Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

日本の高等教育機関における教員と事務職員(2)

2 マーティン・トロウのモデルにおける大学経営

日本における高等教育機関の教員と事務職員の問題を考えるための導きの糸として,トロウモデルを取り上げる.大学の未来を占うものとして,盛んにもてはやされたトロウモデルは,今日ではすっかり忘れられた存在であるが,その説明力は,今日でも侮れないものがある.

周知のように,マーティン・トロウは,大学の進学率というたった一つのパラメータだけで,米国の高等教育機関は,エリート型,マス型,ユニバーサル型と進化してゆくとするモデルを構築した[3].1970年代のことである.この時代は,米国はベビーブームが終焉を迎え,高等教育機関も大きな変貌を遂げて行く時期に当たっており,トロウのモデルは,エリート型からマス型に移行して行く米国の高等教育機関の状況を良く説明していた.

ただし,トロウの述べたユニバーサル型については,この時代の米国には本格的には到来しておらず,当時の米国の実状から演繹された予想モデルに過ぎない.このため,その後の米国の高等教育機関の変遷を見た場合,ユニバーサル型におけるトロウの予想は,必ずしも妥当しなかった部分もある.

それでもトロウモデルに魅力があるのは,進学率という単一のパラメータしかない単純なモデルで,多くのことが説明できるという点にある.

2000年代初頭に日本の高等教育機関は,第二次ベビーブームの終焉に伴い急速に18歳人口が減少して行く段階を迎えた,トロウモデルでいえば,ちょうどマス型からユニバーサル型への転換点を迎えたように思われ.この時,単純ながら説明力のあるこのモデルは日本にも適用可能なものとして大いに注目された.ただし,日米の間の環境の違いから,日本へのトロウモデルの適用が必ずしも妥当しなかった部分もあり,さらにユニバーサル型に至っては,モデルの予想とは次第にずれが大きいものとなっていったとしてもやむを得ないところである.近年トロウモデルの取り上げられる機会が減少してきているのも,こうした事情による.

とはいえ,このモデルは,半世紀を経た今でも示唆に富んでいる.日本では主として教育研究の在り方の変貌などについてのモデルの予想が注目される中で,あまり注目される機会は少ないが,大学経営に関するトロウの指摘は,とりわけ考えさえられる点が多い.表1にトロウモデルにおける経営に関係する3つの指摘を示す.

表 1トロウモデルの例

段階

エリート型

マス型

ユニバーサル型

社会と大学の境界

閉じられた大学

開かれた大学

大学と社会との一体化

大学の管理者

アマチュアの大学人の兼任

大学人が専任化

プロフェッショナル

大学の内部運営形態

長老教授による寡頭支配

教員と官僚による支配

学内コンセンサスの崩壊

外部の支配

マーティン・トロウ『高学歴社会の大学エリートからマスへ』(1976年)*1

まず,表1中の「社会と大学の境界」については,大学のオープン化についての予想であり,米国の実状をよく現している.大学のオープン化は,トロウがモデルを構築した1970年代から,米国においてはすでに大きな変貌を遂げつつあった分野である.そして,ユニバーサル型段階おける「大学と社会の一体化」は,2012年にブームとなった大規模オンライン教育コースMOOC(Massive Open Online Courses)等に見られるオープンエデュケーションの活動を予想していたようにも見える.高等教育機関のオープン化は十分な理由があり,高等教育機関にとって価値あるものという認識が米国ではかなり明確である.オープンエデュケーションはその延長上にある.

一方の日本の高等教育機関にけるオープン化は,行政も経営者も,そこに価値を見いだすことができず,さらにはオープンエデュケーションについては,わずかの例外を除いて,ほとんど顧みられることが無い.このため,後に見るように,日本の高等教育機関は折角の機会を失うこととなっている.

