナルのスタッフを配するという3つの対策である.以下では,この3つの対策を見ておくことにしよう.
6.1 プロフェッショナルによる大学経営
プロフェッショナルの大学経営者については,日本において人材がいないという意味では無いことに注意すべきである.大学運営に巧みな経営者は,現に多く存在している.しかしながら,ストロナク[4]が述べたように,そうした人材を大学運営のプロフェッショナルとして認める環境が存在せず,そのような分野がある事も自覚されないところに問題がある.このため,アマチュアの経営者とプロフェッショナルの経営者が区別なく扱われ,プロフェッショナルの経営者による大学運営が成熟してゆかない.プロフェッショナルの大学経営者を活用できる市場も形成されない.
それゆえ,各大学において求められていることは単純である.大学の経営者は,プロフェッショナルの仕事であるという価値観を共有し,理事長,学長による現在の大学経営を,巧拙はあれどもプロフェッショナルの仕事として認めるだけである.「学長は,大学経営のプロフェッショナルである」という構成員の意識は,それだけで,経営に変革をもたらす.それによって大学の構成員である教員と事務職員のありようも変わる.
6.2 大学の運営
私立大学の運営は,伝統的には,トップダウンに徹した「理事長主導型」とボトムアップの意思形成を尊重した「教授会主導型」のスタイルに分類されると言われて来た.いずれのタイプも共通しているのは,トップと構成員の間のコミュニケーションの不足である.これに対し,ストロナク[4]は,大学経営においてのコミュニケーションの重要性を指摘する.
トップの理念を,構成員が良く理解し,チームワークで理念の実現に向けて進むための努力が,大学の運営に限らず,どの事業ドメインにとっても不可欠であることは言をまたない.しかしながら,大学経営に十分精通していない経営者の場合,その必要性を痛感したとしても,どのようにしてそのようなコミュニケーションを図るかについての技量が十分ではなく,運営に苦労することになる.古いタイプのマネージャーは,こうした場合,勤務時間外の懇親でコミュニケーションを取ろうとするが,現代においては,そのような試みが成功することはない.
日本の多くの私立大学が独特であるのは,組織内のコミュニケーションの不足を補うこと無く,あるときは,理事長の一方的な意志決定により物事を進めて失敗するか,また別の時には,教授会の意向を尊重して,結局何も物事が進まないか,常にどちらかであることにある.大学運営のプロフェッショナルであれば,こうした問題の解決の糸口をみつける技量を持っている.実際に,そのような大学のベストプラクティスは多く存在している.
6.3 教育と研究
現在の日本の大学は,大学運営のプロフェッショナルという認識が薄いため,本来は教育研究に専念すべき研究者も,大学運営に多くの時間を奪われている.従来の意味での教員は教育と研究のプロフェッショナルなのであり,その業務に専念すべきである.
また,研究者が研究のための時間を確保するためには,教育に専念するスタッフも考えるべきである.南ニューハンプシャー大学の例に見られるように,教育に専念するスタッフは,研究業績に追われること無く教育に専念できる[26].プロフェッショナルとして教育に専念することは,研究に専念する研究者には無いプロフィットがある.
日本の大学においても,教育への取り組みは変化を遂げつつある.例えば,一部の講義を語学学校へアウトソーシングする動きは,いくつかの私立大学で見ることができる.また,教育の態様によっては,従来の意味での教員が担当する必要の無い分野がある.例えば,コンピュータスキルの不足する学生への学習支援などは従来の意味での事務職員が担当する場合もある.このように教育の分野では,すでに従来の教員と事務職員という意味合いが,少しずつではあるが失われつつある.しかし,これらの動向は,なし崩し的に行われている例が多く,紆余曲折の果てにいつの間にか旧来の体制に復古してしまう事例も多い.大学運営上の明確な意志決定によって,教育に専念するスタッフの在り方を決定する必要がある.
