「30歳にして何事もなしえない人は何事もなしえない」というのは経済学者シュンペーターの言葉であるが、私は20代の頃にこの言葉を指導教官から聞かされた。シュンペーター自身も私の指導教官も20代の若者を励ますためにこの言葉を使ったのだろうが、30歳になった私は、とうとう「何事もなしえなかった」自分を嘆いて絶望したものである。
孔子は長生きだったせいもあってそれより寛容であって、「後生畏るべし」しかし「四十五十にして聞こゆる無きは」畏れるに足らずと言っている。55歳の今の私にもチャンスがあると言うことらしい。
私自身は、30歳を過ぎてからずいぶんおもしろい仕事をさせてもらったが、何事かをなしえたかと聞かれると何事もなしえていないので、シュンペーターの言うことは依然として正しい。孔子の言に従っても「聞こゆる」ことはないので誰にも畏れてもらえないようである。
「別に畏れてもらう必要はない」と若い頃は常に考えていたが、最近ここまで年をとるとそれはそれでは情けないと思うようになってきた。私の師事した農学者近藤康男先生は、19世紀〜21世紀まで3世紀を生き延びて106歳までお元気であった。私の人生もあと50年さて何をしようかと考えてることにしている。先生の著書『三世紀を生きて』は我々に希望を与えてくれ続けている。
- 作者: 近藤康男
- 出版社/メーカー: 農山漁村文化協会
- 発売日: 2001/06
- メディア: 単行本
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