次に,表1中に示す「大学の管理者」は,この中では,もっとも示唆的である.まず,エリート型段階における大学経営はアマチュアの大学人がしかも兼任で行っていたとされている.それが,マス型段階では,アマチュアでありながらも専業化が進み,ユニバーサル型段階においては,プロフェッショナルの経営者が登場するとしている.この予想は,米国においては,ほぼ妥当している.今日の米国では大学経営はプロフェッショナルの仕事である.一方の日本においては,エリート型のアマチュアの大学人による経営という点はまさに指摘の通りであるが,今日に至っても,プロフェッショナルの経営者は登場していない.かつて横浜市立大学の学長を務めた経験もある,テンプル大学日本校学長のB・ストロナク[4]は,日本の大学には,経営者としてのプロフェッショナルが不在である事が大きな問題であることを指摘している.

なお,ここで,大学の経営に求められているのは大学経営のプロフェッショナルであって,他の事業ドメインにおける経営者としてのプロフェッショナル経験を問うてはいないという点は明確にしておかなければならない.近年多くの他業界の企業人出身者が高等教育機関のマネジメントに関わるようになってきているが,高等教育機関が価値を生み出すものは何かを理解しない限り,彼らもアマチュアに過ぎない.例えば,上述の「社会と大学の境界」としてトロウが取り上げた高等教育機関におけるオープン化の重要性は,他の事業ドメインとは,目指すべき方向が異なっている.後に述べるように,「自前主義」を前提とした日本的経営に慣れたドメインの経営者にとっては,オープン化が高等教育機関の価値を生み出すということを理解することは難しい.しかし,その理解無くしては,高等教育機関は,大きな機会損失を蒙ることになる.

最後に,「大学の内部運営形態」は,エリート型段階における長老の寡頭支配を指摘するが,この点は日米に共通している.これは大学がアマチュアの大学人により経営されてきたことと関係しており,アマチュアの大学人の兼務という体制の下では,大学運営が長老の寡頭支配になることは,むしろ自然な姿である.その後のマス型とユニバーサル型に対するトロウの説明は,今振り返れば不十分な説明であるが,マス型においては,長老の寡頭支配は無くなるものの教員の支配は続くという説明と考えることが出来る.これは,あたかも,日本における教員と事務職員の関係を示しているように解釈することもできる.一方,ユニバーサル型は,プロフェッショナルによる経営の下で,従来の学内運営は大きな変化を遂げるであろうことを象徴しているようにも解釈でき,現在の米国の状況を予想しているようにも見える.いずれにしても,エリート型における長老の寡頭支配がやがて失われてゆくという点に関しては,トロウの予想通りである.

以上の例に見られるように,進学率という単一のパラメータで,トロウモデルは驚くほど様々な事態を,ある程度の妥当性をもって説明している.ただし,その反面,モデルが単純なだけに,なぜそのような事態が起こるのかについての説明は十分では無い.

トロウモデルが成立する仮説として,高等教育機関の進学率の上昇に連れ,それまで大学を支えてきた国家的な財政支援が膨張し,やがては限界を迎え,その結果,大学に大きな変化が起こるためであるとされている.この説明は,米国にはよく当てはまるが,日本には十分当てはまるとは言えない.近年運営費交付金の削減が,国立大学を衰退させているという問題を日本も抱えるようにはなったが,それでもなお国の支援の上に日本の大学は経営されている.そのような状況にあっても,なお,トロウモデルに妥当性があるとすれば,改めてそれぞれの国における固有の背景を十分に明確にした上で,このモデルを受け止める必要がある[5]

日本における教員と事務職員のあり方について考えるときにも,トロウモデルは,教員支配に関してある程度の在り方を示唆してくれているように見える.しかし,なぜそのような結果が導き出されるかについては,ここに改めて検討しておく必要がある.

(続く)

参考文献

   [3] マーティン・トロウ(天野郁夫,喜多村和之訳).『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』.東京大学出版会, 1976年

   [4]「機敏に自己革新を,外国人教員を教授会メンバーに」.日本経済新聞, 2013年8月11日付

   [5] 有本章.「高等教育の国際比較研究におけるトロウモデルと知識モデルの視点」.広島大学高等教育研究開発センター大学論集. 第 33 集(2002年度), 2003年

*1:本表作成は,「雑記帳」http://d.hatena.ne.jp/ced/20061229/1167407440, 2006年12月29日による

日本の高等教育機関における教員と事務職員(1)

サンチョ・パンサよ,どうやら運命の女神は,われわれが望んでいたよりもはるかに順調に事を運んで下さるとみえるぞ.ほら,あそこを見るがよい.三十かそこらの途方も無く醜怪な巨人どもが姿を現したではないか.

