Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日本の高等教育機関における教員と事務職員(5)

5 オープン化を拒む日本

ここまでは,日本の高等教育機関の構成員についての言わば通時的な課題を考察してきた.この課題を解決するためには,同時に,今日の共時的な課題,すなわち,日本の大学は,世界の大学の一部を構成しているという,日本の高等教育機関を取り巻く現状を見ておく必要がある.

既に見てきたように,日本の経済的社会的な仕組みは,自前主義によって成功を収めてきた.その成功体験を背景にして,大学もまた自前主義の中にある.日本の高等教育機関は,アジアの中では例外的に母語での教育を行えることは誇るべき事だという指摘はその通りだとしても,今日の世界の高等教育機関の中での孤立を招く一因にもなっている.ここでも,長所は,同時に短所にもなる.

この場合の最大の問題点は,目の前にある折角の資源を見逃し,自前主義の下では決して気付かれることのない機会損失を発生させていることにある.

ここでは,その一例として,オンライン教育について見ておくことにしよう.

5.1 米国のオンライン教育に見るオープン化の取り組み

オンライン教育には過去に2つのブームがあった.北米においては,第一のブームは1999年から2001年にかけてのe-learningのブーム[17]であり,第二のブームは2011年から2013年にかけてのMOOC(Massive Open Online Courses)である[18].

第一のブームであったe-learningは,講義資料や講義映像のオンライン配信,オンラインテストやオンラインフォーラムなど,教室で行われてきた講義をオンライン化するものであり,高等教育機関は,経済的に成功することはなかった.しかし,ブームが去ったあとも,大学におけるオンラインの受講者数は増加の一途を辿っていた [19].これには,米国の高等教育機関が,国からの財政支援が途絶え,収益構造を確保するための新たな道を模索する必要に迫られたという側面もあるが,同時にまた,教育のオープン化,すなわちオープンエデュケーションは大学に利益をもたらすものであると捉えているからである.このため米国においては,e-learningブームのあと,この仕組みを利用して,それまでは大学の中に閉じられていた,講座をオンラインで公開するOCW(Open Course Wear)を展開して行くことになった.OCWも経済的な成功は必ずしも収めなかったが,それでもオープンエデュケーションに対する大きな期待は止むことは無かった.

この点は,e-learningへの高等教育機関の取り組みが一貫して低調だった日本とは大きな差がある.この時期に米国の大学はオンライン教育について多くを経験し,日本の大学はほとんど学ぶところが無かった.日本では,オンライン教育は,手間のかかる割に効果の無いものという受け止め方がなされていた.米国でのOCWの活動は,日本ではJOCW(http://jocw.jp/jp/)の活動によって継承され,MOOCのブームは,JMOOC(https://www.jmooc.jp)の活動によって日本に初めて紹介された.いずれの場合も,日本は米国以上の熱心な活動が展開されてきたにも関わらず,オープンエデュケーションに対する日米の認識の差が,投資意欲の大きな差になってあらわれており,人一倍苦労の多い活動を強いられている.

以上の経緯から,自前主義の課題をみるために,オンライン教育は好例となる.そこで,日本の自前主義を見るために,まず米国の二つのケースを見ておくことにしよう.

5.1.1 MOOCとオープンエデュケーション

MOOC(Massive Open Online Courses)は,OCWの活動とは一応独立しており,元々は,カナダの大学に起源を持つ取り組みであったが,オープンエデュケーションに対する意識はOCWよりもさらに強かった.OCWは単に,講義を公開するだけであったが,MOOCは,講義そのものをオンラインで行い,修了証も発行するという大胆な活動だったのである.

2012年に,スタンフォード大学,ハーバード大学,MITなどが参入して,ブームとなり,この年は”The year of the MOOC”[20]と呼ばれるまでになった.このブームの最初のきっかけは,当時スタンフォード大学の教授であった,Sebastian Thrunが体験したことであった.

彼は,あるとき,自らのスタンフォード大学の講義をオンラインで公開した,対面で授業をしながら,同時にMOOCとよばれるオンラインにもこの講義を公開し,学期末の試験をどちらも受けることができるようにした.対面授業を受講したのは,スタンフォード大学の学生200名である.その結果は,驚くべきものであった.成績上位者には対面で受講したスタンフォードの学生はいなかった.なんと上位412位までが,オンラインコースだけを受講した学外受講者だったのである[21].オンライン教育の威力を革新したThrunは,オンライン教育の会社Udacity™を創業することにした.MOOCブームはここから始まったのである.

