Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日本の高等教育機関における教員と事務職員(3)

3 教員貴族と下僕としての事務職員の時代

日本における高等教育機関の教員と事務職員の関係は,大学という閉じられた組織の中での関係としてあったわけでは無い.高等教育機関自身も当然のことながら,それを取り巻く経済社会との関係に支えられながら存続してきた.特に日本の企業と大学の関係は教員と事務職員の関係を考える上でも避けては通れない.日本の企業は,長い間日本的経営と呼ばれる独特の経営システムで成功を収めてきたが,高等教育機関は,教育機関としての最終的な出口として,その成功の重要な役割を担ってきたからである. ここでは,まず,日本の企業と大学がどのような関係にあったかを振り返り,そこにおける教員と事務職員の関係を位置付ける.

3.1 高度成長時代の企業

日本の企業における「日本的経営」の特性は,既にジェームズ・C・アベグレン[6]が1958年に指摘したところであり,その特性は,「終身雇用」,「年功序列」,「企業内組合」に集約される.この三つの特性はやがて日本的経営の三種の神器と呼ばれるようになった.以来,この三つの特性を持つ日本的経営は日本の経済成長を支えてきたとされる.しかし,日本の経済成長は,リーマンショックを迎えるまで,第二次世界大戦の限られた時期を除けば,明治期からほぼ一貫して成長を続けてきたことに注意すべきである(図1).柴垣和夫[7]は,日本的経営の端緒を第一次大戦後に大企業におけるホワイトカラーや熟練工の長期雇用と年功賃金化が進んだことに求めており,その後,日本の資本主義がピークに達する1980年代中葉に日本的経営は完成を見るとしている.日本的経営は,戦前から戦後の長い期間にわたり日本の経済の発展に大きく寄与してきたのであり,戦後期に突如として出現したわけではない.

こうした経済的社会的な背景を踏まえるならば,アベグレンの日本的経営に関する定義には,やや不十分な点がある.アベグレンは,「Japanese factory」すなわち,個別の企業経営についての日本的経営を定義しているために,日本的経営の背景にある経済的社会的な関係について十分な言及がない.日本的経営の特徴と言われる三種の神器の背景には,それを支えるための経済社会的な仕組みが前提として存在する.そのような仕組みはいくつかあるが,本稿では,高等教育機関との関わりから,2つの点について指摘しておく。

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図 1実質国民所得の推移(平成12年度年次経済報告)

 

第一は,企業の外部との関係を考慮しなければならない.企業と教育機関との関係でいえば,新卒一括採用方式の仕組みがそれである.新卒一括採用方式は,「終身雇用」の前提となる仕組みであり,それを支えるものであるが,それに留まらない意味を有している.

新卒一括採用方式は,企業にとってあるいは人事担当者にとって,採用コストを著しく軽減できるシステムである.大学には,入学時に受験生が受験のために参照する偏差値に基づく明確な序列があり,その序列に従って受験生は成績に従って振り分けられて各大学に入学する.入学した学生が,後に述べるように「トコロテン式」[8]に押し出されるだけであれば,入学時の偏差値の序列に従って人材確保をするだけでそこに大きな誤りは起こらない.仮に期待通りの人材ではなかったとしても,その大学の学生を採用したのなら仕方が無いという評価にもなり,人事担当者としての責任を免れることができる.大学の側も,この新卒一括採用方式に大きく依存することにより,安定的な経営を確保することができた.企業と大学の間の深い相利共生の関係がここにでき上がった.

また,新卒一括採用方式は,大学にだけ適用されるものでは無かったし,初等中等教育は高等教育機関の出口でもあった.新卒一括採用方式により教育機関と企業とは,人材養成に関して相利共生の関係を形成するようになっていった,

第二は,日本企業の内部編成の問題である,日本の企業は,「垂直統合自前主義」[9]により成長してきた.ここで「垂直統合」は,大企業を中心とし,そこに中小企業が組み込まれた閉じたヒエラルキーを持つことであり,「自前主義」は,すでに知られている技術でも,その垂直統合の中で,世界にも他者にも目を向けること無く,無い物は自前で開発するような仕組みである.この仕組みにとって重要な点は,その序列を維持しながら成長してゆくことにある.その序列を乱すものは,「出る杭は打たれる」ものとして扱われる.「出る杭」は,上位の大企業からだけで無く,同列の企業同士の足を引っ張り合いで現れることもあり,日本の文化に根ざす「横並び」を重視する考え方が,ここに活きている.小さな企業が大企業に変貌を遂げることに成功したのは,第二次世界大戦後の混乱期などを除けば,ほとんど見ることができなかった.それでも,先に述べたように,一貫した成長を実現してきた日本にとっては,このような垂直統合自前主義方式の下でも,大企業から中小企業まで,広く経済成長の利益を享受することができた.つまり,日本的経営と呼ばれる仕組みは,経済成長が達成できることを前提に成立していた.出る杭は打たれ,誰もが前に出ることのできないまま進んだとしても,日本の経済全体が成長している以上,大多数の企業にとって,この仕組みは,それぞれに恩恵が与えられた.経済成長は,日本において明治以来100年に渡って維持されてきたものであり,そのもとで時間をかけて形成された日本的経営は,容易にゆるがすことのできない仕組みになっていた.

