Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

歳月人を待たず

古代の歳月

陶淵明の「歳月不待人」には年齢を重ねると色々な思いが去来するものがある。この詩の有名な終わりは、こうなっている。

盛年不重來  盛年重ねては來たらず
一日難再晨  一日再びは晨なりがたし
及時當勉勵  時に及んで當に勉勵すべし
歳月不待人  歳月人を待たず

時は限られているのだから、今のうちに楽しめるだけ楽しんでおこうというのが、陶淵明である。ちなみに、古代中国語の「勉勵」には、勉強すると言う意味は無い。

同じような古代の詩人でもローマのホラティウスはすこし違う。

Eheu fugaces, Postume, Postume labuntur anni.

ああ、ポスツマス、ポスツマス、歳月の過ぎゆくことのいかに早きことか。

時が余りに早く過ぎ去ることを嘆くのである。この対比は一件両極端に見えるが、両者に共通するのは、「時」の背景に常に潜む死に対する恐怖であり、「文化的な背景の上に成立している死生観である。案外東洋的な哲学と西洋的な哲学の違いは、こうした死生観のはるか延長上にあるのかもしれないと思う時がある。

日本人の歳月

とすれば、日本人の死生観では、陶淵明のように楽しむだけ楽しむのか、ホラティウスのように時の流れを嘆くのかどちらであろうか。加藤周一は『日本人の死生観』

 

日本人の死生観 上 (岩波新書 黄版 15)

日本人の死生観 上 (岩波新書 黄版 15)

 

 

の中で、

西洋の近代社会との対比における日本の近代社会では、死の恐怖がより少く感じられるとしても不思議ではない。日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがあるのは、死の崇高化が著しいからでは決してなく、死の恐怖が少ないからである。

と述べている。この言からすれば、死を恐れないという分だけは、陶淵明にいくらか近いが、実は随分隔たりがあり、陶淵明よりも死への恐怖は随分淡いものでもある。山本常朝の『葉隠』に至れば、

正月元日の朝、雑煮の餅を祝ふとて、箸を取 る初めより、其の年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々、死を常に心にあつるを以て、本意の第一と仕り候

ということになって、死も随分粗末になる。「日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがある」という加藤の指摘はこれを指している。『葉隠』はなかなか含蓄のある書物だが、江戸時代よりはむしろ明治維新以降このような死生観が一面的に『葉隠』から切り取られ官製とされるようになってから、日本人の(少なくとも官製エリート達の)死生観は随分と軽くなってしまったのでは無いだろうか。そうして、軽い死生観から出発する哲学もまた日本では随分軽くになっているように思える。

近代日本の歳月

加藤は日本人の死生観を代表するエリートの一人としての三島由紀夫を取り上げて語っている。

彼の究極の目標は、生きることではなかった。三島は死ぬために生きていた。そして彼は彼自身が望んだ死を死んだのである。その美学に従って儀式的な、天皇のための、細部まで完全に演出された死と、その死のなかのエロスの陶酔を。それはまったく個人的な目標であり、超越的な経験の欲求である。それによって時間と社会の限定は瞬間的に越えられるだろう。しかしその最後の瞬間においてさえも、三島はテレビの脚光を必要としたほど、あまりにも彼自身の流儀で戦後の日本に生きていた。

もっとも、これが日本人の死生観のすべてではない。三島のようには考えない日本人の中にはホラティウスのように時の流れを嘆く者もある。そしてその中には官製の死生観にとらわれない日本の文化の担い手でもある人々が含まれるが、だからといって、彼らの手で明治以降に植え付けられた死生観を転換させるような死生観とそれに続く哲学的な思念が生まれてくるわけではない。そもそも日本は何ものも残さない文化である。浮世絵が世界で評判になっていた頃に、すでに日本の浮世絵は衰退していたのである。なにものも過去のものを残さない日本文化にとって、ギリシアの時代に立ち返り人間の存在を考察するヨーロッパの哲学的な思考は馴染まない。ハイデッカーは、「存在論」はヨーロッパ固有のものであり、アフリカの蛮民には理解できないと『ニーチェ』の中で述べたが、その言い回しはともかく、固有の文化を越えられない何ものかは、それぞれの文化にあるだろう。日本では、死生観はかつて官製のものとして日本人に与えられ、それを変えることがあるとすれば、それもまた官製でなければならないのだろう。

