Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

新しい年

還暦も2年ほど過ぎて迎える正月に珍しいものは無いのだが、今年は年賀状も書かずに英作文に専念しなくてはいけない事情があり、コツコツとやっている。案外捗ると思うこともあれば、半日無駄にしてしまうこともある。そもそも英作文などはここ1,2年の経験しか無いのだから仕方ない。思えば昨年は60の手習いよろしく未経験のことを得意の知ったかぶりをして随分やらされたが、そろそろ限界も感じている。有能な将軍が元帥に昇格して無能になったという有名な逸話を聞いたときに、確かにそういう人は何人か出会ったが、自分にそういうときが来るのだろうかと思っていたものである。しかしこの頃は「自分もそろそろねえ」とふと思うときがある。50代は思いもしなかったが、60歳を過ぎると次があるわけでも無くすっぱり隠居する以外選択肢があまりないことを実感する一年でもあった。

さて、昨年はそういう一年であったが、今年は個人的な事情も少し良くなるような気もしている。まあ、年の初めは楽観的であり、年の瀬は結局思ったようにはならずに悲観的になるのは、毎年のことかも知れないが。

個人の状況はそれでも良いが、もっと広いところに目を向ければ、内田樹の今年の年初のブログはなかなか共感できる。2015年の年頭予言 (内田樹の研究室)

国破れて山河あり。そこに残る「山河」すなわち文化的蓄積がこれまでのそしてこれからの課題でもある。さて、そこで何が出来るかなというささやかな野心もまだあるかな。

システム運用の科学

今から3年ほども前に 「運用でカバーの科学」というタイトルでエッセーを書いたのだが、今頃同じタイトルで何か書いてくれとさるところから依頼が来た。気安く引き受けてしまったが、現場を離れてから久しく、書き始めてみると、ぼけた話しか書けないということに気がついたが、後の祭りである。仕方ないので、いい加減なエッセーを1本書いたら、さすがに編集部も困ったのだろう、ボツにするかもと言われてしまった。それはそれで世の中に余計な物を見せないで済んだということで良いと安心していたら、編集部も然る者で、結局そのエッセーに無理矢理「運用でカバーの科学」というタイトルを付けてリリースしてしまった。なるほどと思い、それもまあ仕方の無いところだとも思ったものである。

それにしても、システム運用を科学的に解析するという必要は、昔も今も無くなったわけではない。ちゃんと研究する場を作りたいと思うが、私ごときでどうなるものでも無い。

さてどうするかな。

Lewin先生の退場

https://newsoffice.mit.edu/sites/mit.edu.newsoffice/files/styles/news_article_image_top_slideshow/public/images/2014/mit_seal_SIZED_32.jpg?itok=0XbCg4N7

MITの名物物理学教授として知られていたProf. Walter Lewinは、2009年にMITを退職後75歳をすぎてなおedXでオンライン講義を行っていた。Lewin先生の工夫の効いた派手なパフォーマンスはネット上でも評判だった。2008年には、A New Physics Superstar - US Newsという記事にもなっている。

しかし、ここから先は、あまりpoliteにできるような話題では無いのだが、この12月9日に、そのLewin先生が、MOOC上でセクシャルハラスメントを行っていたという報道がながれてきたMIT removes online courses of professor found to have engaged in online sexual harassment @insidehighered。これによって、関係するビデオがOCWなどからすべて削除され、Youtubeからも順次消えて行くようである。こんなことが大規模オンラインコースで発生しうるというのは予想もしていなかった。情けなくもあり悲しい出来事でもあるが、MITは一定のプロトコルに従い、2ヶ月ほどかけて判断し、今回の措置に踏み切ったようで、リスク管理の点ではさすがと思わせる面もある。大規模なオープンエデュケーションでは、このような事態は匿名化することも隠すことも出来ない。しかしLewin先生が何をしたかは現段階では未公表にしながらも、必要な情報だけをきちんと出しているように思える。MITでできたことが日本で出来るかどうかはなかなか微妙な感じがする。不幸なことではあるが他山の石とするべきことのように思える。

セクシャルハラスメントだけではなく、大学で起こりうる様々な事故はオープンエデュケーションでも発生し、迅速に適切に対策する必要がある。しかしそうした対策を阻むオープンエデュケーション特有の課題がそこにあるはずである。そうした問題への準備はまだ不十分であり、経験はこれから積み上げて行かねばならないのだろうと思う。

