Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

「想定外」の哲学

つい先頃、防災の専門家の方から「想定外」について解説していただく機会があった。*1その方も元々は防災よりは情報の専門家であったため、最初に防災の業界に入ったときに、この「想定外」という言葉に戸惑いがあったようで、結局氏は「想定」とは情報の世界で言う「設計仕様書」のようなものと理解されたようである。

*1:2011年6月9日(木)CAUA FORUM 2011「災害に負けない大学の情報システムを考える」畑山満則氏(京都大学防災研究所)「災害時での情報システムに求められるもの」http://www.ctc-g.co.jp/~caua/event/forum2011/index.htm

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PlayBookで遊んでみる


震災からこちらどうもものを書く気にならないし、元気も出ない。BlackBerry PlayBookも当初は手に入れてみようという気に全くならなかったのだが、気を取り直してやはり多少は触ってみようという気になった。

このタブレットを買う前に、実はタブレットを2つ試している。

まずiPad2を使ってみた。こちらはカメラがついて便利になったはずだが、最初のiPadほどの感激が今のところ無い。やはり持ち運ぶのが大変な感じだ。Mac Book airで用が足りそうな感じがする。
それに車内で黙々とiPadを触っている人を見かけるとちょっと引く。やはり電車の中でいじるには周囲から見ていると大きく邪魔な機材ではある。

次に、Andoroidを実験するつもりでZTE Light Tab を手に入れてみた。正直なところこれは私にはなじめなかった。うまくオペレーションできない。若者向きなのだろう。もったいないが、今のところはお蔵入りになっている。

そうしてみると、タブレットに限界を感じざるをえない。PlayBookはそもそも発売直前に評判を落としていたのでさらに何も期待をしていなかった。

ところが、触ってみると結構面白い。オペレーションは直感的とはいえず、チュートリアルなしには難しいが、慣れればそれなりに使える。

BlackBerry Bridgeを利用してBlackberry携帯とメールやカレンダーを共有するのもユニークである。反面メールの専用MUAやPIMはインストールされていない。もしBlackBerry携帯を持っていないと途方に暮れることになる。

操作中に問題も発生した。アップロードがかかってこれをキャンセルしたら二度とブートしなくなったのである。かなり困ったが、まずPCにBlackBerry DeskTopのベータ最新版をインストールし、さらにそこからPlayBookのOSをインストールし直すことで回避できた。

RIM社はゼロディで利用できると主張していたが、それにはちょっとほど遠い。しかし実験で動かしている限りでは許容できる範囲ではある。

もちろん日本語入力もできないし、まだ発展途上の感じがするが、私にとっては、Andoroidで感じた違和感はPlayBookにはない。持ち歩いてしばらく使ってみよう。この位の大きさなら電車でも引かれないと信じたい。

そういえば私が一番期待したのは、日経電子版のフラッシュページを見ることだった。ところが、フラッシュページを見ることはできたのだが、フラッシュのボタンを押す事ができなかった。これも残念なところだ。

日本通信 ZTE Light Tab V9+10日間無料SIM付き BM-LTBU300

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iPad 32GB Wi-Fiモデル MB293J/A

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「労働力商品化の無理」の限界

先日久しぶりに恩師の研究会が行われた。偶然にも、先日来気になっていた、宇野弘蔵の恐慌論が話題になった。

恩師によれば、恐慌が、好況によってリソースを食い尽くした結果として起こるということは言えるだろう。しかし、そのリソースが不足する原因は、ただ労働力商品化の無理に還元される、という宇野の見解には若い頃から御念を感じていたのだそうである。

なるほど私たちが恐慌論を研究することを好まなかったのはそれだったのか、と30年ぶりにその秘密を聞いたことになる。それだったら、早くにそうと言ってくれればとも思ったが、時代はそれを許さなかったし、そう言われても我々も素直には聞けなかったかもしれない。

還元主義は、自然科学においても毀誉褒貶が激しいが、物理学者のホーキンスなどは「私は恥ずべき還元主義者だ」と常々主張している。還元主義はきれいな結果をもたらすことが多いからである。それ故、すべてが労働力商品化に還元される宇野の説明は確かに魅力的なのである。

現に当時同じ研究室にいたS君が、先日の研究会で、それは聞き捨てならないとばかりに抵抗していたのが印象的だった。時代はまだこんなことでも受け入れがたいと思わせる人たちを残しているのだ。