戦後70年の歳月

しかし、現代においての官製の死生観の軽さと、それに対抗する明確な哲学を持つことのない儚い日本の文化的構造の下での死生観しか現代社会の中に見いだすことが出来なければ、昨今のように戦争に傾斜しようとする国の在り方が問われる場面に立ち入ると、余りにも安易な決断に繋がる可能性をいつでも秘めている。

戦後間もなくの頃に伊丹万作は、「戦争責任者の問題」という一文の中で

 

戦争責任者の問題

戦争責任者の問題

 

 

騙す者だけでは 戦争は起らない。騙す者と 騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。
「騙されていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう。

という有名な言葉を遺した。

幸いにも70年間騙されながらもなんとか日本はやってきた。しかし、そのおかげで官製の常在死身の死生観もさして変わることは無かったので、今や伊丹のこの言葉が日本人にとって大きな意味を持つ、そう言う時代に我々はやってきたのかもしれない。

10年の後

ことのついでに、ここから先の予想をするのに、半藤一利の話も面白い。

 

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

 

明治維新以降、国として成功するまで40年、その資産を食いつぶすまで40年で戦後となり、高度成長期などを経てもう一度それを立て直すまでに40年、そこでバブルが崩壊したとある。半藤の読み物はフィクションの域を出ることのないものとして割り切って読む必要があるように思われ、40年ごとの区分も少し恣意的に見えるが、この仮説に従えば、もう1度日本の資産を食いつぶすのに40年かかることになり、2025年くらいに、その節目を迎えることになる。半藤もそこまで踏み込んだ予想は敢えて避けたようであるが、バブルが弾けて以来の失われた20年、政権交代から民主党政権の崩壊、そして昨今のアベノミクスに至る政治情勢の道程などを重ね合わせるとちょっと説得力が出てくる。面白い仮説だと思う。

歳月人を待たず。また、歳月は国の衰亡も待ってはくれない。

Fugaces labuntur anni.

NetBSD6.1.5でslimログインマネージャ

NetBSD

NetBSDでなるべくFreeBSDで使っている環境に近い環境を作ってみようと思って、Xの環境を入れてみた。最近はNetBSDも

pkgin install xfce4

などでバイナリのパッケージがインストールできるので、大分楽である。Xfce4ではなくMATEにしたかったのだが、パッケージにはなっていないようなので、ここは諦めることにした。

ログインマネージャーも入れてみようと思ったがXDMとxdm3dしかない。まあ、NetBSDな人達がそんな物を使うはずも無いが、wipにslimがあるのでこれを使ってユーザのautologinを試してみることにした。

cvs -d:pserver:anonymous@pkgsrc-wip.cvs.sourceforge.net:/cvsroot/pkgsrc-wip login
cvs -z3 -d:pserver:anonymous@pkgsrc-wip.cvs.sourceforge.net:/cvsroot/pkgsrc-wip checkout -P wip
sudo mv wip /usr/pkgsrc/

でwipを取ってくる。

slimのディレクトリに行ってmakeしてみるが2つほどエラーが出て通らない。wipだから仕方が無い。

どうやらポインタに対する記法が合わないことと、Makefileのpngライブラリのバージョン番号が合っていないようである。

cd /usr/pkgsrc/wip/slim/work/slim-1.3.1
    gsed 's@png_ptr->jmpbuf@png_jmpbuf(png_ptr)@g' -i png.c
    gsed 's@-lpng12@-lpng16@g' -i Makefile
cd /usr/pkgsrc/wip/slim
    gsed 's@-lpng15@-lpng16@g' -i Makefile

