Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

不快なものは取り締まる(岡崎図書館への不正アクセス)

時事問題にはあまり触れたくないと思っていたのだが、岡崎市の図書館で発生した不正アクセス事件は象徴的な問題を含んでいるようなので、自分の考えを整理しておきたくなった。

三菱電機の作成した図書館管理システムの出来があまり良くないために、1秒に1回のクロールをされただけで、岡崎市の図書館のWeb閲覧がしばしばできなくなってしまった。そのクロールをしていた図書館利用者が、DOS攻撃をしたと見なされて逮捕されてしまったという事件である。逮捕されたご本人が事情を説明された Webページhttp://librahack.jp/を公開されたことに因んでLibrahack事件と呼ばれているようである。

因果関係からすれば、もともと三菱電機の作成したプログラムに問題があり、そのプログラムの問題が個人のアクセスによって顕在化したということらしい。クロールは様々の組織が行っており、国立国会図書館も行っていたりするので、顕在化するきっかけは他にもあったに違いないのだが、特定できる個人が問題を顕在化させた事に不幸があったようにも見える。

しかし、考えてみればこんな事はずっと昔から良くあったことで、20世紀においては、人気の匿名FTPサイトが、アクセス集中で使い物にならなくなることは不思議でも何でもなかった。それでトラブルとなった事ももちろんたくさんあったが、忘れてならないのは、その解決は、当事者間に委ねられていたことである。

「不正アクセス禁止法」ができたときに、そのあまりの曖昧さに専門家たちは顔を曇らせたはずだが、その結果が今回のような事件を生んだともいえる。

「不正アクセス」の定義は、今や迷惑を被ったら「不正アクセス」であるということらしい。今回は偽計業務妨害ということで立件されたようであるが、曖昧な論理構成という点では、不正アクセスに対する論理構成と共通のものがあり、件の岡崎市の図書館長の見解も、逮捕した警察もこの点で共通しているように思える。

いうなれば、セクシャルハラスメントの定義である「不快と思ったらセクシャルハラスメントである」と同じ論理構成を取っているように見える。

しかし、わすれてならないのは、セクシャルハラスメントでわかるように、この論理は、当事者間の紛争解決としては有意義ではあるが、公権力が同じ論理構成を取ることは許されるべきではないだろう。犯罪を構成する要件は限定列挙されるべきものなのではなかったのか?さもなければ、明治時代に電気は有体物かで争われる理由もなかったのではないか。

弱い輪が狙われるとは、40年前近く昔、私が良く聞いた言葉である。道徳的に誰もが義憤を感ずること、多くの人がよくわからないから人任せにせざるを得ないもの、それは弱い輪の一つである。

前者の例は、破廉恥罪や万引きの取り締まりがある。それは、誰もが撲滅を望むところであるが、無辜の人がそこに巻き込まれてしまえば取り返しがつかないという事態についても考えなければならない。

後者の例が、インターネットではないか。インターネットは、今や日常的に利用されていながら、その仕組みに多くの人が無知であり、逮捕されたり起訴されたりしてもそれがどういう理由によるものかは本当には理解できない。

よくわからない理由で、逮捕されれば、前歴が残り、海外での就労ビザなどの取得は面倒になる。就職にも不利になることがある。起訴猶予で済んで良かったという問題ではないという現実もある。裁判を起こして「無罪」とされても「有罪とはいえない」という消極的な意味しか持たない。失われたものは取り返せない。

義憤にかられること、よくわからないものを、よくわからないまま済ませてしまうこと、それが「不快と思ったら逮捕される」という事態を生んでしまったのではないのだろうか。