 オンライン教育とは関係ないが、何年か前にも70歳の高名な物理学者がコカインの運び屋のハニートラップにひっかかったPaul Frampton hit by 56-month drugs sentence - physicsworld.com。研究者も人間だからいろいろな人が居るのは当然だし、聖人君子ばかりでもないとはいえ、それにしてもいろいろな人が居るものだ。

CentOSのバージョンアップ

 

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centos6.5から7へのバージョンアップは何台かやったが、その都度つまずく。もうなれた頃だろうと思ったら、今回も思いがけないところで躓いた。VMware上のサーバを触ったのだが、ネットワークインターフェイスが見えなくなってしまったのだ。

こうなるとネットワーク越しにはなにもできない。VMwareのコンソールにwebブラウザ経由でアクセスするのだが、これがWindowsのfirefox限定のようだ。なかなか使いにくい。

 このコンソールでまずしなくてはいけないのはrootのパスワードの設定である。

Grubをいじるところから始めなくてはならない。苦労してbootスクリプトたどりつき、 init=/bin/bash オプションをつけてメンテナンスモードに入ったが、このコンソールではカーソルもよく見えず、仕方なく勘をたよりに mount -o remount,rw / としてから、/etc/shadowを直接触ってパスワードを編集した。rootにパスワードを設定しないLinuxのお作法がこういうときに裏目だなと時々思う。

その後、マルチユーザモードに戻ってから、ネットワークインターフェイスを確認するとeth0とeth1が消え去っており、ens160とens192になっている。この現象は、VMwareでは時々みられるらしい。ここでens160をeth0にひもづければいいのだが、その設定ファイルであるはずの/etc/udev/rules.d/70-persistent-net.rulesをみると /dev/nullにシンボリックリンクされている。ここは触るなということなのだろうと解釈して、ここを触るのはあきらめることにして、/etc/sysconfig/network-scriptsの下を直接書き換えてしまった。

まあ、使い慣れない "ip link show"などのコマンドが覚えられてよかったけど、スクリプトの書き換えは、次のバージョンアップのときには忘れてまたパニックしそうだ。それまで運用を担当していないことを祈ろう。

もう少し情報を集めて、本来の姿に戻しておかないと。*1

*1:後で落ち着いて調べたら ifcfg-eth0の中のDEVICE名を書き換えるだけで良いようだった。

オープンエデュケーションとその時代:安楽死する日本の大学そして日本

ポストMOOCの時代に取り残される日本

前号でご紹介した通り、オンライン教育を活用したオープンエデュケーションの活動の一つであるMOOC (Massive Open Online Courses)は、2012年頃には、ニューヨークタイムズから、``The Year of the MOOC''と讃えられるほどの目覚ましい発展を遂げていた。一つの講座に100万人単位の学習者を集めることに成功し、大学のあり方を劇的に変えてしまうのではないかと米国で騒がれたのだが、その事情は、最近に至るまで日本ではあまり知られることは無く、周回遅れのように、米国でのブームから1年ほどして、日本でも漸く話題になった。

しかし、日本で騒がれ始めた2013年後半からは、米国では、オープンエデュケーションの活動はポストMOOCの時代に入ったといわれ、MOOCについての様々な反省が取りざたされるようになっている。

2014年に入ってからは、米国でのMOOCの話題は急速に下火になってきており、MOOCという言葉はもはや死語になるだろう、とまで言われはじめている。この時期に来て、日本では2014年4月からJMOOC(社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会)の活動が始まり新聞報道も盛んに行われるようになったところである。

JMOOCそのものは、日本におけるオープンエデュケーションの立ち遅れに対する強い危機感から創設された法人であり、その活動がなければ、オープンエデュケーションにおける日米格差の事情はもっと大きくなっていたはずであるが、それでも、相変わらず米国の周回遅れになっている状況は十分には改善されていない。

日本の事情は後に触れることとして、米国におけるMOOCの反省点はいくつかある。とくにMOOCのなかで最も華々しい成功を収めたMOOCプロバイダーであるCourseraは、巨額の資金を集めに成功したが、その分、余りにもお金をかけすぎていると批判を受けている。加えて、学生の学習完遂率が数パーセントにとどまる点や当初の目的とされていた企業マッチングにも成功していないなどの失敗も指摘されている。

