Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

恐慌と「労働力商品化の無理」

宇野弘蔵の『恐慌論』によれば、恐慌が起こるのは資本主義システムが労働力までも商品化していることにそもそも無理があるからだと主張している。

普通の商品であれば、必要ならたくさん作ることができるが、労働力は人間が提供するものなので有限であるところにまず無理があるとされる。

労働力は有限なのでいつも足らない。しかし、足らない労働力を補う巧い仕掛けが資本主義システムにはある。それは、機械化などの合理化により、余剰な労働力を作ることである。現代でもそのような合理化は不断に行われている。経済学の世界ではこの行動を「有機的構成の高度化」というテクニカルタームで呼んでいる。

でも当然それには限界がある。典型的には、好景気の最中に労働力が不足するような短期的な需要に対しては、この方法ではリードタイムが大きすぎてとても需要には応えられないのである。

このような場合、供給の逼迫により労働力調達コストが上昇する。当然に商品の価格が上昇するか、無理に価格を抑えようとすれば利益率が少なくなるという問題が発生する。そのため、価格上昇によりいつの間にか商品は売れなくなるし、利益率を下げれば儲けが少なくなり、再投資が鈍る。そうして不況になる。

ただ、これだけでは、多少の不況になってもパニックにはならないが、ここに銀行への借金をするなどの信用機構が介在していると無理な投資が可能になり、本来であれば、なだらかな好況と不況を繰り返すところが、パニック=恐慌になる。

ただし、不況にせよパニックにせよ、そうなれば賃金は下落し、諸物価も下落するので再び生産が可能になるため、資本主義システムでは景気循環が必然的に起こるとされている。

この部分的な説明の限りでは、突っ込みどころは満載なのだが、他の諸条件を整備するとこのような仕組みで比較的うまく恐慌の説明ができると宇野弘蔵は考えたのである。

ここで、ちょっと今思いついた突っ込みどころを並べてみよう。

  • 労働力が足らなければ海外からいくらでも流入してくるのではないか
  • 商品は本当に必要に応じて生産できるのか。地球の資源は有限であり、レアアースのような問題は普通の商品にもありそう。
  • 価格上昇要因は、賃金だけとは限らないのではないか。

等々。

実際、こうした疑問は、この恐慌論が発表されたいまから四〇年以上も前になされていたようであり、それに対する修正案もいくつかあるようである。

しかし、私は別の点から気になることがある。例えば上の説明でパニックは信用機構が介在することで起こるとされているが、私にはちょっと唐突感がある。この信用機構の仕組みが、労働力の商品化という観点から独立した説明が加えられているからだ。そこにはもちろん深い理由があることは、一応知ってはいるが、システムとして本当にそれで説明がつくされているのだろうか?

そしてもっとずっと疑問に思っていることは、この恐慌が起こるためには、生産等々の遅延など時間的な想定をいくつかしなくてはいけないのだが、その想定はどこから出てきたのだろうか、とても恣意的な設定になっているのではなかろうか、などの時間論にある。

そこまでは、若い頃考えたのだが、それ以上のアイデアがあったわけでもなく、研究者でもない自分が考えることでもないので、そのままにしている。しかし、そういいながらこの三〇年ほどずっと気にかかっている。定年後の思考実験の楽しみにしておこうかな。