しかし、宇野弘蔵の理論の中からいったん労働力商品化などということをすべて忘れて虚心坦懐に経済原論の議論を追ってゆけば、いままであれほど難問と思われていたいくつかの問題は、すべてきれいな理論で説明がついてしまう。さすれば労働力商品化論無き宇野理論は、現代の経済学にとって有用な理論となり得る余地が今日においても残されているように私には思われる。還元主義の善し悪しは別として、労働力商品化を除いても還元されるべきものは原論上でやはりある。

私は、そう気づいたが、私の時代ではもはやない。労働力商品化を捨ててなおかつ宇野理論を継ぐひとは今後あらわれるのだろうか?

UW pineでメールを読む

もう20年も前、1990年代頃の事だったが、米国に留学する少女にpineの使い方を教えたことがある。留学先の学校のメーラがpineだったからだが、私も当時はあまり使ったことはなく、教えるより調べなければならないことが多かった。当時elmというMUAを使っていた私には、メニュー中心の操作はなんだか半端なユーザインターフェィスに思えた。

その後も少しいじってみたことがあるが、なかなか日本語対応も進まず、CUIのメーラとしてはmuttなどが知られていて、日本では忘れ去られたMUAだ。今日は、新しい MacBook Air が来たものの、風邪気味で体も頭も思い通りに動かないこともあり、ほかの作業をあきらめ、この懐かしいMUAのことを思い出していじってみた。

名称もいつの間にか単なるpineからalpineに変わっている。商標権の問題があったのだろう。感心したことに日本語対応は、見違えるほど進んでいた。 utf-8の普及も一因だと思う。
参考までにalpineのWebページを以下に紹介しておく。
alpine page

さて、alpineの設定は、例によってメニューから行えるが、私には、あまりに面倒なので直接設定ファイル (~/.pinerc)をいじることにする。

personal-name=Seishi ONO
user-domain=(ドメイン名を書く)
smtp-server=(送信サーバを書く。ポート番号やユーザ名もここで指定できる)
inbox-path=(imap受信サーバをユーザ名とともに記述)

gmailの例では、

user-domain=gmail.com
smtp-server=smtp.gmail.com:587/tls/user=username@gmail.com
inbox-path={imap.gmail.com/ssl/user=username@gmail.com}INBOX

こんな感じになるだろう。
もしpopで取り込むならinbox-pathにpop3のパラメータを追加する。

inbox-path={imap.gmail.com/pop3/ssl/user=username@gmail.com}INBOX

こんなところが基本であるが、サブフォルダが見えるには、サーバ側がUW-imapをつかっていないと一工夫が必要である。

folder-collections= ラベル名、サーバ名とともにパスを記述する

ここで、courie-imapのようにドットでINBOX以下にサブフォルダが配置される場合は

INBOX.
のような書式で記述するしgmailのように mail配下にサブフォルだがあるときは
mail/
とする。Gmailの例では、

folder-collections=main {imap.gmail.com/ssl/user=username@gmail.com}mail/[] 

のような感じになる。(ラベルとパス名の間に空白が必要なようだ)

この上でfolder-collectionが見えるようにオプションを指定する。
これはさすがにメニューからの操作が早いかもしれない。

feature-list= combined-folder-display,
       combined-subdirectory-display,
       expanded-view-of-folders,
       incoming-checking-includes-total,
       no-separate-folder-and-directory-entries,
       no-vertical-folder-list,
       quell-empty-directories,
       enable-lame-list-mode

こんなところで一応メールが使えるが、パスワードを設定するのが面倒なので "~/.pine.pwd" *1という空のファイルを作っておけばパスワードを覚えてくれる。パスワードファイルはそれなりに暗号化されている。

メニュー操作に慣れればこれで結構使える。ただ、残念ながら utf7-imap は対応できていないようで日本語フォルダは文字化けてしまう。最初に覚えたMUAがelmとemacs mailな身なので、やっぱりぎくしゃくする。