セルバンテス作(牛島信明訳)『ドン・キホーテ』(岩波文庫)

 

梗概

かつての日本の高等教育機関と企業の間には,「新卒一括採用方式」制度を通じた人材養成に関する相利共生の関係があった.このおかげで,高等教育機関は厳しい経済的な競争環境にさらされることも無く,従って経営らしい経営をすることもなく存続し続けることが可能であった.このため,近年に至るまで,日本の高等教育機関の倒産は驚くほど少ないまま推移してきたし,日本の高等教育機関の下にある構成員,すなわち教員と事務職員は,経営に対して余り大きな役割を求められることもなかった.

しかし,そのような時代は過ぎ去りつつある.今や日本の企業を取り巻く経済環境の変化に押され,企業が大学に求める人材に対する要求は年々厳しさを増しており,高等教育機関はその対応を迫られている.今後,歴史的に経験したことのない高齢化社会を迎え,大きな変化を迫られる日本の社会の中で,高等教育機関は,従来のように企業にもたれかかって存続することはできなくなる.

高等教育機関の構成員は,従来の教員と事務職員という区別の枠を越え,自身の組織の生き残りをかけて,各人がそれぞれの専門領域におけるプロフェッショナルとして,経営に大きな役割を果たしてゆかなくてはならない.*1

1 はじめに

日本の高等教育機関の教員と事務職員の間には,厳然とした主と従の関係が存在してきた.高等教育機関における教員と事務職員の問題を先駆的に取り上げてきた研究者の一人である広島大学の大場淳は,米国の事務職員はadministrative staffと呼ばれているのに対し,日本の事務職員については,英語では適切な表現は見あたらないと指摘したことがある[1].文部科学省においても,伝統的に,高等教育機関の職員とは教員のことを指す用語であり,事務職員は「その他の職員」に区分されていたことを考えれば,administrative staffでさえない事務職員という意義はある程度理解されるであろう.

この点,文部科学省が2017年4月の大学設置基準の改正において,「教職協働」を定義することとなったのは,教育行政における,ある種の意識の変化を示している.しかしながら,「教職協働」に定める教員と事務職員の役割と関係を「大学は,当該大学の教育研究活動等の組織的かつ効果的な運営を図るため,当該大学の教員と事務職員等との適切な役割分担の下で,これらの者の間の連携体制を確保し,これらの者の協働によりその職務が行われるよう留意するものとすること.」[2]と定義することには問題がある.教員と事務職員という区別を一旦設けた上で,改めて教員と事務職員が協働するという視点は,教員と職員という上下関係のある区別を無条件に取り込んでしまっているからである.

本稿では,文部科学行政の主導する「教職協働」という視点が,伝統的な日本の経済的社会的な背景に根ざした高等教育機関の運営の在り方に由来するものである事を明らかにするとともに,これからの高等教育機関の経営は,「教職協働」という伝統的な発想にとらわれた体制では実現できず,教員と職員は,それぞれプロフェッショナルとして経営に独自の役割を果たすことにより実現されるはずであるという点を明らかにしておきたい.

なお,以下では,コンテキストによって「高等教育機関」と「大学」という用語が混在する.厳密には,高等教育機関は大学を含む少し広い概念であるが,本稿では,特別な場合を除き同じ意味を持つ.

(続く)

参考文献

     [1]大場淳. 「大学職員の開発−専門職化をめぐって」. 広島大学高等教育研究開発センター『高等教育研究業書 (105)』, 2009年.

     [2] 文部科学省高等教育局長.「大学設置基準等の一部を改正する省令の公布について(通知)」,28文科高第1248号, 2017年 

*1:このエントリは,雑誌『私学経営』2018年5月号に掲載された「教員と事務職員のこれから —「教職協働」の甘美な夢 —」に加筆訂正したものである.

Blockchainは教育を変えるか

MOOCブームが去って,次は何が来るのだろうと待ち構えていたら,もしかすると次のブームはBlockchainかもしれないと思い始めた.

