Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

源氏物語を読む

高校生の頃、源氏物語を全巻読むという授業があった。考えてみれば変わった事をする高校であった。結局は、週2コマあったとはいえ、1年かけてもさすがには全巻にはたどり着かなかったように記憶しているが、それでもかなりのところまで進んだようである。国語の教員がそのことを嬉しそうに報告していた姿を今でも思い出す。今にして思えば、高校の授業としては驚くべきレベルかもしれない。ただ、ここで「進んだようである」といったのは、私はその授業は桐壺だけであまりに退屈で脱落してしまったからである。ところが、私の友人は我慢して「帚木」までたどり着いた後「雨世の品定め」の話を面白そうにしてくれたばかりか、それ以降ずっとその授業を楽しんでいたようだった。

最近本屋で手に取ったウェイリー訳の「源氏物語」*1でその理由を私は初めて知った。ウェイリーによれば「桐壺」だけは旧弊な様式にとらわれてつまらない巻だというのである。その解釈に異論があるかどうかは知らないが、実際ウェイリーの源氏物語においては「帚木」の雨世の品定めを契機とするダイナミックな男女の葛藤が巧妙に描かれている。思わず読みふけってしまった。ウェイリーはさらに源氏物語は女が女のために初めて書かれた小説という理解も示している。この観点もまた読む者を引きつける。

ついでに、玉上琢弥校訂の源氏物語*2の原文と玉上訳を並べて読んでいる。ウェイリーの大胆な訳に感心するとともに玉上訳の手際にも感心したりする。こういう読み方をするのはずいぶん久しぶりのことだ。実はついでに英訳もと思ってアマゾンで購入したが、これはサイデンステッカー訳だった。ちょっとだまされた気になった。ウェイリー訳はペーパーバック*3では「葵」までの物しかないようである。

ウェイリー訳をさらに日本語訳にした訳者にも敬意をはらわなくてはならない。訳者後書きにあるように正宗白鳥は源氏物語が面白い物だと言うことをウェイリー訳で気づかされたと語ったと伝えられているが、確かにこれは別物である。しかし、それでもやはりこれは源氏物語でもある。

こうして、ウェイリーと訳者の佐復秀樹氏のおかげで源氏物語など見向きもしなかった私はとても刺激的な経験をさせてもらっている。

その本の出だしはこうである。
原文

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

ウェイリー訳

At THE COURT of an Emperor (he lived it matters not when) there was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one, …"

佐復訳

ある天皇の宮廷に(彼がいつの時代に生きていたのかはどうでもよい)、衣装の間や寝室につかえる女性たちが大勢いたなかに、…

ウェイリーのやや投げやりな翻訳を受け止めて、さらにそれを今の日本語にするときに味わいのある表現が生まれたという風に私は受け止めたい。

因みにサイデンステッカーの訳はこうなっている。

In a certain reign there was a lady not of the first rank whom the emperor loved more than any of others.

英語の苦手な我々にはウェイリーよりもずっと優しい。けれども、それだけに日本語にしたときのおもしろみには若干欠けそうではある。

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*3:[asin:0486414159:detail]