そういえば、あの少女ももう30歳をすぎて米国で主婦をしている。いつもながら時間が流れるのは早い。

*1:ubuntuなどのDebian系では、"~/.pine-passfile"となっているようである

恐慌と「労働力商品化の無理」

宇野弘蔵の『恐慌論』によれば、恐慌が起こるのは資本主義システムが労働力までも商品化していることにそもそも無理があるからだと主張している。

普通の商品であれば、必要ならたくさん作ることができるが、労働力は人間が提供するものなので有限であるところにまず無理があるとされる。

労働力は有限なのでいつも足らない。しかし、足らない労働力を補う巧い仕掛けが資本主義システムにはある。それは、機械化などの合理化により、余剰な労働力を作ることである。現代でもそのような合理化は不断に行われている。経済学の世界ではこの行動を「有機的構成の高度化」というテクニカルタームで呼んでいる。

でも当然それには限界がある。典型的には、好景気の最中に労働力が不足するような短期的な需要に対しては、この方法ではリードタイムが大きすぎてとても需要には応えられないのである。

このような場合、供給の逼迫により労働力調達コストが上昇する。当然に商品の価格が上昇するか、無理に価格を抑えようとすれば利益率が少なくなるという問題が発生する。そのため、価格上昇によりいつの間にか商品は売れなくなるし、利益率を下げれば儲けが少なくなり、再投資が鈍る。そうして不況になる。

ただ、これだけでは、多少の不況になってもパニックにはならないが、ここに銀行への借金をするなどの信用機構が介在していると無理な投資が可能になり、本来であれば、なだらかな好況と不況を繰り返すところが、パニック=恐慌になる。

ただし、不況にせよパニックにせよ、そうなれば賃金は下落し、諸物価も下落するので再び生産が可能になるため、資本主義システムでは景気循環が必然的に起こるとされている。

この部分的な説明の限りでは、突っ込みどころは満載なのだが、他の諸条件を整備するとこのような仕組みで比較的うまく恐慌の説明ができると宇野弘蔵は考えたのである。

ここで、ちょっと今思いついた突っ込みどころを並べてみよう。

  • 労働力が足らなければ海外からいくらでも流入してくるのではないか
  • 商品は本当に必要に応じて生産できるのか。地球の資源は有限であり、レアアースのような問題は普通の商品にもありそう。
  • 価格上昇要因は、賃金だけとは限らないのではないか。

等々。

実際、こうした疑問は、この恐慌論が発表されたいまから四〇年以上も前になされていたようであり、それに対する修正案もいくつかあるようである。

しかし、私は別の点から気になることがある。例えば上の説明でパニックは信用機構が介在することで起こるとされているが、私にはちょっと唐突感がある。この信用機構の仕組みが、労働力の商品化という観点から独立した説明が加えられているからだ。そこにはもちろん深い理由があることは、一応知ってはいるが、システムとして本当にそれで説明がつくされているのだろうか?

そしてもっとずっと疑問に思っていることは、この恐慌が起こるためには、生産等々の遅延など時間的な想定をいくつかしなくてはいけないのだが、その想定はどこから出てきたのだろうか、とても恣意的な設定になっているのではなかろうか、などの時間論にある。

そこまでは、若い頃考えたのだが、それ以上のアイデアがあったわけでもなく、研究者でもない自分が考えることでもないので、そのままにしている。しかし、そういいながらこの三〇年ほどずっと気にかかっている。定年後の思考実験の楽しみにしておこうかな。

30年ぶりの宇野弘蔵『恐慌論』

恐慌論 (岩波文庫)

恐慌論 (岩波文庫)

宇野弘蔵の『恐慌論』は宇野理論を研究する場合の必読書のはずだが、私の指導教官はなぜかあまり読むことを薦めなかった。反面、同じ著者の『経済原論』のしかも旧版をとても大事に考えていたようで、我々にもそれを研究するように薦めていたものである。

その『恐慌論』の岩波文庫版が最近出てやっと電車の中でも読めるようになったのがちょっとうれしくて久しぶりに読んでみた。

この本の要諦を著書からの引用で言えば

「労働力の商品化は、資本主義社会の根本的な基礎をなすものであるが、しかしまた元来商品として生産されたものでないものが商品化しているのであって、その根本的弱点をなしている。恐慌現象が資本主義社会の根本的矛盾の発現として、そしてまた同時にその現実的解決をなすということは、この労働力の商品化にその根拠を有しているのである。」 (93ページ)