昨年秋辺りからMIT Media LaboがBlockchainを使ったDigital CertificatesProjectを始めた.同じ頃にサンフランシスコにある知る人ぞ知るHolberton School of software engineeringでは,成績管理にBlockchainを利用すると発表している.Mozilla Open BadgeからスピンアウトしたBadge Chainも同じ頃にでてきた.Sony Global Educationでは,証明書発行や成績管理のプロダクトを出すと言っている.

ブレーク寸前という感じだが,今年の極めつけはSXSWedu2016でのJane McGonigalのLearning is Earning2026の講演だったようだ

www.youtube.com

10年後には,Edublockができあがり,大学はこれに置き換えられている,という発言は,MOOCブームの時のSebastian Thrunの言葉を思い出す.

fortune.com

MOOCは彼の予想とは異なった道を歩んでいるが,Blockchainの明日はどうだろうか?

Jane McGonigalは10年後と言っているが,あるいはその時は,もっと早くにやってきそうな気がしないでもない.

CentOS7のkernelアップデートが失敗する

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思わぬできごと

旅行から帰ってきたら、どこかにぶつけたように右足の親指の付け根が痛い。最初は飛行機の機内で寝ぼけてどこかにぶつけたんだろうくらいに思っていたが、親指の付け根という典型的な場所だけにこれは痛風では無いかと思い至って、翌日病院に行って薬を処方して貰った。この歳まで痛風とは縁が無く、生まれて初めての経験だったが、旅行先で水分を余り採らないまま、かなり歩き回り、その上で、夜にはいつもより多めにお酒を飲んだことがトリガーとなったようだ。痛いことは痛かったのだが、最近はロキソニンのパルス療法で痛みもかなり緩和されるようになったようで、話に聞くほどの辛さも無く、靴が履けないほど腫れ上がる経験もせずに済み、良い時代に痛風になったものである。

それでも多少安静にしていなければならないようなので、この機会に仕事をさぼって、懸案だったCentOS7のkernelアップデートの課題に挑戦してみた。丁度解約済みのsakuraのVPSがあったので実験材料にはよい。

1 CentOS7へのバージョンアップ後の課題*1

VPS上でのバージョンアップ時の問題

今回の課題は、VMwareなどのVPS上で、CentOS6から7にバージョンアップしたサーバーのカーネルをアップデートするとカーネルパニックすることがあることである。この現象は、大きな規模のVPSでのみ観測されるように見える。例えば、VMware Fusionとかの小さな環境では再現しなかった。

GRUB2へのバージョンアップの失敗

また、CentOS6から7にバージョンアップしたときにGRUBがGRUB2になっていない場合に限り、このような現象が見られる。そもそも、GRUBのアップデートがなされないのにはなぜだろうと言う問題もある。全く同じVPS環境でもGRUB2にアップデートされているものもある。それなりの理由があるはずだが、今回はそこまでは追求せずに、とりあえずカーネルパニックをなんとかするのが目標である。

ネット上での調査結果

この現象をGoogle先生に聞いた限りでは、他の人で同じように困っている人には出会わなかった。私がやる限りどのVPSでも発生したのは、何か私のオペレーションに問題があるのかもしれない。CentOSもそれなりに便利だが、その分プロセスが見えなくなって、私のように想定外のへぼいことをするアマチュアにはそれなりに敷居が高い。もちろん昔のようなOSでは、管理しきれないだろうし、どっちもどっちなのだが。

原因を追及するのが面倒で、やがてカーネルのバージョンアップでそのうち直るだろうと放っておいたのであるが、そういうことは期待できそうに無いと観念したものである。

2 問題の発見

半日ほどいろいろいじり回して、最後に、/etc/grub.confの該当のバージョンに"initrd"の行が書き込まれていないという単純な事実に気がついた。もう一度Google先生に聞くと、再インストールすれば修正されるとの記述もみつかるが、今回はそれもだめで、結局手動で書き込まなければならなかった。結局以下のように記述した。