これで、コンパイルは成功する。

インストール後、/usr/pkg/etc/slim.confにハードコーディングされているいくつかのコマンドのパスを/usr/binから/usr/pkg/binや/usr/X11R7/binなどに変更してあげる必要がある。 wipなので設定ファイルまでは面倒見てくれない。ともあれ、そんなこんなで動くは動きだしたが、結局しばらくすると固まってしまうようだ。 何か設定漏れでもあるのかな。これもwipだからそんなもの。

作業した結果は遂に役に立たなかったが、設定作業中に、slimではユーザ名にconsoleとかhaltとかexitとか入力できることを知った。なるほど、この仕様は遊び心があって面白い。ただ、実運用上これでは、良いような悪いような。

新しい年

還暦も2年ほど過ぎて迎える正月に珍しいものは無いのだが、今年は年賀状も書かずに英作文に専念しなくてはいけない事情があり、コツコツとやっている。案外捗ると思うこともあれば、半日無駄にしてしまうこともある。そもそも英作文などはここ1,2年の経験しか無いのだから仕方ない。思えば昨年は60の手習いよろしく未経験のことを得意の知ったかぶりをして随分やらされたが、そろそろ限界も感じている。有能な将軍が元帥に昇格して無能になったという有名な逸話を聞いたときに、確かにそういう人は何人か出会ったが、自分にそういうときが来るのだろうかと思っていたものである。しかしこの頃は「自分もそろそろねえ」とふと思うときがある。50代は思いもしなかったが、60歳を過ぎると次があるわけでも無くすっぱり隠居する以外選択肢があまりないことを実感する一年でもあった。

さて、昨年はそういう一年であったが、今年は個人的な事情も少し良くなるような気もしている。まあ、年の初めは楽観的であり、年の瀬は結局思ったようにはならずに悲観的になるのは、毎年のことかも知れないが。

個人の状況はそれでも良いが、もっと広いところに目を向ければ、内田樹の今年の年初のブログはなかなか共感できる。2015年の年頭予言 (内田樹の研究室)

国破れて山河あり。そこに残る「山河」すなわち文化的蓄積がこれまでのそしてこれからの課題でもある。さて、そこで何が出来るかなというささやかな野心もまだあるかな。

システム運用の科学

今から3年ほども前に 「運用でカバーの科学」というタイトルでエッセーを書いたのだが、今頃同じタイトルで何か書いてくれとさるところから依頼が来た。気安く引き受けてしまったが、現場を離れてから久しく、書き始めてみると、ぼけた話しか書けないということに気がついたが、後の祭りである。仕方ないので、いい加減なエッセーを1本書いたら、さすがに編集部も困ったのだろう、ボツにするかもと言われてしまった。それはそれで世の中に余計な物を見せないで済んだということで良いと安心していたら、編集部も然る者で、結局そのエッセーに無理矢理「運用でカバーの科学」というタイトルを付けてリリースしてしまった。なるほどと思い、それもまあ仕方の無いところだとも思ったものである。

それにしても、システム運用を科学的に解析するという必要は、昔も今も無くなったわけではない。ちゃんと研究する場を作りたいと思うが、私ごときでどうなるものでも無い。

さてどうするかな。

Lewin先生の退場

https://newsoffice.mit.edu/sites/mit.edu.newsoffice/files/styles/news_article_image_top_slideshow/public/images/2014/mit_seal_SIZED_32.jpg?itok=0XbCg4N7

MITの名物物理学教授として知られていたProf. Walter Lewinは、2009年にMITを退職後75歳をすぎてなおedXでオンライン講義を行っていた。Lewin先生の工夫の効いた派手なパフォーマンスはネット上でも評判だった。2008年には、A New Physics Superstar - US Newsという記事にもなっている。

