Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日記とTwitter

このところTwitterでつぶやいていることが多い。そのうちまとめてこちらの日記にしようと思っていたが、振り返ってみて実のところまとめるような話は存外ない。それに加えて、後で日記にしようと思ってつぶやいたことも結局埋もれてみつけるのが面倒になってしまう。

日記というとこれは一日の終わりにでも一度だけ書くもので、何度も書き込むものではない。そして一日の終わりというのは存外時間がない。一方、歩きながらでもつぶやけるTwitterは、その点ではだいぶ違う。小さなメッセージを必要なら秒単位で書き込んでも良い。いわば書き散らすものである。最近思うのだが、このような書き散らかしは、自分の思考過程を中毒にしている気がする。ここで言う中毒は「習慣化」という意味ではなく、感覚が麻痺したり壊れたりするということであるが。実際こうして日記を書きながらも、つぶやいている時のモードになってしまい、首尾一貫したものが書けなくなっている自分に気がつく。140字単位でしか思考ができないのは、困りものである。

もっとも30年前に登場したPC(あるいはワードプロセッサーといっても良いが)は、やはり思考方法を変えてしまうツールだった。20年ほど前に作家達がそれを懸念する派と積極的にそれを利用しようとする派の議論があったような気がする。

私はPCのおかげで今がある。私にPCが無ければ、今以上に冴えない人生を送っていただろうという確信があり、PCのある時代、さらにはインターネットの時代に生きて救われたと真剣に思っている。

Twitterは、当然のことながら、PCやインターネットの登場に比べれば影響は遙かに小さいが、私にとって天恵となるか仇となすのかはまだ良くわからない。しかし、まだ200ツィートもしていないのに、今の私には、奇妙な違和感があるのは事実である。