CentOS Linux (${version}.el7.x86_64) 7 (Core)
root (hd0,0)
kernel /vmlinuz-${version}.el7.x86_64 ro root=UUID=${UUID_NUMBER}
rd_NO_LUKS rd_NO_MDquiet rhgb crashkernel=auto KEYBOARDTYPE=pc
KEYTABLE=jp106 LANG=ja_JP.UTF-8 rd_NO_LVM rd_NO_DM
initrd /initramfs-${version}.el7.x86_64.img

しかし、これで何台かカーネルアップデートを諦めていたサーバーの問題は、あっさり解決した。まあ、お役御免になるサーバーの最後のご奉公で問題が解決できたことは、ちょっとうれしい。ただ、yumがなんでこんな失敗をするのか想像もつかない。

3 CentOS7への今後のバージョンアップの問題点

 CentOS7の最初のバージョンのカーネルでは、このようなyumの失敗は起こらなかった。ところが最新のカーネルでは、yumが失敗する。こうなると、今のタイミングでCentOSを6から7にバージョンアップしてしまうと、アップデート中に最新カーネルが導入され、yumがこの悪さをして、bootに失敗するはずである。試しに実験してみたら、案の定の結果になった。その場合には、VPSのコンソール画面から以下のような手間をかけることになる。

  1. レスキューモードで立ち上げ、rootでログインして/etc/grub.confにinitrd行を追加。(なお、バージョンアップが中途でハングアップしているためsudoは効かない。rootのパスワードが無いとここで困ったことになりそうだ。)
  2. バージョンアップが中途でハングアップしているため、yumコマンドのバージョンがあがらないまま、ライブラリのバージョンがあがって仕舞う現象が起こるようで、yumは起動しない。そこで、新しライブラリをシンボリックリンクして取り敢えず誤魔化す。
    cd /usr/lib64; ln -s libsasl2.so.3 libsasl2.so.2
  3. また、リポジトリの掃除をしないとel6のデータベースが残っているようだ。
    yum clean all
  4. アップデートの継続
    yum update
  5. アップグレードしたOSの/etc/grub.confにまた initrd行を追加
    initrd /initramfs-${version}.el7.x86_64.img
  6. 再起動

つまりこれからはバージョンアップは、コンソール無しには出来ないと言うことを意味している。コンソールが扱えない環境のサーバーはそれなりにあるので、また課題が増えた。

*1:この問題は新しいバージョンでは解決されているようだ。よかった。

歳月人を待たず

古代の歳月

陶淵明の「歳月不待人」には年齢を重ねると色々な思いが去来するものがある。この詩の有名な終わりは、こうなっている。

盛年不重來  盛年重ねては來たらず
一日難再晨  一日再びは晨なりがたし
及時當勉勵  時に及んで當に勉勵すべし
歳月不待人  歳月人を待たず

時は限られているのだから、今のうちに楽しめるだけ楽しんでおこうというのが、陶淵明である。

同じような古代の詩人でもローマのホラティウスはすこし違う。

Eheu fugaces, Postume, Postume labuntur anni.

ああ、ポスツマス、ポスツマス、歳月の過ぎゆくことのいかに早きことか。

時が余りに早く過ぎ去ることを嘆くのである。この対比は一件両極端に見えるが、両者に共通するのは、「時」の背景に常に潜む死に対する恐怖であり、「文化的な背景の上に成立している死生観である。案外東洋的な哲学と西洋的な哲学の違いは、こうした死生観のはるか延長上にあるのかもしれないと思う時がある。

日本人の歳月

とすれば、日本人の死生観では、陶淵明のように楽しむだけ楽しむのか、ホラティウスのように時の流れを嘆くのかどちらであろうか。加藤周一は『日本人の死生観』

 

日本人の死生観 上 (岩波新書 黄版 15)

日本人の死生観 上 (岩波新書 黄版 15)

 

 

の中で、

西洋の近代社会との対比における日本の近代社会では、死の恐怖がより少く感じられるとしても不思議ではない。日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがあるのは、死の崇高化が著しいからでは決してなく、死の恐怖が少ないからである。

と述べている。この言からすれば、死を恐れないという分だけは、陶淵明にいくらか近いが、実は随分隔たりがあり、陶淵明よりも死への恐怖は随分淡いものでもある。山本常朝の『葉隠』に至れば、