MOOCは大学では無いので、その履修証明のブランド価値は、企業に評価されて初めて意味が出る。このため、企業マッチングがうまく機能しないようであれば、MOOCの行方に不安があるとの指摘は当たっているだろう。こうした事情からか、最近ではダフニー・コラーと並んでCourseraの創設者であったの二人のうちの一人であるアンドリュー・ングがCourseraを事実上去るのではないかと報道された。

2012年のMOOCが華やかに喧伝された当時、MOOC三大プロバイダーと言われたCoursera、Udacity、edXのうち、残る2つのプロバイダの情況も大きく変化している。

セバスチャン・スラン率いるUdacityは、2013年終わりには、大学との連携に見切りをつけ、企業と直接タイアップしたプロフェッショナル向けのエデュケーションを展開しようとしている。また、MIT、ハーバードなどが出資するedXは、各大学の事情に合わせたオンラインコース、SPOC(Small Private OnlineCourses)を展開しようとしている。

それぞれのプロバイダが、それぞれ当初の道とは少し異なる道に活路を見いだそうとしている。これがポストMOOCの時代の第一の面である。

しかし、より重要な点は、ポストMOOCにおいては、その強い影響を受けた多くの大学が、新たなオンライン教育の活路を見いだそうとしている。ここにポストMOOCのもう一つの面がある。

MOOCが一時のブームだったとしても、高等教育機関におけるオープンエデュケーションのブームが終わるわけではない。これからの時代は、オープンエデュケーションは様々姿を変えてやってくる時代になったのである。

南ニューハンプシャー大学の奇跡

米国北東部の小さな大学だった南ニューハンプシャー大学は、2009年までは、学>生数わずか2,000名、財政的にも苦しい経営を迫られ明日にも倒産と思われていた大学だった。
しかし、その時学長に就任したルブラン博士は、オンラインとコンピテンシーベースの教育(教育すべき内容を細かい単位に分割し、個々の学習者に合わせたセミオーダーメード型の教育を行う事)を梃子に、わずか数年で大学のありようを一変させ、今日では学生数3万5千人を抱える大学にまで成長し全米を驚かせ、新たなオンライン教育の可能性を示し、ポストMOOCに大きな影響を与えた。

南ニューハンプシャー大学のコンピテンシー教育による工夫は、大学のアマゾンと呼ばれている品揃えの豊富さにある。実際Webページを覗いて見ればわかるが、そこには学習者が望むと考えられる多様なコースが置かれており、学位や資格取得などに必要なコースを組み合わせて履修するための情報も必要かつ十分なまでに充実している。発行される学位は多様であり、大学院の学位もある。
何よりも大学のWebページにある ``Best Buy'' という安売りショップのようなセールスコピーがなによりもそのあり方を示している。

この大学のさらなる魅力は、オンラインを含む他のどのような大学と比較しても、低価格でしかも短期間に学位取得が可能なことにある。高い学費に苦しむ米国の学位取得希望者に一躍人気になったのも道理である。

マネージメントも工夫が凝らされている。南ニューハンプシャー大学のオンラインコースの教員たちは、研究業績を求められない、代わりにコース当たりのインセンティブがあり、数多くのコースをこなすことにより、それなりの水準の収入が確保できる。

その活動はMOOCがブームとなる以前からのものであるが、オンライン教育がすべてを変えてしまうというレバレッジの大きさを象徴してい
るという点でポストMOOCの大きな柱である。

最近では、アイルランドの大学が連合してオンライン教育を始めようとしているが、そのベンチマークには、MOOCと南ニューハンプシャー大学がある。

グローバル化とオープン化

オックスフォード大学社会学部教授の苅谷剛彦氏は「『国際競争力』の幻想に惑わされた日本の大学改革」(2014年2月)の中で、日本の教育のグローバル化について言及し、そもそも非英語圏である日本は、グローバル化と言ってもリアルな競争はできず、「想像上」の競争に過ぎないと指摘している。日本語という壁がオープンであるべき情報を阻み、本当の意味でのグローバルな競争を阻んでいるという指摘である。

高等教育機関を英語ではなく母語で受けることができるという国は、そう多くは無い。日本の高等教育はその点で独自の文化で有り、誇るべき点でもあるかもしれない。国際的に活躍してきた多くの大学人がその点を指摘する。しかし、そのことが同時に世界の中での孤立を生むという問題もあることをこの論説は示唆している。