しかし、ここから先は、あまりpoliteにできるような話題では無いのだが、この12月9日に、そのLewin先生が、MOOC上でセクシャルハラスメントを行っていたという報道がながれてきたMIT removes online courses of professor found to have engaged in online sexual harassment @insidehighered。これによって、関係するビデオがOCWなどからすべて削除され、Youtubeからも順次消えて行くようである。こんなことが大規模オンラインコースで発生しうるというのは予想もしていなかった。情けなくもあり悲しい出来事でもあるが、MITは一定のプロトコルに従い、2ヶ月ほどかけて判断し、今回の措置に踏み切ったようで、リスク管理の点ではさすがと思わせる面もある。大規模なオープンエデュケーションでは、このような事態は匿名化することも隠すことも出来ない。しかしLewin先生が何をしたかは現段階では未公表にしながらも、必要な情報だけをきちんと出しているように思える。MITでできたことが日本で出来るかどうかはなかなか微妙な感じがする。不幸なことではあるが他山の石とするべきことのように思える。

セクシャルハラスメントだけではなく、大学で起こりうる様々な事故はオープンエデュケーションでも発生し、迅速に適切に対策する必要がある。しかしそうした対策を阻むオープンエデュケーション特有の課題がそこにあるはずである。そうした問題への準備はまだ不十分であり、経験はこれから積み上げて行かねばならないのだろうと思う。

 オンライン教育とは関係ないが、何年か前にも70歳の高名な物理学者がコカインの運び屋のハニートラップにひっかかったPaul Frampton hit by 56-month drugs sentence - physicsworld.com。研究者も人間だからいろいろな人が居るのは当然だし、聖人君子ばかりでもないとはいえ、それにしてもいろいろな人が居るものだ。

CentOSのバージョンアップ

 

f:id:SeishiONO:20200714100253p:plain

centos6.5から7へのバージョンアップは何台かやったが、その都度つまずく。もうなれた頃だろうと思ったら、今回も思いがけないところで躓いた。VMware上のサーバを触ったのだが、ネットワークインターフェイスが見えなくなってしまったのだ。

こうなるとネットワーク越しにはなにもできない。VMwareのコンソールにwebブラウザ経由でアクセスするのだが、これがWindowsのfirefox限定のようだ。なかなか使いにくい。

 このコンソールでまずしなくてはいけないのはrootのパスワードの設定である。

Grubをいじるところから始めなくてはならない。苦労してbootスクリプトたどりつき、 init=/bin/bash オプションをつけてメンテナンスモードに入ったが、このコンソールではカーソルもよく見えず、仕方なく勘をたよりに mount -o remount,rw / としてから、/etc/shadowを直接触ってパスワードを編集した。rootにパスワードを設定しないLinuxのお作法がこういうときに裏目だなと時々思う。

その後、マルチユーザモードに戻ってから、ネットワークインターフェイスを確認するとeth0とeth1が消え去っており、ens160とens192になっている。この現象は、VMwareでは時々みられるらしい。ここでens160をeth0にひもづければいいのだが、その設定ファイルであるはずの/etc/udev/rules.d/70-persistent-net.rulesをみると /dev/nullにシンボリックリンクされている。ここは触るなということなのだろうと解釈して、ここを触るのはあきらめることにして、/etc/sysconfig/network-scriptsの下を直接書き換えてしまった。

まあ、使い慣れない "ip link show"などのコマンドが覚えられてよかったけど、スクリプトの書き換えは、次のバージョンアップのときには忘れてまたパニックしそうだ。それまで運用を担当していないことを祈ろう。