正月元日の朝、雑煮の餅を祝ふとて、箸を取 る初めより、其の年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々、死を常に心にあつるを以て、本意の第一と仕り候

ということになって、死も随分粗末になる。「日本社会において死がかくされず、日常生活のなかに死との親密さがある」という加藤の指摘はこれを指している。『葉隠』はなかなか含蓄のある書物だが、江戸時代よりはむしろ明治維新以降このような死生観が一面的に『葉隠』から切り取られ官製とされるようになってから、日本人の(少なくとも官製エリート達の)死生観は随分と軽くなってしまったのでは無いだろうか。そうして、軽い死生観から出発する哲学もまた日本では随分軽くになっているように思える。

近代日本の歳月

加藤は日本人の死生観を代表するエリートの一人としての三島由紀夫を取り上げて語っている。

彼の究極の目標は、生きることではなかった。三島は死ぬために生きていた。そして彼は彼自身が望んだ死を死んだのである。その美学に従って儀式的な、天皇のための、細部まで完全に演出された死と、その死のなかのエロスの陶酔を。それはまったく個人的な目標であり、超越的な経験の欲求である。それによって時間と社会の限定は瞬間的に越えられるだろう。しかしその最後の瞬間においてさえも、三島はテレビの脚光を必要としたほど、あまりにも彼自身の流儀で戦後の日本に生きていた。

もっとも、これが日本人の死生観のすべてではない。三島のようには考えない日本人の中にはホラティウスのように時の流れを嘆く者もある。そしてその中には官製の死生観にとらわれない日本の文化の担い手でもある人々が含まれるが、だからといって、彼らの手で明治以降に植え付けられた死生観を転換させるような死生観とそれに続く哲学的な思念が生まれてくるわけではない。そもそも日本は何ものも残さない文化である。浮世絵が世界で評判になっていた頃に、すでに日本の浮世絵は衰退していたのである。なにものも過去のものを残さない日本文化にとって、ギリシアの時代に立ち返り人間の存在を考察するヨーロッパの哲学的な思考は馴染まない。ハイデッカーは、「存在論」はヨーロッパ固有のものであり、アフリカの蛮民には理解できないと『ニーチェ』の中で述べたが、その言い回しはともかく、固有の文化を越えられない何ものかは、それぞれの文化にあるだろう。日本では、死生観はかつて官製のものとして日本人に与えられ、それを変えることがあるとすれば、それもまた官製でなければならないのだろう。

戦後70年の歳月

しかし、現代においての官製の死生観の軽さと、それに対抗するレヴィナスのような明確な哲学を持つことのない儚い日本の文化的構造の下での死生観しか現代社会の中に見いだすことが出来なければ、昨今のように戦争に傾斜しようとする国の在り方が問われる場面に立ち入ると、余りにも安易な決断に繋がる可能性をいつでも秘めている。

戦後間もなくの頃に伊丹万作は、「戦争責任者の問題」という一文の中で

 

戦争責任者の問題

戦争責任者の問題

 

 

騙す者だけでは 戦争は起らない。騙す者と 騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。
「騙されていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう。

という有名な言葉を遺した。

幸いにも70年間騙されながらもなんとか日本はやってきた。しかし、そのおかげで官製の常在死身の死生観もさして変わることは無かったので、今や伊丹のこの言葉が日本人にとって大きな意味を持つ、そう言う時代に我々はやってきたのかもしれない。

10年の後

ことのついでに、ここから先の予想をするのに、半藤一利の話も面白い。

 

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

 

明治維新以降、国として成功するまで40年、その資産を食いつぶすまで40年で戦後となり、高度成長期などを経てもう一度それを立て直すまでに40年、そこでバブルが崩壊したとある。半藤の読み物はフィクションの域を出ることのないものとして割り切って読む必要があるように思われ、40年ごとの区分も少し恣意的に見えるが、この仮説に従えば、もう1度日本の資産を食いつぶすのに40年かかることになり、2025年くらいに、その節目を迎えることになる。半藤もそこまで踏み込んだ予想は敢えて避けたようであるが、バブルが弾けて以来の失われた20年、政権交代から民主党政権の崩壊、そして昨今のアベノミクスに至る政治情勢の道程などを重ね合わせるとちょっと説得力が出てくる。面白い仮説だと思う。

歳月人を待たず。また、歳月は国の衰亡も待ってはくれない。Fugaces labuntur anni.