一方,教育に専念するスタッフの存在により,研究に専念する教員は,一部の教育を分担しながら,研究のために一学期をまるごと割り当てるような方策も採ることができる.近年日本の研究論文数の減少に対する懸念が取り上げられることが多いが,研究者に自由な時間を確保することは,かつての高度成長時代のような自由な研究環境を提供することを可能にする.
6.4 Non-academicのスタッフ
研究教育を取り巻く,non-academicな大学運営のスタッフは,コア業務に集中すべきであり,ノンコア業務はアウトソーシングなどに任せるべき分野である.Non-academicな大学運営上のコアは,比較的単純であり,アドミッションオフィス,IR業務,キャリア支援の3業務である[32].これらを担う構成員は,それぞれの固有の専門的な技能を必要としており,しかも,常に環境変化にさらされ,新しい技術を習得しなければならない.
アドミッションオフィスは,本来的には入試問題の作成から合格者を確定する作業を含む,入学までの多様な業務を含んでおり,大学の基本的な収入を支える業務である.従来の考え方で言えば,入試問題を作成したり採点したりすることは教員の仕事であったが,慎重を要する業務を教育と研究を専業とするはずの教員が片手間でやるべき仕事ではない.専門のスタッフが対応すべき仕事であり,そのスタッフが入試に関するプロフェッショナルであり,研究者であることが求められる.つまり,従来の教員の一部がアドミッションオフィスのスタッフとなる.あるべき姿を見据えれば,この部門では,従来の教員と事務職員という区別は殆ど意味を満たない.
IR業務については,すでに研究者が,専任スタッフとして行う大学がある.現状では,このような要員は特任の教員としての身分が与えられていることが殆どである.今後は,従来の教員の身分にこだわること無く,あえて従来の区別で言うならば事務職員として研究者が携わることが自然である.
最後に,キャリア支援は,すでに見てきたように,高等教育機関が従来の新卒一括採用方式にもたれかかったキャリア形成から脱却し,多様なキャリア形成を視野に入れるために大きな転換を要する分野であり,急速に変化する社会状況を常に認識し,グローバリゼーションを踏まえた施策を提案できる立場になければならない.そのためには,就職指導のような泥臭い業務に加えて,調査研究にも時間を割くべきであり,調査研究スキルを身につけたスタッフが配置される必要もある.
以上,三つのコア業務についてスタッフの在り方を見てきたが,いずれの場合も,従来の教員が関わってきた業務を教育研究から切り離し専業化させることで,高等教育機関の本来の姿である教育研究のために多くの時間を提供することになるという点で共通している.教員と事務職員という区別を捨て去ることが,大学経営を柔軟にし,成長可能な大学を作り上げる.
6.5 大学のスタッフのあるべき姿
以上の検討から,今後の大学において必要とされる人材は,およそ次のようなものになるはずである.
第一に,Non-academicのコア業務に携わるスタッフには,博士の学位を持ち海外とのコミュニケーションに不自由のない語学力のある人材が求められている.
第二に,大学のスタッフは,研究教育を含むどのような業務であれ,海外からの優秀な人材を雇用できる体制を組む必要がある.この点は,ストロナク[4]が特に強く求めていたことでもある.大学内の公的言語は,英語とするような取り組みは,すでにいくつかの大学において実施されているが,今後は高等教育機関での一般的な姿になってゆくべきである.
こうしたスタッフを確保するために,スタッフに対する適切な処遇が必要である.南ニューハンプシャー大学において,教育に専念する教員は出来高払い制になっていることを紹介したが,日本においては,日本的経営から脱却し終身雇用制度から任期制への転換を実現することも重要な要素である.教員においては,すでに任期制については浸透しつつあり,教員に限らないすべてのスタッフが任期制とする大学もあるが,大学の雇用形態の一般的な姿になるにはまだ時間を要する.雇用形態の柔軟な運用を実現するためには,経営者の一方的な意志だけでは実現できず,スタッフとの丁寧なコミュニケーションを取ることが求められる.