もう少し情報を集めて、本来の姿に戻しておかないと。*1

*1:後で落ち着いて調べたら ifcfg-eth0の中のDEVICE名を書き換えるだけで良いようだった。

オープンエデュケーションとその時代:安楽死する日本の大学そして日本

ポストMOOCの時代に取り残される日本

前号でご紹介した通り、オンライン教育を活用したオープンエデュケーションの活動の一つであるMOOC (Massive Open Online Courses)は、2012年頃には、ニューヨークタイムズから、``The Year of the MOOC''と讃えられるほどの目覚ましい発展を遂げていた。一つの講座に100万人単位の学習者を集めることに成功し、大学のあり方を劇的に変えてしまうのではないかと米国で騒がれたのだが、その事情は、最近に至るまで日本ではあまり知られることは無く、周回遅れのように、米国でのブームから1年ほどして、日本でも漸く話題になった。

しかし、日本で騒がれ始めた2013年後半からは、米国では、オープンエデュケーションの活動はポストMOOCの時代に入ったといわれ、MOOCについての様々な反省が取りざたされるようになっている。

2014年に入ってからは、米国でのMOOCの話題は急速に下火になってきており、MOOCという言葉はもはや死語になるだろう、とまで言われはじめている。この時期に来て、日本では2014年4月からJMOOC(社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会)の活動が始まり新聞報道も盛んに行われるようになったところである。

JMOOCそのものは、日本におけるオープンエデュケーションの立ち遅れに対する強い危機感から創設された法人であり、その活動がなければ、オープンエデュケーションにおける日米格差の事情はもっと大きくなっていたはずであるが、それでも、相変わらず米国の周回遅れになっている状況は十分には改善されていない。

日本の事情は後に触れることとして、米国におけるMOOCの反省点はいくつかある。とくにMOOCのなかで最も華々しい成功を収めたMOOCプロバイダーであるCourseraは、巨額の資金を集めに成功したが、その分、余りにもお金をかけすぎていると批判を受けている。加えて、学生の学習完遂率が数パーセントにとどまる点や当初の目的とされていた企業マッチングにも成功していないなどの失敗も指摘されている。

MOOCは大学では無いので、その履修証明のブランド価値は、企業に評価されて初めて意味が出る。このため、企業マッチングがうまく機能しないようであれば、MOOCの行方に不安があるとの指摘は当たっているだろう。こうした事情からか、最近ではダフニー・コラーと並んでCourseraの創設者であったの二人のうちの一人であるアンドリュー・ングがCourseraを事実上去るのではないかと報道された。

2012年のMOOCが華やかに喧伝された当時、MOOC三大プロバイダーと言われたCoursera、Udacity、edXのうち、残る2つのプロバイダの情況も大きく変化している。

セバスチャン・スラン率いるUdacityは、2013年終わりには、大学との連携に見切りをつけ、企業と直接タイアップしたプロフェッショナル向けのエデュケーションを展開しようとしている。また、MIT、ハーバードなどが出資するedXは、各大学の事情に合わせたオンラインコース、SPOC(Small Private OnlineCourses)を展開しようとしている。

それぞれのプロバイダが、それぞれ当初の道とは少し異なる道に活路を見いだそうとしている。これがポストMOOCの時代の第一の面である。

しかし、より重要な点は、ポストMOOCにおいては、その強い影響を受けた多くの大学が、新たなオンライン教育の活路を見いだそうとしている。ここにポストMOOCのもう一つの面がある。

MOOCが一時のブームだったとしても、高等教育機関におけるオープンエデュケーションのブームが終わるわけではない。これからの時代は、オープンエデュケーションは様々姿を変えてやってくる時代になったのである。

南ニューハンプシャー大学の奇跡

米国北東部の小さな大学だった南ニューハンプシャー大学は、2009年までは、学>生数わずか2,000名、財政的にも苦しい経営を迫られ明日にも倒産と思われていた大学だった。
しかし、その時学長に就任したルブラン博士は、オンラインとコンピテンシーベースの教育(教育すべき内容を細かい単位に分割し、個々の学習者に合わせたセミオーダーメード型の教育を行う事)を梃子に、わずか数年で大学のありようを一変させ、今日では学生数3万5千人を抱える大学にまで成長し全米を驚かせ、新たなオンライン教育の可能性を示し、ポストMOOCに大きな影響を与えた。