NetBSD6.1.5でslimログインマネージャ

NetBSD

NetBSDでなるべくFreeBSDで使っている環境に近い環境を作ってみようと思って、Xの環境を入れてみた。最近はNetBSDも

pkgin install xfce4

などでバイナリのパッケージがインストールできるので、大分楽である。Xfce4ではなくMATEにしたかったのだが、パッケージにはなっていないようなので、ここは諦めることにした。

ログインマネージャーも入れてみようと思ったがXDMとxdm3dしかない。まあ、NetBSDな人達がそんな物を使うはずも無いが、wipにslimがあるのでこれを使ってユーザのautologinを試してみることにした。

cvs -d:pserver:anonymous@pkgsrc-wip.cvs.sourceforge.net:/cvsroot/pkgsrc-wip login
cvs -z3 -d:pserver:anonymous@pkgsrc-wip.cvs.sourceforge.net:/cvsroot/pkgsrc-wip checkout -P wip
sudo mv wip /usr/pkgsrc/

でwipを取ってくる。

slimのディレクトリに行ってmakeしてみるが2つほどエラーが出て通らない。wipだから仕方が無い。

どうやらポインタに対する記法が合わないことと、Makefileのpngライブラリのバージョン番号が合っていないようである。

cd /usr/pkgsrc/wip/slim/work/slim-1.3.1
    gsed 's@png_ptr->jmpbuf@png_jmpbuf(png_ptr)@g' -i png.c
    gsed 's@-lpng12@-lpng16@g' -i Makefile
cd /usr/pkgsrc/wip/slim
    gsed 's@-lpng15@-lpng16@g' -i Makefile

これで、コンパイルは成功する。

インストール後、/usr/pkg/etc/slim.confにハードコーディングされているいくつかのコマンドのパスを/usr/binから/usr/pkg/binや/usr/X11R7/binなどに変更してあげる必要がある。 wipなので設定ファイルまでは面倒見てくれない。ともあれ、そんなこんなで動くは動きだしたが、結局しばらくすると固まってしまうようだ。 何か設定漏れでもあるのかな。これもwipだからそんなもの。

作業した結果は遂に役に立たなかったが、設定作業中に、slimではユーザ名にconsoleとかhaltとかexitとか入力できることを知った。なるほど、この仕様は遊び心があって面白い。ただ、実運用上これでは、良いような悪いような。

新しい年

還暦も2年ほど過ぎて迎える正月に珍しいものは無いのだが、今年は年賀状も書かずに英作文に専念しなくてはいけない事情があり、コツコツとやっている。案外捗ると思うこともあれば、半日無駄にしてしまうこともある。そもそも英作文などはここ1,2年の経験しか無いのだから仕方ない。思えば昨年は60の手習いよろしく未経験のことを得意の知ったかぶりをして随分やらされたが、そろそろ限界も感じている。有能な将軍が元帥に昇格して無能になったという有名な逸話を聞いたときに、確かにそういう人は何人か出会ったが、自分にそういうときが来るのだろうかと思っていたものである。しかしこの頃は「自分もそろそろねえ」とふと思うときがある。50代は思いもしなかったが、60歳を過ぎると次があるわけでも無くすっぱり隠居する以外選択肢があまりないことを実感する一年でもあった。

さて、昨年はそういう一年であったが、今年は個人的な事情も少し良くなるような気もしている。まあ、年の初めは楽観的であり、年の瀬は結局思ったようにはならずに悲観的になるのは、毎年のことかも知れないが。

個人の状況はそれでも良いが、もっと広いところに目を向ければ、内田樹の今年の年初のブログはなかなか共感できる。2015年の年頭予言 (内田樹の研究室)

国破れて山河あり。そこに残る「山河」すなわち文化的蓄積がこれまでのそしてこれからの課題でもある。さて、そこで何が出来るかなというささやかな野心もまだあるかな。