昨日は、「ある日システム管理者がいなくなったら」どうするかという話をとある場所で話させていただいたが、自分でも得心の行く話の落としどころをずっと見つけることができず、結局不出来な発表になってしまった。わざわざお出でいただいた方々には申し訳ないことをしてしまった。きっとフラストレーションがたまったに違いない。お恥ずかしい限りである。もう一度ペーパにする機会があるので、その時こそもう少しきちんとした話にまとめてみたい。
とはいえ、かつてはあんなに魅力的だったインターネットが当たり前品質になってしまったときに、そのパラダイムチェンジにきちんとついて行く必要があるということは確かである。企業ではごく当たり前のことが大学という産業ではうまくできていない。
当たり前品質になったネットワークに研究者は不要である。もっと魅力的なものを作り出すのが研究者の仕事だろうと私は思う。かつてのインターネットがそうであったように。
そうした意味ではIPv6の研究者たちは過去の栄光を取り戻そうという意欲があった。しかし、以前にも書いたが、残念ながら目指している方向が人々の方をあまり見ていなかったという気がする。典型的な例としては、IPSecがあるからファイヤーウォールはやめようという主張などは、現実の利用者のことを考えていなかったというように見える。
当たり前品質になったとはいえインターネットには様々な新しい問題が日々発生している。そうした問題は誰が担当するのか、ということもある。
こういう問題をどう扱ったらいいのか。パラダイムチェンジのための良い指針がまだできていない。それは研究者が考えてね、ということでもいいことかもしれないが。