という事にあったのだろう、と乏しい記憶と知識を総動員して辛うじて思い出す。

宇野弘蔵の文章は一読してもわからないような難渋な文章である。しかし、「労働力の商品化が資本主義の根本的な弱点である」こと、それが恐慌の原因になっていることはわかりそうではある。なぜなら「本来商品ではないものを無理に商品として扱っているから」ということまではここで説明されている。しかし、その事と恐慌の話が結びつくためにはいくつか説明が必要になる。

その先の理屈は、長い説明になりそうなのでここでは立ち入らないことにする*1。研究者の意見も色々わかれている。研究者の間ではこの関係を「労働力商品化の無理」と呼んでいることを付け加えておく。

それよりも、もうひとつこの文章では、「恐慌現象がこの根本的な弱点の現実的な解決をなす」と言っていることにも注意が必要である。恐慌は資本主義システムにとって不可欠の機能であり、恐慌が資本主義を破綻させてしまうということはないと主張している。

宇野弘蔵以前の恐慌論では、「部門間不均衡が恐慌を招く」という説明が主だったようであり、「恐慌により資本主義が崩壊する」と言われていたので、それよりずっと根本的な原因から恐慌現象を説明し、資本主義の自律性を認めたこの恐慌論を宇野自身も大変気に入っていたと聞いたことがある。宇野理論の研究者たちも多少の意見の相違はあってもこの説明そのものは宇野理論の要諦だと考えていたのだと思われる。

私の指導教官もその点では同じ立場にあったことは間違いがないが、我々にあまり恐慌論に立ち入らないように戒めていたのは、今振り返って考えると、それなりの意味があったのではないかと思っている。実際、私は若い頃この説明は綺麗ではあるが、ちょっと綺麗すぎると感じていた。その疑問に対する自分自身の答えは、それからすぐに研究者を止めてしまったので見つけられないままではあるが、

*1:10月31日の日記[d:id:SeishiONO:20101031]に少し書いておきます。

久しぶりのNetbook

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eee pc-901xは、買った当初キーボードをUS配列に入れ替え、64GBのSSDを積むなどちょっと贅沢な構成にしたものの、結局使えなかった機材である。MINTLinuxを入れたりUbuntuを入れたりWindows7を入れたりと色々試したが*1、遅いし、タッチパネルの操作性もよろしくない。そこそこ気に入ったのはNetBSDを入れたとき*2だが、これがネットワーク関係の認識を一切してくれない。やけになってFreeBSDのしかもZFSとかを試しに入れてみると、やや意外なことに有線LANまでは認識してくれた。しかし、CUIなのに何か遅い。ストレスになってとうとう諦めてしまった。

それから3年も床に転がったままになっている機材を見て、ふとUbuntu-netbookを入れてみてはどうだろうと思った。たまたま暇を持て余していたからであるが、Ubuntuは10.xになってから起動はなかなか早いのが魅力であることが第2の理由である。

インストールはあっさりしたものである。ただし、メインの4GBではディスクを使いきってしまうので、セカンダリの64GBのうち32GBを/usrと/homeに使うことにした点が唯一の工夫である。

これが結構使えた。驚きである。Wi-Fiも問題なく認識してくれる。Ubuntuの起動の早さがここまで見方をかえさせるとは思わなかった。私はどうせターミナル中心なので起動が早ければそれでよい。ターミナルと言ってもWebを見たりメールの添付ファイルを見たりするのにはGUIが必要になる。こういう場合でもUbuntu-Netbookのアイコンはそれなりに工夫されていると思う。この切り替えもストレスがない。機材とソフトウェアの組み合わせでこんなにも違った印象になるのかと感心した。

私がシステム開発者であればこの一事は肝に銘じていただろう。

それにしても、あと3年早ければ、持って歩いたに違いない。Ubuntuで便利にはなったが、今となってはiPadの方を持って歩く。このこともシステム屋としては感じ入るところだ。

ただ、寝起きに素早くメールをチェックするのには重宝している。使われていなかった機材に使い道が少しできたのがちょっとうれしい。

おお、そういえば3年前はこれらのPCはUMPCと呼ばれていた。今ではさっぱり聞かない。NetBookという言葉が定着したようである。

*1:この経緯は以前[d:id:SeishiONO:20081231] [d:id:SeishiONO:20090103]に書いたことがある。

*2:この経緯は以前、[d:id:SeishiONO:20090802)に書いた事がある