Thrunはその時は気がつかなかったようだが,オンライン教育では,そのような現象はしばしば観察される.オンライン教育が対面授業以上に高い成果をあげる事があるということは,オンライン教育の専門家の中では,比較的知られている事実である.例えば,日本においても,Thrunの経験よりずっと以前に,ほぼ同様の結果を得た結果がある[22].また,図6は,毎年度全米の大学の教員に向けて行われている,オンライン教育に関するアンケート結果の経年変化を示している.この結果から,オンライン教育は対面講義より劣っているという見解は年々減少し続けており,近年は全体の3割に留まっていることがわかる.また対面以上の効果があるとする見解も一割に届いていることがわかる.Thrunの経験は,彼が最初というわけではなかった.

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図 6オンラインと対面講義の間の教育効果に差はあるか(文献[23])

最終的には,2017年になって,Thrun自身が,MOOCは終わったと宣言した[24]ように,MOOCの活動は,Thrunの思った方向に向くことができなかったが,それはオンライン教育の終わりを示しているのでは無く,むしろオンライン教育が,次の段階に進みつつあるという積極的な宣言なのである.

5.1.2南ニューハンプシャー大学とオープン化

オンライン教育はオープンエデュケーションという方向だけを向いているわけでは無く,高等教育機関により直接的に大きな利益をもたらすものとしても期待されている.その典型的な例が,米国南ニューハンプシャー大学にある.

米国南ニューハンプシャー大学は,1932年に設立された歴史のある大学ではあったが,学生数が五千人に満たない小さな大学であり,小さな大学であるがゆえの経営難に見舞われていた.そこで,2003年に学長に就任した,Paul.J.LeBlancは.この状況を改善すべく,大規模なオンライン教育の仕組みを導入した.ここで一つ注意すべき点は,オンライン教育を単なる通信教育として位置付けることとしたのでは全く無く,コース設計から教員の働き方まですべてをオンライン教育のために徹底的に見直したところにある.

まず,評価方法を見直した.コンピテンシーモデルに基づくダイレクトアセスメントの導入である.コンピテンシーモデルでは,学習時間を一切評価せず,学習者のスキルだけを評価し単位を発行する. これは,学習者にも大学にも大きなメリットがある.学生は,講義回数などの量的な制約を受けること無く,短期間での卒業が可能になる.大学は,カリキュラムを小さく分割したコンピテンシーセットで構築することで,同一の講義で多様な学位に対応することが可能になる.すなわち,講義の使い回しが容易になる.

また.大学側での教育活動は一切行われないため,人的コストは最小限に抑えられる.南ニューハンプシャー大学では,オンキャンパスの学生は,今でも五千人を下回っているが,オンラインの学生は7万人を越えている,また,教員数は150人程度で,オンライン教育を開始する前と殆ど変わっていないことからも,経済効果の大きさをうかがい知ることができる.

この結果は,学習者にも大学にも大きなメリットがある.学生は,講義回数などの量的な制約を受けること無く,短期間での卒業が可能になる.大学が学生に求める学費は,相当に低額なものとなる.学費の高騰に悩む米国では,このような大学は政府からも支持され,2013年3月には,当時のオバマ大統領から,南ニューハンプシャー大学に対して,賞賛が与えられた[25].これに呼応して,米国教育省は,コンピテンシー・ベースのプログラムにも学費援助を認めることとし,南ニューハンプシャー大学がその最初の例になっている.

教員の処遇も見直された.オンライン教育に携わる教員は,講義の数に基づく歩合制とした.一通りの講義数をこなすと,オンキャンパスで教える教員と同等の給与水準となるように給与体系は設計されている[26].オンライン教育は,学習者の主体性が決定的であり,教員は,かつてのように教壇に立つのではなく,学習者の背景に退いて,学習者の求めに応じてコーチングやアドバイスをする.その教員を適切に管理するスタッフが,あえて日本的に言えば事務職員と言うことになる.