南ニューハンプシャー大学のコンピテンシー教育による工夫は、大学のアマゾンと呼ばれている品揃えの豊富さにある。実際Webページを覗いて見ればわかるが、そこには学習者が望むと考えられる多様なコースが置かれており、学位や資格取得などに必要なコースを組み合わせて履修するための情報も必要かつ十分なまでに充実している。発行される学位は多様であり、大学院の学位もある。
何よりも大学のWebページにある ``Best Buy'' という安売りショップのようなセールスコピーがなによりもそのあり方を示している。

この大学のさらなる魅力は、オンラインを含む他のどのような大学と比較しても、低価格でしかも短期間に学位取得が可能なことにある。高い学費に苦しむ米国の学位取得希望者に一躍人気になったのも道理である。

マネージメントも工夫が凝らされている。南ニューハンプシャー大学のオンラインコースの教員たちは、研究業績を求められない、代わりにコース当たりのインセンティブがあり、数多くのコースをこなすことにより、それなりの水準の収入が確保できる。

その活動はMOOCがブームとなる以前からのものであるが、オンライン教育がすべてを変えてしまうというレバレッジの大きさを象徴してい
るという点でポストMOOCの大きな柱である。

最近では、アイルランドの大学が連合してオンライン教育を始めようとしているが、そのベンチマークには、MOOCと南ニューハンプシャー大学がある。

グローバル化とオープン化

オックスフォード大学社会学部教授の苅谷剛彦氏は「『国際競争力』の幻想に惑わされた日本の大学改革」(2014年2月)の中で、日本の教育のグローバル化について言及し、そもそも非英語圏である日本は、グローバル化と言ってもリアルな競争はできず、「想像上」の競争に過ぎないと指摘している。日本語という壁がオープンであるべき情報を阻み、本当の意味でのグローバルな競争を阻んでいるという指摘である。

高等教育機関を英語ではなく母語で受けることができるという国は、そう多くは無い。日本の高等教育はその点で独自の文化で有り、誇るべき点でもあるかもしれない。国際的に活躍してきた多くの大学人がその点を指摘する。しかし、そのことが同時に世界の中での孤立を生むという問題もあることをこの論説は示唆している。

反面、グローバル化は、米国のご都合主義と考えることもできる。米国文化の無理矢理な押しつけがグローバリゼーションである、という論説を時々見かける。
しかしそうした論説にも見落とされているものがある。グローバリゼーションの波には、実はオープン化という米国固有の文化が付随しているという点である。

反知性主義とオープンな文化

米国では1950年代のマッカーシズムに典型的に見られたような反知性主義(anti-intelectualism)が優勢であり、高等教育を無用の長物とみる風潮がある。
反知性主義の起源は、実は、コンピュータなどは全く無縁の米国開拓時代を遙かに遡るとされている米国の伝統でもある。エリート大学はこの対応に苦慮してきたが、冷戦の最中に学術研究の役割が見直されて以降は今日に至るまであまり表だつことはない。しかし、知性(intelectual)よりも知識(intelligent)が重視され、実践的な成果が求められるという風土が変わったわけでは無い。

米国の高等教育機関がオープンにこだわるのは、反知性主義に対する配慮という側面があるだろう。施設を地域に開放し、成果を社会に還元するといったオープンな活動を積極的に展開することは、マッカーシズムによる「反知性主義」を経て、冷戦時代に多額の軍事にかかわる国費を費やして成長してきた米国のエリート大学にとってのカードの裏表のような関係がある。