反面、グローバル化は、米国のご都合主義と考えることもできる。米国文化の無理矢理な押しつけがグローバリゼーションである、という論説を時々見かける。
しかしそうした論説にも見落とされているものがある。グローバリゼーションの波には、実はオープン化という米国固有の文化が付随しているという点である。

反知性主義とオープンな文化

米国では1950年代のマッカーシズムに典型的に見られたような反知性主義(anti-intelectualism)が優勢であり、高等教育を無用の長物とみる風潮がある。
反知性主義の起源は、実は、コンピュータなどは全く無縁の米国開拓時代を遙かに遡るとされている米国の伝統でもある。エリート大学はこの対応に苦慮してきたが、冷戦の最中に学術研究の役割が見直されて以降は今日に至るまであまり表だつことはない。しかし、知性(intelectual)よりも知識(intelligent)が重視され、実践的な成果が求められるという風土が変わったわけでは無い。

米国の高等教育機関がオープンにこだわるのは、反知性主義に対する配慮という側面があるだろう。施設を地域に開放し、成果を社会に還元するといったオープンな活動を積極的に展開することは、マッカーシズムによる「反知性主義」を経て、冷戦時代に多額の軍事にかかわる国費を費やして成長してきた米国のエリート大学にとってのカードの裏表のような関係がある。

インターネットもまた、そうした米国エリート大学の一角で軍事経費によりスタートアップできたことを考えれば、その性格は一層明らかになるだろう。

そしてインターネットの登場とともに、米国固有の反知性主義の高等教育機関の反動だったはずの、オープンな文化は大きな変貌を遂げることになる。

オープン化は、まず第一の波としてLinuxなどのオープンソースがあり、これはやがて教育研究分野を出て、Googleなどの成功に象徴されるように、インターネット上のビジネスもオープンに基づいていることと切り離せない関係にまで根付いた。
反知性主義的な米国が、オープンという知性的な文化を生み、米国発のグローバリゼーションを支えるという倒錯した関係がここにできあがった。

オープンの波は、現在もさらに新しい波を生んでいる。第二の波としては学術雑誌のオープンアクセスがあり、この動向は、単に学術雑誌に留まらず、出版業界に大きな変動を引き起こそうとしている。
オープンエデュケーションは、これに続くオープン化の第三の波なのであり、ほかの2つの波と同様にやがて教育研究分野を越えて広がって行くだろう。
実際Udacityの取り組むプロフェッショナルラーニングがその一つの答えの一端になっている。

オープンな文化と自前主義文化

日本では、グローバル化が叫ばれても、それと裏腹な関係にあるはずのオープンな文化については殆ど意識することがない。ここには、日本では、オープンという文化を受け入れがたい強い事情があることを示唆している。

私はこの事情を日本文化の「自前主義」と呼んでいる。高度成長期を経て「日本的経営」とバブルの頃持て囃された日本の企業体質もその内実は「自前主義」だったのであり、日本でもっとも成功している企業であるトヨタは、自前主義をもっとも典型的に体現している企業だとも言える。

自前主義のオープンな文化への態度は、オープンソースの日本での扱いにみ
ることができる。

日本ではオープンソースの活用は盛んに行われている。企業は、オープンソースを活用し様々なサービスを提供し、製品を作り上げる。しかし、オープンソースの提供者であるコミュニティには、何の還元もしない。当然のごとくに無料で利用するだけで終わりである。

米国では、IBMをはじめとする大企業がオープンソースに対して巨額の
支援をしているという事情とは正反対である。

米国で多くの優れたオープンソースが生まれ、日本では僅かの例外を除いて、殆どオープンソースへの貢献が無い理由である。

さらに面白いことに、米国にあってもIT系の日系企業は、米国のコミュ
ニティにはかなりの支援を行っている。日本では、オープンソースコミュニティには全く見向きもしない企業がである。
オープンへの取り組みが、文化的な事情に根ざしているということを象徴している。

日本の高等教育においてもその事情は同じであり、オープンであるよりも前に「自前主義」を貫き、一つの大学の中の閉じた環境の中で教育を提供しようとする。
日本の私立大学が800にも及ぶのはいくつかの理由があるにしても、「個
性的な」教育を「自前」で提供するという文化がそれを支えているという一面がある。本当にオープンな環境の中で800もの「個性的」な組織が生き残ることは難しいであろう。

苅谷氏の言うとおりグローバル化は英語圏でもない日本では茶番であるが、その内実のオープン化は、本来英語圏であるかどうかに関わりの無い事態であるにもかかわらず、無関心もしくはあまりに無知である。