また,先に述べた新卒一括採用方式は,垂直統合・自前主義方式に大きな貢献を果たしていた.

第一に,垂直統合に大きな効果があった.大企業ほど序列の高い大学からの人材確保が容易であり,小さな企業が優秀な人材を確保できることは例外的であった. 小さな企業に人材が行き届かない以上,小さな企業の活動は制約を受けることになる。

第二に,自前主義に対する効果があった.新卒一括採用方式は日本の大学にだけ通用する仕組みであり,海外からの雇用を前提としない.海外の大学を偏差値で評価することはできず,入学時期も異なる.結果として,この仕組みによって人材の国際化を図ることは困難であり,外に開かれているというよりは,内側で,自前でなんでも作るという自前主義の分化の醸成に貢献した.

この時代にあっては,自前主義によるガラパゴス携帯電話と呼ばれた日本独自規格での成功や,自動車産業に代表されるような海外進出の成功はあっても,海外のリソースを活かして,そこから世界戦略を展開するといった方式による成功は甚だ少なく,本当の意味での国際化について顧みられる機会が少なかった.

3.2もたれ合う教員貴族と下僕の事務職員

経済成長を続けていたこの時代の日本の大学の内側を振り返ってみる.この時代に企業が新卒一括採用方式を行う前提として,大学は18歳で入学した学生が,4年間で卒業することが大学には期待されている.留年は例外的にしか起こらない.「トコロテン式」[8]と揶揄された仕組みの上に大学経営は成り立っていた.米国の大学のように4年間で卒業することは難しい仕組みを,日本の大学が採用することになっていれば,企業は採用人事に大きな障害を来たしていたはずである.「トコロテン式」に対する批判は,すでに1950年代に行われていたことからも,高等教育機関と企業の日本的な関係が古い歴史を持つことがわかる.

大学のビジネスは,学生を消費者として見るならば,トコロテン式の恩恵により,リピーターを考慮する必要が殆ど無いビジネスである.トコロテン式で入学し,卒業していった学生が,再び大学に戻ることは例外的な事態である.リピーターを獲得するためのより良いサービスを提供する努力を必要とせず,なおかつ毎年確実な収入を約束されたビジネスは,他にはみることはほとんどない.

もちろん,これに加えて,大学に対する公的な支援も忘れてはならない.公的な支援無しに100年近い間大学の倒産がほとんど無かったという状況を作り出すことは不可能である.

この時代の大学では,「トコロテン式」のサービスを行えば良く,大学のサービスの主眼であるはずの教育がおざなりでも,問題は起きなかった.教員は自分の都合で教育をすれば,済んだのである.年間を通じて数度しか講義をしない教員,こっそり飲酒をしながら講義を行う教員,戦争の思い出話で通年の授業を終える教員などがいたとしても,それをとがめ立てする理由はなかった.実際に,こうした授業を筆者は学生時代に経験した.

ただし,この時代の大学教育は,必ずしも悪い結果をもたらしていたわけではない.近年,毎年のようにノーベル賞受賞者を排出している世代の大学教育は,このような自由な教育環境があったことと無関係ではない.この点は,現代の高等教育機関の在り方を考える上で,重要な示唆になっているはずである.

一方の事務職員は,何のために必要だったのであろうか.この時代においてはワードプロセッサが存在しなかった.多くの私学では,事務職員の採用において字がきれいに書けることを求めていた.事務職員はワードプロセッサの代わり以上の役割を期待されていなかった.さらに,事務職員は,考えることを期待されるどころか,むしろ考えることを禁じられていた.教員の指示に素直に従い,教員の望む書類ができ上がれば,優秀な事務職員として評価されていたものである.

この関係は,教員にとって便利な関係であったことはもちろんであるが,事務職員にとっても判断を回避でき,決まった仕事だけをやっていれば良いために歓迎された.筆者は,かつて,相応の身分のある事務職員の方から,「そんなことをできるくらいなら大学の事務職員はやっていない」という台詞を,なんどかいただいたことがある.大学の構成員は,教員と事務職員という上下にもたれかかっていたのであり,それを可能にしていたのは,企業の新卒一括採用方式にもたれかかった大学経営だったのである.

教育も十分に施せない教員が貴族のように振る舞い,ものを考えることを求められない事務職員が下僕として仕えることによって,教員と事務職員はもたれ合い,大学は企業にもたれながら運営されていたのである.

(続く)

参考文献

[6]Abegglen, J. C. The Japanese factory: Aspects of its social organization. Free Press.1958.

[7]柴垣和夫「戦後日本資本主義——その再生・発展・衰退——」.鶴田満彦・長島誠一編『マルクス経済学と現代資本主義』.櫻井書店.2015年.

[8]浅野長二. 大学に対する希望.工業教育, 2.1: 24-28, 1954年

[9]経済産業省. 「産業構造ビジョン 2010」,2010年