Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日本の高等教育機関における教員と事務職員(4)

4  夢見る教員と事務職員

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図 2 名目GDPおよび同成長率の推移(文献[10])

 

日本的経営は,経済成長を前提として成立していた.ところが,日本はバブル崩壊とリーマンショックによって突然に高度成長時代の終わりを迎え,今日,「失われた10年」はいつの間にか20年を越えて長い低成長時代を迎えている(図2).明治時代以来とも言える成長モデルに支えられてきた企業戦略は,ここで歴史上初めての大きな転換点を迎えることになった. この結果,日本的経営を支えてきた企業も大学も行き詰まりを迎えることとなった.

4.1 低成長から立ち直れない日本経済

低成長時代になると,今まで様々な点で優位に働いてきた日本的経営はマイナスに働いてゆく.高度成長というゲームから低成長というゲームに日本経済がゲームチェンジしたとき,企業は,百年にわたって醸成されてきた日本的経営を捨てて機敏に変化することができなかった.「出る杭は打たれる」事を前提とした垂直統合・自前主義は,高度成長を促進できていたことと同じ理由で,低成長を促進する.成長を目指して,抜け出そうとする小さな企業は,大企業だけで無く,横並びに拘泥する同規模の企業にも「出る杭」として打たれてしまう.大企業が成長に苦しんでいるときに,米国でGoogle™やFacebook™が成功したように,小さな企業が世界的な企業に成長することによって経済成長を牽引するようなモデルは,日本的経営の中では成立し得ない.日本の長い成長期の長所は,ここにきて短所に転じた.このため,低成長時代の日本的経営の中でなし得ることは,守りの戦略であり,有利子負債の圧縮,コスト削減と内部留保の昂進等である(図3).

 

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図 3 内部留保率と経済成長率、資産増加率の推移(文献[11])

 

もちろん,日本の企業は,こうした事態を良く理解しており,守りから攻めに転じるための努力をしようと試みている.しかしながら,日本的経営の長年にわたる成功体験は,根本的な変革を難しくしている.とりわけ新卒一括採用方式は,企業にとってというだけでは無く,直接の人事担当者にとって,効率の良いシステムであり,それを捨て去ることは,人事制度の根本的な変革を伴うことになるばかりか,日本的経営を根本的に見直す必要があるため,変革には時間を要している.

新卒一括採用方式についていえば,通年採用などの新しい人事採用政策は加えても,他方で新卒一括採用方式を中止することは,容易にはできない.むしろ,新卒一括採用方式を維持しつつ,そこにやってくる人材が即戦力であるようなモデルを追求する.高度成長時代のように,終身雇用制度を前提にした,手厚い教育をする余裕が企業の側で失われてしまったためである.企業から大学へ即戦力を強く求めるようになったのは,日本的経営の負債に苦しむ企業の悲鳴でもある.

4.2 低成長に戸惑う大学経営

高等教育機関に目を向けると.この時代の高等教育機関は,低成長の経済という実状以外にもう一つの課題を抱えていた.18歳人口の長期的な減少である.ただし,高等教育機関の在学生だけで見るならば,18歳人口の減少に呼応するように進学率が向上したため,最近に至るまでは,本格的な学生数の減少に悩むような状況には無かった(図4).

 

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図 4 各高等教育機関の在学者数の推移(文献[12])

 

ところが実際には,限られたパイを取りあう中で,各大学によって在学生数には大きな偏りがあり,比較的規模の大きな大学は学生数を確保できることが多かったのに対し,学生数の増減に敏感な中小規模の大学の中には,恒常的な定員割れに悩む大学が多いという現象が起きた(図5).

さらに,学生数減少に悩む大学は,学生数の減少に応じて定員も減らさざるを得ず,それでもなお定員を満たさないという現状に悩む大学もあり,単なる定員割れということからは窺いきれない深刻な状況がここには隠されている.これは,観点を変えてみれば,大学間の競争環境が整ってきていると見ることもできる.