グローバル化だけが叫ばれても、肝心のオープンな文化という中身を捨ててしまっている以上、グローバル化が日本で普及しないのも道理である。

安楽死する日本の大学

日本の独自の「自前主義」文化の中で日本の大学は静かに息づいている。
いまはそれでも良いかもしれない。日本の大学の市場は日本の学生であり、世界の動向とは今の所は無縁である。

一方、これを世界全体から見たときに何を意味するのだろうか。このまま独自の文化の中で繁栄を続けることができればそれはすばらしいことでもある。しかし日本の外では、すべてが英語で行われている研究成果や効果的な教育手法の「オープン」な成果物を日本のそれぞれの大学が「自前主義」で日本語化し、JMOOCの例に見られるように、そこからゆっくりとしかも独自に普及させて行くという手法だけしかなければ、日本はますます孤立化し、教育を基盤とするすべての世界的な競争に取り残されるということになる。

若者が、オンラインを通じて世界の大学に容易に入学でき、企業は日本
の大学よりもオンライン教育で育った若者に価値があると気が付いたときに、日本の大学は教育という面で価値もないものになるだろう。

大学の関係者のだれもが「ぼんやりとした不安」を抱いている。同時にそんなことはありえないとも思っている。文部科学省を含め、大学に関わる度合いが強い人ほど、大学がオープンオンラインごときに影響を受けるはずは無いと思っている。

大学業界の中心から少し離れた周囲にいる人たちの中には、強く懸念する人たちがいることも興味深い。しかし、その声が大学関係者に届くことはほとんどない。

現在の大学は、少子化という目の前の危機があり、ほとんど競争というものを知らない大学業界は、企業的には多くの問題を抱えている。その限りでは、オープン化などに構っている余裕は無い。ところが他方では、大学の倒産はここ10年あれだけ騒がれながら、数えるほどしかない。そんな中では、海外の動向にまで目配りして、大学に対する危機感を持つという動機が乏しくともいたしかたの無いところである。私はこれを日本の大学の「安楽死」とよんでいる。

日本が安楽死する日

「安楽死」は、日本の大学だけではすまないかもしれない。文化的な敗北は、大学と同じように「自前主義」の日本の企業の安楽死を引き起こし、遂には、日本全体の安楽死につながるかもしれない。

オープン対「自前主義」は、日米の固有の文化の衝突であり、オープン化への従属は、日本の固有の文化の破壊である、という見方もできる。

皮肉なことに、「自前主義」の中に甘んじ、オープンな文化に慣れていない日本においては、クローズにすることも不慣れである。日本の多くの製造技術は中韓に流出したが、同じ中韓は米国ではそのような恩恵を被ることはないし、iPhoneで成功するApple社は、これだけオープンな環境の中で次期製品情報を流出させることは決して無い。日本の「自前主義」文化が甘えを生み、世界的に見れば脇を甘くしているとも言える。

その点だけを考えてもオープン化は、強力な武器であることがわかる。オープンであることにより、多くの人々に知識を提供し、コミュニティを形成し、一個の力では到底到達できないプロダクトを作り出す。その典型的な結果が、先にも述べた、オープンソースにおけるLinuxであり、Googleがオープンな戦略により一人勝ちを納めたケースである。

日本的「自前主義」対オープンの戦いは、1対1での戦闘しかできない日本の古武士が、集団戦闘の海外の軍団と戦うようなものである。個々の能力の高さだけでは、チームワークに勝利することはできない。勝負は闘う前から着いている。

魯迅の小説「吶喊」の自序では、当時の中国の安楽死を拒否する魯迅の強いメッセージが載せられていた。一国の安楽死の危機を前にして、日本では、いたずらに愛国心を煽る輩はいても、当時の中国における魯迅のような自覚も意識も持つ人はいない。オープンな文化に対する意識は「知性」を代表するはずの大学でこそ自覚されなければならないはずである。しかし日本においては、肝心のその大学が、「自前主義」に徹して、経営者は今年の入学者数に気をもみ、教員は過重な業務負担に追われ、大学人は、誰もが目の前の問題にしか目が行かないという体制の中にある以上、安楽死への警鐘を鳴らすものがだれもいないという事態
も仕方の無いことである。