インターネットもまた、そうした米国エリート大学の一角で軍事経費によりスタートアップできたことを考えれば、その性格は一層明らかになるだろう。

そしてインターネットの登場とともに、米国固有の反知性主義の高等教育機関の反動だったはずの、オープンな文化は大きな変貌を遂げることになる。

オープン化は、まず第一の波としてLinuxなどのオープンソースがあり、これはやがて教育研究分野を出て、Googleなどの成功に象徴されるように、インターネット上のビジネスもオープンに基づいていることと切り離せない関係にまで根付いた。
反知性主義的な米国が、オープンという知性的な文化を生み、米国発のグローバリゼーションを支えるという倒錯した関係がここにできあがった。

オープンの波は、現在もさらに新しい波を生んでいる。第二の波としては学術雑誌のオープンアクセスがあり、この動向は、単に学術雑誌に留まらず、出版業界に大きな変動を引き起こそうとしている。
オープンエデュケーションは、これに続くオープン化の第三の波なのであり、ほかの2つの波と同様にやがて教育研究分野を越えて広がって行くだろう。
実際Udacityの取り組むプロフェッショナルラーニングがその一つの答えの一端になっている。

オープンな文化と自前主義文化

日本では、グローバル化が叫ばれても、それと裏腹な関係にあるはずのオープンな文化については殆ど意識することがない。ここには、日本では、オープンという文化を受け入れがたい強い事情があることを示唆している。

私はこの事情を日本文化の「自前主義」と呼んでいる。高度成長期を経て「日本的経営」とバブルの頃持て囃された日本の企業体質もその内実は「自前主義」だったのであり、日本でもっとも成功している企業であるトヨタは、自前主義をもっとも典型的に体現している企業だとも言える。

自前主義のオープンな文化への態度は、オープンソースの日本での扱いにみ
ることができる。

日本ではオープンソースの活用は盛んに行われている。企業は、オープンソースを活用し様々なサービスを提供し、製品を作り上げる。しかし、オープンソースの提供者であるコミュニティには、何の還元もしない。当然のごとくに無料で利用するだけで終わりである。

米国では、IBMをはじめとする大企業がオープンソースに対して巨額の
支援をしているという事情とは正反対である。

米国で多くの優れたオープンソースが生まれ、日本では僅かの例外を除いて、殆どオープンソースへの貢献が無い理由である。

さらに面白いことに、米国にあってもIT系の日系企業は、米国のコミュ
ニティにはかなりの支援を行っている。日本では、オープンソースコミュニティには全く見向きもしない企業がである。
オープンへの取り組みが、文化的な事情に根ざしているということを象徴している。

日本の高等教育においてもその事情は同じであり、オープンであるよりも前に「自前主義」を貫き、一つの大学の中の閉じた環境の中で教育を提供しようとする。
日本の私立大学が800にも及ぶのはいくつかの理由があるにしても、「個
性的な」教育を「自前」で提供するという文化がそれを支えているという一面がある。本当にオープンな環境の中で800もの「個性的」な組織が生き残ることは難しいであろう。

苅谷氏の言うとおりグローバル化は英語圏でもない日本では茶番であるが、その内実のオープン化は、本来英語圏であるかどうかに関わりの無い事態であるにもかかわらず、無関心もしくはあまりに無知である。

グローバル化だけが叫ばれても、肝心のオープンな文化という中身を捨ててしまっている以上、グローバル化が日本で普及しないのも道理である。

安楽死する日本の大学

日本の独自の「自前主義」文化の中で日本の大学は静かに息づいている。
いまはそれでも良いかもしれない。日本の大学の市場は日本の学生であり、世界の動向とは今の所は無縁である。

一方、これを世界全体から見たときに何を意味するのだろうか。このまま独自の文化の中で繁栄を続けることができればそれはすばらしいことでもある。しかし日本の外では、すべてが英語で行われている研究成果や効果的な教育手法の「オープン」な成果物を日本のそれぞれの大学が「自前主義」で日本語化し、JMOOCの例に見られるように、そこからゆっくりとしかも独自に普及させて行くという手法だけしかなければ、日本はますます孤立化し、教育を基盤とするすべての世界的な競争に取り残されるということになる。