一方,海外からの雇用を前提とした取り組みは,全てのドキュメントを多言語対応にするな,公用語を英語にするなどの多くの労力を必要とする作業もあるが,企業にも大学にもすでに多くの前例がありことでもあり,経営者の意志決定さえできれば,さほどの時間を要しないはずである.
これからの大学経営においては,教職協働という概念が入りこむ余地はない.教育を担うスタッフが,従来の事務職員である事もあれば,non-academicな業務を従来の教員が担うこともあれば,スタッフ同士の協働も必要である.しかし,教員と事務職員という区別は,大学がアマチュアの経営者によって経営されていた時代の残滓であり,その区別に基づいた教職協働という概念は,大学経営に利益をもたさない.
6.6 自前主義からの脱却
日本の高等教育機関は,オープン化への取り組みがなかなかできない組織であった.これは日本的経営の下にある企業と同じようなスタイルで自前主義を貫いてきた結果である.
大学は,国からの助成を受け,多くの優遇措置を受けた上で経営されている.そのために,社会への還元が求められていながら,日本の大学はなかなかそれに応えることができずにいる.オープン化はそれに応える機能を果たすだけではなく,他の事業ドメインと異なり,高等教育機関のオープン化への取り組みは,しばしば大きな利益をもたらす.すでに見たように大学間の取り組みが,大学連携である限り,大学間の利益や思惑を巡っての利害調整に多くの時間を費やし,思った成果を上げることができない.一方,大学におけるオープン化の成果は,米国に多くの事例を見ることができる.
これに対し,日本においてオープン化への取り組みが弱いのは,自前主義の呪縛に捕らわれているからである.もし,高等教育機関におけるオープンプラットフォームが提供され,大学が自前主義を捨てて,積極的に成果をオープンプラットフォームに提供するような意志決定ができれば,多くの成果が期待できることは,米国の大学のいくつかのケースが示している.
今後の日本の大学が生き残りをかけて競争しなければならない時代が来る,その時代においても大学に求められていることは,大学のオープン化への取り組みであり,その成否が大学の存亡を決定する.
6.7 私学の未来
アラン・ケイはかつて「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創り出すことである」[33]と述べた.この言葉は文部科学省でもしばしば引用されている[34].文部科学省は,これによって,私立大学は,国の支援に頼ること無く,自立して新しい道を切り開いて行くべきであるという示唆をしている.実際,今後の厳しい経営環境の下では,私立の大学経営が進む道は創造力に満ちたものでなければ,生き残ることはできない.そのためには,大学経営の在り方を根本的に見直す必要がある.その時,国を頼ることはできない.文部科学省は,多くのステークフォルダーを抱え,その利害調整に苦慮しながら,恐らく最善と思われる政策を実施している.しかしながら,それを個別の私学に無理矢理適用することには,自ら限界がある.
国立大学は,こうした文部科学省の政策に大きく左右されることは避けることはできないが,私学はより自立した道を歩むことができる.そこに大きなビジネスチャンスもある.希望のある未来は,私学経営に託されている.
(続く)
参考文献
[4] 「機敏に自己革新を,外国人教員を教授会メンバーに」.日本経済新聞, 2013年8月11日付
[26] Steve Kolowich, “Southern New Hampshire U. Designs a New Template for Faculty Jobs.” THE CHRONICLE OF HIGHER EDUCATION, MAY 08,2014. https://www.chronicle.com/article/Southern-New-Hampshire-U/146443, Last access January 8, 2018. 2014
[32] Birnbaum, Robert. Management fads in higher education: Where they come from, what they do, why they fail. Jossey-Bass, 2000.
[33] Alan Key. A powerful idea about ideas. TED2007. https://www.ted.com/talks/alan_kay_shares_a_powerful_idea_about_ideas, Last access January 8, 2018. 2007
[34] 中央教育審議会.「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」.文部科学省.2014年.