私自身は、「愛国心はならず者の最後のより所である」というサミュエル・ジョンソンの言葉を愛するので、愛国心に燃えて安楽死に憤るということは好まない。日本が安楽死することも悪くは無いと思う。

しかし、オープン化により多くのチャンスを手に入れることができるのに、「自前主義」にこだわり続けて、チャンスを失うのはちょっともったいないという気はしている。

(櫻井ゼミ同窓会誌『対話』第3号 2014年6月21日発行 所収)

Ubuntu 14.04 LT Desktop でSoftware RAID

Ubuntu

Ubuntuはさほど気に入ったOSというわけでもなかったので、あまり触ったことが無いが、ひょんなことからDesktopをインストールしてみる気になった。どうせなら、Software RAIDを組んでみようと思ったら、一発インストールというわけには行かなかった。試していないが、server版ではこう言う問題はない。あったら大騒ぎだろうな。要するにデスクトップで酔狂なことをするからダメなんだけれど。

 課題

desktopタイプは、RAIDを前提にしたインストーラーではないようなので、まず、”Try Ubuntu"で LiveCDを起動してから、ターミナルを使って作業する。それはまあ仕方ない。

問題は、RAIDの設定が無事に終わっても、インストールの最後で、grubのインストールでこけてしまうことにある。Ubntuのバグか仕様かはわからない。(もっとも私のインストールの仕方に何かそもそもの勘違いがあるのかもしれない。alternativeのインストーラがあるのかもしれない) 

RAIDを組む

desktopタイプでは、”Try Ubuntu"で LiveCDを起動してから、ターミナルを使って作業する。

ここでは、RAIDはミラー( raid1)の例にしたが、RAIDの他の場合も違いは無い。

  • まず、ターミナルでraidを組むためにmdadmをインストールする
apt-get install mdadm
  • fdiskでミラーを組むためのディスクを作る。
fdisk /dev/sda
fdisk /dev/sdb

 この場合はパーティションは、nで作成し、いわれるがままデフォルトの全体を一つだけのプライマリーで作る。ただし、最後にタイプだけをtコマンドで raid( fd)にしておき、wで書き込みをする。

できあがったらミラーを組む。仕上がりはこんな感じになるだろう。

fdisk -l 

/dev/sda1 ...... fd Linux raid
/dev/sdb1 ...... fd Linux raid
  •  続いて、Software RAIDを組む。
mdadm --create /dev/md0 --level=1 --raid-disks=2 /dev/sda1 /dev/sdb1 --metadata=0.90

インストール

ここまでの作業でインストーラーを動かせば、RAIDディスク ( /dev/md0)にインストールできるようになる。普通にインストールが進むのだが、最後にgrubに書き込みをしようとして失敗し停止する。

 

私の環境では、面倒なことに、停止した箇所で、「このまま続行」を選ぶことができない(ほかの選択肢も選べない)。grubに書き込めないのは、インストーラーが想定していないインストール方法なので仕方がないにしても、何も選べなくなるのは、Ubuntuのバグでは無いかと思う。このまま異常終了させるしか無い。

修正作業

再び、ターミナルにもどって作業する。

  • /dev/md0をマウントする。私の場合、ファイルフォーマットをLVMとしたので、マウントは/dev/mapper以下の論理デバイスで行う。
mount /dev/mapper/ubuntu-vg-root /mnt
  • bootファイルは通常通りマウントする
mount /dev/md0p1 /mnt/boot
  • 環境関係もマウントする
mount -t proc none /mnt/proc
mount --bind /dev /mnt/dev
mount --bind /sys /mnt/sys
  • 名前解決のためにファイルをコピーしておく
cp /etc/resolv.conf /mnt/etc

ここで一度 change root してmdadmをインストールしておく

chroot /mnt
apt-get install mdadm
exit
  • change root 環境から抜けたらraidのUUIDを保存するために関係のファイルを設定しておく。これを忘れるとブートできなくなる
/usr/share/mdadm/mkconf > /mnt/etc/mdadm/mdadm.conf
  • 最後にchrootしてからgrubを書き込む
chroot /mnt
grub-install /dev/sda
grub-install /dev/sdb
exit