最後に,米国では,オンライン教育は単独の大学の中で孤立して存在しているわけでは無い.南ニューハンプシャー大学が徹底的に見直した.講義方法については,そのために適切な教育方法が検討され,多くのスキルアセスメントが出されている.例えば,Council for Aid to Educationでは,職業準備度や学生レベルを測るCollegiate Learning Assessment(CLA+)を開発した.また, Educational Testing Service (ETS)は,学生に学習に関する電子証明書を導入している.さらに, ACT Inc.は,WorkKeyというスキル評価システムを開発している.また,そうした活動に対する投資も寄付も盛んである.例えば,ゲイツ財団は,コン「ピテンシー・ベースの教育プログラムを開発するカレッジに対して100万ドルを助成している
[27].

このように多様なリソースが公開されているのは,米国の各大学がそれぞれの成果をオープンにしていることによって実現されている.日本では見ることのできない仕組みであるが,それでもなお,米国のオンライン教育の研究は相互に孤立しており,もっと相互の成果を活かすべきだという批判さえある[28].

大学は,成果をオープンにし,相互の成果を活かすことで相乗効果が生まれる.これがオープン化を大学経営の中で重視する理由になっている.

5.2 日本の自前主義

日本では,古くからの通信教育の歴史がある.通信教育は,高等教育機関の進学に恵まれない学習者達のセーフティーネットとしての機能を果たしてきた.そのため,安価な学費と懇切な指導により成立してきた.今日において,このような高等教育機関のビジネスモデルは厳しい位置にあり,伝統的な高等教育機関の通信教育は,その歴史を終えようとしているものが多い[29].同じような観点からオンライン教育を考えると,とても投資に見合った成果をあげることはできないことは確かである.

オンライン教育は,従来の教育とは全く異なったアプローチが求められている.教育方法について言えば,ダイレクトアセスメントは,オンライン教育にとって大きなメリットがある.しかしながら,日本には授業時間の遵守などの多くの量的な制約が存在し,ダイレクトアセスメントへの道のりは険しい.米国では,南ニューハンプシャー大学がまず道を開き,国がそれを追認するというアプローチを許したのであり,同じ事は,日米の制度的な相異を乗り越えて,日本にあっても良いはずである.

また,ダイレクトアセスメントのためのスキルアセスメントのツールや,コンピテンシーモデルの研究などが不可欠となる.しかし,そこに,米国のようなオンライン教育のための豊かな支援は無い.教員と事務職員の関係も南ニューハンプシャー大学の例にあるように,大きな変革が不可欠である.しかし,日本の雇用慣行の中では,実現の難しい部分がある米国の成果を活かそうとしても行政との折り合いがつかない.

それでも,日本において,フルオンラインの大学はいくつか創設され,あるいはオンラインのコースを開設する大学もある.これらの大学では,オンライン教育で成果を上げるために,資金の限られた中で,教育方法の開発や,教員と事務職員との関係の改革に取り組むことを求められている.そのためには,結局独自の工夫を強いられ,やがては自前主義が必要となる.日本において,自前主義の陥穽から抽け出ることは容易なことでは無い.

以上は,オンライン教育を一つの例にとったに過ぎないが,日本の自前主義からの脱却が求められている好例となっている.世界の大学がオープン化に向かっている中で,日本の文化的な背景が,自前主義に傾斜しているため,日本の大学も自前主義の大きな制約を受けている,日本の大学が,日本的経営に根付く自前主義を抜け出して,オープン化への道を見いださなければ,オンライン教育の例に象徴されるように,成功するために多くの労力が必要になる.

5.3 大学連携という陥穽:Unizinの苦悩

大学のオープン化に類似するものに大学連携の取り組みがある.日本の高等教育機関では,広く成果をオープンにするという方式よりも限られた範囲での連携が好まれる.しかし,大学連携のベストプラクティスはなかなか出てこない.この事情は.米国でも変わることは無い.2014年にオンライン教育変革をもたらす活動として大きな期待を持って始められた大学連携プロジェクトであるUnizin[30]は今日までのところ,あまり大きな成果を出せずにいる.経費分担を巡る各大学の対立から責任者の入れ替わりなどもあり,内部に困難を抱えていることが,外部からもうかがい知ることができる[31].

