Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日本の高等教育機関における教員と事務職員(1)

サンチョ・パンサよ,どうやら運命の女神は,われわれが望んでいたよりもはるかに順調に事を運んで下さるとみえるぞ.ほら,あそこを見るがよい.三十かそこらの途方も無く醜怪な巨人どもが姿を現したではないか.

セルバンテス作(牛島信明訳)『ドン・キホーテ』(岩波文庫)

 

梗概

かつての日本の高等教育機関と企業の間には,「新卒一括採用方式」制度を通じた人材養成に関する相利共生の関係があった.このおかげで,高等教育機関は厳しい経済的な競争環境にさらされることも無く,従って経営らしい経営をすることもなく存続し続けることが可能であった.このため,近年に至るまで,日本の高等教育機関の倒産は驚くほど少ないまま推移してきたし,日本の高等教育機関の下にある構成員,すなわち教員と事務職員は,経営に対して余り大きな役割を求められることもなかった.

しかし,そのような時代は過ぎ去りつつある.今や日本の企業を取り巻く経済環境の変化に押され,企業が大学に求める人材に対する要求は年々厳しさを増しており,高等教育機関はその対応を迫られている.今後,歴史的に経験したことのない高齢化社会を迎え,大きな変化を迫られる日本の社会の中で,高等教育機関は,従来のように企業にもたれかかって存続することはできなくなる.

高等教育機関の構成員は,従来の教員と事務職員という区別の枠を越え,自身の組織の生き残りをかけて,各人がそれぞれの専門領域におけるプロフェッショナルとして,経営に大きな役割を果たしてゆかなくてはならない.*1

1 はじめに

日本の高等教育機関の教員と事務職員の間には,厳然とした主と従の関係が存在してきた.高等教育機関における教員と事務職員の問題を先駆的に取り上げてきた研究者の一人である広島大学の大場淳は,米国の事務職員はadministrative staffと呼ばれているのに対し,日本の事務職員については,英語では適切な表現は見あたらないと指摘したことがある[1].文部科学省においても,伝統的に,高等教育機関の職員とは教員のことを指す用語であり,事務職員は「その他の職員」に区分されていたことを考えれば,administrative staffでさえない事務職員という意義はある程度理解されるであろう.

この点,文部科学省が2017年4月の大学設置基準の改正において,「教職協働」を定義することとなったのは,教育行政における,ある種の意識の変化を示している.しかしながら,「教職協働」に定める教員と事務職員の役割と関係を「大学は,当該大学の教育研究活動等の組織的かつ効果的な運営を図るため,当該大学の教員と事務職員等との適切な役割分担の下で,これらの者の間の連携体制を確保し,これらの者の協働によりその職務が行われるよう留意するものとすること.」[2]と定義することには問題がある.教員と事務職員という区別を一旦設けた上で,改めて教員と事務職員が協働するという視点は,教員と職員という上下関係のある区別を無条件に取り込んでしまっているからである.

本稿では,文部科学行政の主導する「教職協働」という視点が,伝統的な日本の経済的社会的な背景に根ざした高等教育機関の運営の在り方に由来するものである事を明らかにするとともに,これからの高等教育機関の経営は,「教職協働」という伝統的な発想にとらわれた体制では実現できず,教員と職員は,それぞれプロフェッショナルとして経営に独自の役割を果たすことにより実現されるはずであるという点を明らかにしておきたい.

なお,以下では,コンテキストによって「高等教育機関」と「大学」という用語が混在する.厳密には,高等教育機関は大学を含む少し広い概念であるが,本稿では,特別な場合を除き同じ意味を持つ.

(続く)

参考文献

     [1]大場淳. 「大学職員の開発−専門職化をめぐって」. 広島大学高等教育研究開発センター『高等教育研究業書 (105)』, 2009年.

     [2] 文部科学省高等教育局長.「大学設置基準等の一部を改正する省令の公布について(通知)」,28文科高第1248号, 2017年 

*1:このエントリは,雑誌『私学経営』2018年5月号に掲載された「教員と事務職員のこれから —「教職協働」の甘美な夢 —」に加筆訂正したものである.