若者が、オンラインを通じて世界の大学に容易に入学でき、企業は日本
の大学よりもオンライン教育で育った若者に価値があると気が付いたときに、日本の大学は教育という面で価値もないものになるだろう。

大学の関係者のだれもが「ぼんやりとした不安」を抱いている。同時にそんなことはありえないとも思っている。文部科学省を含め、大学に関わる度合いが強い人ほど、大学がオープンオンラインごときに影響を受けるはずは無いと思っている。

大学業界の中心から少し離れた周囲にいる人たちの中には、強く懸念する人たちがいることも興味深い。しかし、その声が大学関係者に届くことはほとんどない。

現在の大学は、少子化という目の前の危機があり、ほとんど競争というものを知らない大学業界は、企業的には多くの問題を抱えている。その限りでは、オープン化などに構っている余裕は無い。ところが他方では、大学の倒産はここ10年あれだけ騒がれながら、数えるほどしかない。そんな中では、海外の動向にまで目配りして、大学に対する危機感を持つという動機が乏しくともいたしかたの無いところである。私はこれを日本の大学の「安楽死」とよんでいる。

日本が安楽死する日

「安楽死」は、日本の大学だけではすまないかもしれない。文化的な敗北は、大学と同じように「自前主義」の日本の企業の安楽死を引き起こし、遂には、日本全体の安楽死につながるかもしれない。

オープン対「自前主義」は、日米の固有の文化の衝突であり、オープン化への従属は、日本の固有の文化の破壊である、という見方もできる。

皮肉なことに、「自前主義」の中に甘んじ、オープンな文化に慣れていない日本においては、クローズにすることも不慣れである。日本の多くの製造技術は中韓に流出したが、同じ中韓は米国ではそのような恩恵を被ることはないし、iPhoneで成功するApple社は、これだけオープンな環境の中で次期製品情報を流出させることは決して無い。日本の「自前主義」文化が甘えを生み、世界的に見れば脇を甘くしているとも言える。

その点だけを考えてもオープン化は、強力な武器であることがわかる。オープンであることにより、多くの人々に知識を提供し、コミュニティを形成し、一個の力では到底到達できないプロダクトを作り出す。その典型的な結果が、先にも述べた、オープンソースにおけるLinuxであり、Googleがオープンな戦略により一人勝ちを納めたケースである。

日本的「自前主義」対オープンの戦いは、1対1での戦闘しかできない日本の古武士が、集団戦闘の海外の軍団と戦うようなものである。個々の能力の高さだけでは、チームワークに勝利することはできない。勝負は闘う前から着いている。

魯迅の小説「吶喊」の自序では、当時の中国の安楽死を拒否する魯迅の強いメッセージが載せられていた。一国の安楽死の危機を前にして、日本では、いたずらに愛国心を煽る輩はいても、当時の中国における魯迅のような自覚も意識も持つ人はいない。オープンな文化に対する意識は「知性」を代表するはずの大学でこそ自覚されなければならないはずである。しかし日本においては、肝心のその大学が、「自前主義」に徹して、経営者は今年の入学者数に気をもみ、教員は過重な業務負担に追われ、大学人は、誰もが目の前の問題にしか目が行かないという体制の中にある以上、安楽死への警鐘を鳴らすものがだれもいないという事態
も仕方の無いことである。

私自身は、「愛国心はならず者の最後のより所である」というサミュエル・ジョンソンの言葉を愛するので、愛国心に燃えて安楽死に憤るということは好まない。日本が安楽死することも悪くは無いと思う。

しかし、オープン化により多くのチャンスを手に入れることができるのに、「自前主義」にこだわり続けて、チャンスを失うのはちょっともったいないという気はしている。

(櫻井ゼミ同窓会誌『対話』第3号 2014年6月21日発行 所収)