Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

加藤周一の死

高校時代に私がもっともよく読んだのは羽仁五郎と加藤周一の著作だった。当時は学生運動の末期であったが、その後に及んでも高校生の中には口角泡を飛ばして議論を重ねる連中がいた。長い間、私は何もわからず彼らの話しにじっと耳を傾けているだけであったが、ある時、この二人の著作を読んで自分の知りたいことと主張したいことを見つけたように思った。文字通り、ある朝、目が覚めたら世界が変わっていた。無口だった私は、その日から饒舌になっていた。もし、その朝がなければ私の人生は今とはずいぶん変わったものになっていたはずである。それ以来しばらくは、私は、加藤周一の独特の言い回しをまねて作文を書いていた。

それから40年を経て加藤周一は多くの評論と作品を残して逝ってしまった。89歳であるからこれは天寿であって、仕方のないことではあるが、私の青春の最後のひとかけらが落ちていった。「さようならあまりに短かりし我らが夏のきらめきよ」というボードレールの詩の一節を加藤周一はよく引用していた。私もまた今日同じ感慨を抱いている。

加藤周一は、亡くなる直前まで明晰な文章を書き続け、衰えることを知らなかった。それはいうまでもなく驚嘆に値する。私も年を経て周囲にはかつて壮健だった人々が老人となってゆく様を見る機会が増えて来るにつれ、それがどれほど驚嘆すべきことかを痛感する。

朝日新聞に連載され続けた「夕陽妄語」は30年に及んだ。私はこんなところでブログを書いているが、今まででも毎回10日も書けば飽きて放擲してしまうのが常だった。しかももちろん内容は人には見せられるほどのものではないことばかり。今日改めて最近の「夕陽妄語」を読み直し、もう二度と出会えない真の知識人の重みを改めて思い知らされている。

夕陽妄語 8

夕陽妄語 8