しかしながら,現実は,経営困難な大学は,公的な支援などに支えられているため,支援が無ければ本来は整理されているはずの大学でも,経営状態が苦しいながら,存続し続けることができる.つまり,私立大学は,自由な経済競争のもとにあるわけではない.その歪みは,数多くの大学が定員割れでの運営を余儀なくされるという形で現れている.2017年12月31日の読売新聞では,独自の調査として,大学を抱える法人のうち17%にあたる112の法人が経営困難な状況にあると報道されている[13].これらの経営困難な法人と他の多くの私立学校法人がともに定員割れを甘受することで,大学の倒産は回避されている.垂直統合・自前主義方式でも見られた日本の文化に根ざす「横並び」を重視する考え方が,ここにも活きている.

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図 5 2017年度規模別入学定員充足率(文献[14])

 

このような重い課題を抱えながら,この時代の大学は,低成長下においてコスト削減に励む企業からは教育研修コスト削減に資するための一環として,即戦力の人材,国際化へ対応できる人材などを求められた.文部科学行政も企業の要請に応えるために,大学設置基準等の誠実な履行を高等教育機関に求めた.具体的には,開講授業あたりの講義回数の遵守やガバナンスの強化などである.文部科学省からすれば,従来の設置基準等を満たせば,十分企業からの要請にも対応できるという判断がそこにあった.企業と行政の求めていることは,形式的にみれば誤った判断では無かったが,大学の現に抱えている問題を顧慮してはいない.

4.3 教職協働という泡沫の夢

企業と行政から様々の課題を与えられた大学の構成員は,「アマチュア経営者」と「教育に未熟な教員」そしてその下に位置付けられた「ものを考えることを求められたことの無い事務職員」しか存在しない.要求されることと,要求を実現するために与えられた人的資源には大きな乖離がある.年に数回しか講義をしない教員に,決まった回数の講義をしなければならないと迫ったところで,教育効果が上がるわけでも無い.ガバナンスを手にしたアマチュア経営者は,高等教育機関として不可欠な機能には無関心で,短期的な経済収入にだけ関心を持つことしかできず,大きな成果を上げたかも知れない教育機関を衰退させて行く.ものを考えることに慣れていない事務職員に考えることを要求してもその要求にはとても応えられるものではない.

このような大学にあって.教員と事務職員という上下関係を前提にした「教職協働」を求めても,ドン・キホーテが従者サンチョ・パンサを伴って風車に突進するような愚かな結果しか生まれてこない.

もちろん,人的資源に恵まれた大学での教職協働のベストプラクティスは存在する[15].教職協働で成功している大学については,何も気に病む必要は無い.しかし,教職協働に必要な資源が不足し,教員と職員の間に旧態依然とした上下関係を維持する大学では,ただちに困難に遭遇する.資源が絶対的に不足し,的確な情報分析が欠如しているところに,精神論で問題解決を迫るアプローチは,「失敗の本質」の一つである[16]. 教職協働を大学の質保証にまで組み込み,すべての日本の大学に教職協働の進捗のチェックを求めることになれば,失敗の本質に足を踏み入れることになる.

 

(続く)

参考文献

[10] 参議院経済産業委員会調査室.「日本経済の変遷と今後の成長確保策としての支柱」.経済のプリズム, No111, 2013年

[11] 佐藤真人. 「戦後日本の資本蓄積と内部留保」. 關西大學經済論集, 65(3): 251-281, 2015年

[12]文部科学省.「高等教育の将来構想に関する基礎データ」.中央教育審議会大学分科会(第135回)配付資料,資料1-2,2017年

[13] 「私立大112法人が経営難、21法人は破綻恐れ」.読売新聞,2017年12月31日付

[14]日本私立学校振興・共済事業団.「平成29(2017)年度私立大学・短期大学等 入学志願動向 」.2017年

[15] 郡千寿子. 「教員と職員—弘前大学の取り組み」.平成29年度大学質保証フォーラム−学生のための大学をつくる.大学改革支援・学位授与機構.2017年

[16] 戸部良一, et.al. 『失敗の本質: 日本軍の組織論的研究』. 中央公論新社, 1991.