Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

30年ぶりの宇野弘蔵『恐慌論』

恐慌論 (岩波文庫)

恐慌論 (岩波文庫)

宇野弘蔵の『恐慌論』は宇野理論を研究する場合の必読書のはずだが、私の指導教官はなぜかあまり読むことを薦めなかった。反面、同じ著者の『経済原論』のしかも旧版をとても大事に考えていたようで、我々にもそれを研究するように薦めていたものである。

その『恐慌論』の岩波文庫版が最近出てやっと電車の中でも読めるようになったのがちょっとうれしくて久しぶりに読んでみた。

この本の要諦を著書からの引用で言えば

「労働力の商品化は、資本主義社会の根本的な基礎をなすものであるが、しかしまた元来商品として生産されたものでないものが商品化しているのであって、その根本的弱点をなしている。恐慌現象が資本主義社会の根本的矛盾の発現として、そしてまた同時にその現実的解決をなすということは、この労働力の商品化にその根拠を有しているのである。」 (93ページ)

という事にあったのだろう、と乏しい記憶と知識を総動員して辛うじて思い出す。

宇野弘蔵の文章は一読してもわからないような難渋な文章である。しかし、「労働力の商品化が資本主義の根本的な弱点である」こと、それが恐慌の原因になっていることはわかりそうではある。なぜなら「本来商品ではないものを無理に商品として扱っているから」ということまではここで説明されている。しかし、その事と恐慌の話が結びつくためにはいくつか説明が必要になる。

その先の理屈は、長い説明になりそうなのでここでは立ち入らないことにする*1。研究者の意見も色々わかれている。研究者の間ではこの関係を「労働力商品化の無理」と呼んでいることを付け加えておく。

それよりも、もうひとつこの文章では、「恐慌現象がこの根本的な弱点の現実的な解決をなす」と言っていることにも注意が必要である。恐慌は資本主義システムにとって不可欠の機能であり、恐慌が資本主義を破綻させてしまうということはないと主張している。

宇野弘蔵以前の恐慌論では、「部門間不均衡が恐慌を招く」という説明が主だったようであり、「恐慌により資本主義が崩壊する」と言われていたので、それよりずっと根本的な原因から恐慌現象を説明し、資本主義の自律性を認めたこの恐慌論を宇野自身も大変気に入っていたと聞いたことがある。宇野理論の研究者たちも多少の意見の相違はあってもこの説明そのものは宇野理論の要諦だと考えていたのだと思われる。

私の指導教官もその点では同じ立場にあったことは間違いがないが、我々にあまり恐慌論に立ち入らないように戒めていたのは、今振り返って考えると、それなりの意味があったのではないかと思っている。実際、私は若い頃この説明は綺麗ではあるが、ちょっと綺麗すぎると感じていた。その疑問に対する自分自身の答えは、それからすぐに研究者を止めてしまったので見つけられないままではあるが、

*1:10月31日の日記[d:id:SeishiONO:20101031]に少し書いておきます。