古代の歳月
陶淵明の「歳月不待人」には年齢を重ねると色々な思いが去来するものがある。この詩の有名な終わりは、こうなっている。
盛年不重來 盛年重ねては來たらず
一日難再晨 一日再びは晨なりがたし
及時當勉勵 時に及んで當に勉勵すべし
歳月不待人 歳月人を待たず
時は限られているのだから、今のうちに楽しめるだけ楽しんでおこうというのが、陶淵明である。ちなみに、古代中国語の「勉勵」には、勉強すると言う意味は無い。
同じような古代の詩人でもローマのホラティウスはすこし違う。
Eheu fugaces, Postume, Postume labuntur anni.
ああ、ポスツマス、ポスツマス、歳月の過ぎゆくことのいかに早きことか。
時が余りに早く過ぎ去ることを嘆くのである。この対比は一件両極端に見えるが、両者に共通するのは、「時」の背景に常に潜む死に対する恐怖であり、「文化的な背景の上に成立している死生観である。案外東洋的な哲学と西洋的な哲学の違いは、こうした死生観のはるか延長上にあるのかもしれないと思う時がある。
日本人の歳月
とすれば、日本人の死生観では、陶淵明のように楽しむだけ楽しむのか、ホラティウスのように時の流れを嘆くのかどちらであろうか。加藤周一は『日本人の死生観』
の中で、
西洋の近代社会との対比における日本の近代社会では、死の恐怖がより少く感じられるとしても不思議ではない。日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがあるのは、死の崇高化が著しいからでは決してなく、死の恐怖が少ないからである。
と述べている。この言からすれば、死を恐れないという分だけは、陶淵明にいくらか近いが、実は随分隔たりがあり、陶淵明よりも死への恐怖は随分淡いものでもある。山本常朝の『葉隠』に至れば、
正月元日の朝、雑煮の餅を祝ふとて、箸を取 る初めより、其の年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々、死を常に心にあつるを以て、本意の第一と仕り候
ということになって、死も随分粗末になる。「日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがある」という加藤の指摘はこれを指している。『葉隠』はなかなか含蓄のある書物だが、江戸時代よりはむしろ明治維新以降このような死生観が一面的に『葉隠』から切り取られ官製とされるようになってから、日本人の(少なくとも官製エリート達の)死生観は随分と軽くなってしまったのでは無いだろうか。そうして、軽い死生観から出発する哲学もまた日本では随分軽くになっているように思える。
近代日本の歳月
加藤は日本人の死生観を代表するエリートの一人としての三島由紀夫を取り上げて語っている。
彼の究極の目標は、生きることではなかった。三島は死ぬために生きていた。そして彼は彼自身が望んだ死を死んだのである。その美学に従って儀式的な、天皇のための、細部まで完全に演出された死と、その死のなかのエロスの陶酔を。それはまったく個人的な目標であり、超越的な経験の欲求である。それによって時間と社会の限定は瞬間的に越えられるだろう。しかしその最後の瞬間においてさえも、三島はテレビの脚光を必要としたほど、あまりにも彼自身の流儀で戦後の日本に生きていた。
もっとも、これが日本人の死生観のすべてではない。三島のようには考えない日本人の中にはホラティウスのように時の流れを嘆く者もある。そしてその中には官製の死生観にとらわれない日本の文化の担い手でもある人々が含まれるが、だからといって、彼らの手で明治以降に植え付けられた死生観を転換させるような死生観とそれに続く哲学的な思念が生まれてくるわけではない。そもそも日本は何ものも残さない文化である。浮世絵が世界で評判になっていた頃に、すでに日本の浮世絵は衰退していたのである。なにものも過去のものを残さない日本文化にとって、ギリシアの時代に立ち返り人間の存在を考察するヨーロッパの哲学的な思考は馴染まない。ハイデッカーは、「存在論」はヨーロッパ固有のものであり、アフリカの蛮民には理解できないと『ニーチェ』の中で述べたが、その言い回しはともかく、固有の文化を越えられない何ものかは、それぞれの文化にあるだろう。日本では、死生観はかつて官製のものとして日本人に与えられ、それを変えることがあるとすれば、それもまた官製でなければならないのだろう。
戦後70年の歳月
しかし、現代においての官製の死生観の軽さと、それに対抗する明確な哲学を持つことのない儚い日本の文化的構造の下での死生観しか現代社会の中に見いだすことが出来なければ、昨今のように戦争に傾斜しようとする国の在り方が問われる場面に立ち入ると、余りにも安易な決断に繋がる可能性をいつでも秘めている。
戦後間もなくの頃に伊丹万作は、「戦争責任者の問題」という一文の中で
騙す者だけでは 戦争は起らない。騙す者と 騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。
「騙されていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう。
という有名な言葉を遺した。
幸いにも70年間騙されながらもなんとか日本はやってきた。しかし、そのおかげで官製の常在死身の死生観もさして変わることは無かったので、今や伊丹のこの言葉が日本人にとって大きな意味を持つ、そう言う時代に我々はやってきたのかもしれない。
10年の後
ことのついでに、ここから先の予想をするのに、半藤一利の話も面白い。
明治維新以降、国として成功するまで40年、その資産を食いつぶすまで40年で戦後となり、高度成長期などを経てもう一度それを立て直すまでに40年、そこでバブルが崩壊したとある。半藤の読み物はフィクションの域を出ることのないものとして割り切って読む必要があるように思われ、40年ごとの区分も少し恣意的に見えるが、この仮説に従えば、もう1度日本の資産を食いつぶすのに40年かかることになり、2025年くらいに、その節目を迎えることになる。半藤もそこまで踏み込んだ予想は敢えて避けたようであるが、バブルが弾けて以来の失われた20年、政権交代から民主党政権の崩壊、そして昨今のアベノミクスに至る政治情勢の道程などを重ね合わせるとちょっと説得力が出てくる。面白い仮説だと思う。
歳月人を待たず。また、歳月は国の衰亡も待ってはくれない。
Fugaces labuntur anni.