大学連携は,各大学の思惑や利益配分を巡っての対立など大学間の立場の相異が先鋭化しやすく,成功するまでには多大な努力を必要とし,さらにそれを維持するためにも多くの苦労を費やすことになる.これに対して,オープンなプラットフォームに自由に各大学が成果を提供できる環境があれば,各大学の思惑によらず,プロジェクトを推進できる可能性はずっと高くなる.大学連携との相異は,オープン化の価値をよく示している.

 

(続く)

参考文献

[17] Chandira Punchihewa. “Introduction to e-learning”. Your e-Learning Tutor: Introduction to e-learning.URL: https://knowelearning.wordpress.com/tag/hype-cycle-of-e-learning/, Last access January 8, 2018. 2013

[18] Li Yuan. “MOOCs and Higher Education: What is next? “, Cetis Blogs, URL: http://blogs.cetis.org.uk/cetisli/2013/06/25/moocs-and-higher-education-what-is-next/, Last access January 8, 2018. 2013

[19] Webster University Online “Trends in Online Learning”, http://websteruonline.com/trends-in-online-learning/, Last access January 8, 2018. 2015

[20] Laura Pappamo. “The Year of the MOOC”, The New York Times, Nov. 2, 2012. http://www.nytimes.com/2012/11/04/education/edlife/massive-open-online-courses-are-multiplying-at-a-rapid-pace.html, Last access January 8, 2018. 2012.

[21] Derrick Harris. “Udacity founder: MOOCs can help the economy, even if they can’t replace college”. https://gigaom.com/2014/01/25/sebastian-thrun-moocs-can-help-the-economy-even-if-they-dont-replace-college/, Last access January 8, 2018. 2014.

[22]小野成志.「e-ラーニングTIESの体験」.教員と職員のこれから.https://www.slideshare.net/SeishiONO/from-now-on-faculty-and-administrative-staff,2018年1月8日閲覧,2017年

[23] ALLEN, I. Elaine; SEAMAN, Jeff. “Online Report Card: Tracking Online Education in the United States”. Babson Survey Research Group, 2016.

[24] John Warner. “MOOCs Are "Dead." What's Next? Uh-oh”. Inside Higher Ed. October 11,2017. https://www.insidehighered.com/blogs/just-visiting/moocs-are-dead-whats-next-uh-oh, Last access January 8, 2018. 2017

[25] The White House Office of the Press Secretary, “FACT SHEET on the President’s Plan to Make College More Affordable: A Better Bargain for the Middle Class”. https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2013/08/22/fact-sheet-president-s-plan-make-college-more-affordable-better-bargain-, Last access January 8, 2018. 2013

 [26] Steve Kolowich, “Southern New Hampshire U. Designs a New Template for Faculty Jobs.” THE CHRONICLE OF HIGHER EDUCATION, MAY 08,2014. https://www.chronicle.com/article/Southern-New-Hampshire-U/146443, Last access January 8, 2018. 2014

 [27] 船守美穂.「Post MOOC 時代の大学教育―オンライン教育を取り入れた教育の質向上の試み」.NPO法人CCC-TIES 報告集 vol.6,TIES シンポジウムオープンエデュケーションに直面する日本の大学 −Post MOOCとCHiLOの可能性−, http://www.cccties.org/wp/wp-content/uploads/2014/11/p20140614_TIESsymposium_v1.0.pdf,2018年1月8日閲覧,2014年.

[28] Martin Weller. “Mapping the open education landscape”, The Ed Techie, November  9, 2017. http://blog.edtechie.net/oep/mapping-the-open-education-landscape/, Last access January 8, 2018. 2017

[29] 榊原康貴.「大学通信教育とオープンエデュケーション」.ViewPoint,Vol14,CTCアカデミックユーザーアソシエーション,2014年

[30] Feldstein, M. “Why Unizin is a Threat to edX”. Re-trieved from e-Literate: http://mfeldstein. com/unizin-threat-edx, Last access January 8, 2018. 2014.

[31] Phil Hill. “Unizin Updates: A change in direction and a likely change in culture”. E-Literate: https://mfeldstein.com/unizin-updates-change-direction-likely-change-culture/, Last access January 8, 2018. 2017