起動後の修正

あとはbootすれば、起動するはずであるが私の環境ではubuntuのバグで、起動時にちょっとしたエラーが出る("Error: diskfilter writes are not supported")。LVM+RAIDの組み合わせで出るらしい。そのまま放っておいてもしばらくすればbootするので、実害はなさそうだが、修正提案はでているようだ。

https://bugs.launchpad.net/ubuntu/+source/grub2/+bug/1274320

ここの#34に従って、/etc/grub.d/00_header を書き換える。

以上

大学解体と知の溶解-Open Educationがもたらす明日の大学-

はじめに

私は、大学でこの20年ほどをインターネット運用と調査・研究に費やして来 た。最近になっての、私の関心事は、2012年にはじまった新たなオープンエ デュケーションの波である。今回はこのホットな話題を紹介したい。 私は、今回の米国発のオープンエデュケーションの波が今後も持続するとすれ ば、以下のようなインパクトがあると予測している。

  • 教育のあり方の根本的な変革
  • 教育格差の著しい拡大
  • 大半の大学の消滅もしく解体
  • 知の体系の崩壊
  • 日本の高等教育機関に対する黒船

ただ、私は、こうした事態を必ずしも悪とは捉えてはいない。むしろ世 界の高等教育のあり方を大きく変革できる重要な機会と考えている。 しかし、同時に日本の高等教育機関がこうした大きな変革から取り残される ことは、日本の大学にとって大きな危機になりうるとも考えている。 ここでは、こうしたインターネット上のオープンオンラインコースの最新の動向につ いて紹介することにしたい。

MOOCの出現

インターネットの普及に伴って、教育のツールも大きな進化を遂げて、それに伴 う教育スタイルも大きな変貌を遂げてきた。こうした活動の第一世代が e-learningだとすれば、第2世代がMITの始めたOCW(OpenCourseWare)やマックス・ プランク・ソサエティによるオープンアクセスの運動などであろう。しかし、これらの世代の活動が高等教育に与えたインパクトは、かなり限定的 なものにとどまった。

ところが、ここ最近、そのようなあり方を大きく変えるか もしれない活動が米国を中心に広まっている。その活動はMOOC(Massive Open Online Course)と呼ばれている。 MOOCは、2008年に始まった活動である。その初期にはカナダではじまった小さ なオンラインコースだったが、数年で100万人単位の学生を集めて、一気に注目 された。この時期のMOOCでは、自分の通常の講義を、Wikiや twitter、 Facebookなどの既存のインターネットツールやSNSを利用して教員自身が、イン ターネット上に公開した。 手軽でなじみのあるツールを使う事で、公開のコストも受講生がツールに習熟 する手間も不要としたのである。本来は閉鎖的であるはずの講義をインターネッ ト上に公開した背景には、イリイチの「脱学校化社会」の哲学を実現したいと の彼らの思いに裏付けられていた。そしてそれは期待通りの成果を上げたので ある。

MOOCのビジネス化

こうした成功に目をつけたスタンフォード大学やMITそしてハーバード大学と言っ た米国のエリート大学は、これをビジネスに展開した。2012年を「MOOC元年 (MOOC of the year)」とニューヨークタイムズなどは呼んでいるが、この年の 4月、ほぼ時を同じくして、相次いで商用のMOOCが立ち上げられた。Sebastian Thrun等がスタンフォード大学の教員を辞めてまで立ち上げたUdacity、それに 対抗するように立ち上がったスタンフォード大学のCoursera、そして、OCWの次 世代のコースウェアMITxを開発中だったMITは、その動向を見て独自の開発を断 念し、ハーバード大学と連携してedXを立ち上げることを宣言した。この時期は MOOCにとって誠に熱い時期であったが、存外周囲の反応は冷ややかだった。

しかし、Courseraが開始間もなくの6月に150万人の学生を集めて成功を見せると、 様相は変わりはじめ、米国の中小の大学連盟であるACEは、CourseraやedXを受講 すれば単位として認定するとの決定を行った。当初は、MOOCに批判的だった世 界各国のオープンユニバーシティ(放送大学)においても、他人事ではなくなっ てきた。英国のオープンユニバーシティが独自のMOOCであるFuturelearnを 2012年12月から立ち上げると宣言したのである\footnote{その後英国オープンユ ニバーシティは世界のオープンユニバーシティの連合から脱退すると報道された}。 翌2013年1月にはカリフォルニア州が公立大学のコスト削減を狙ってUdacityの コースを購入すると発表した。ここにコスト削減とMOOCの関係が初めて明確に 打ち出されたことになる。

MOOCの活動はその後も成長を続けている。Courseraでは、2013年1月には受講者が 230万人を超えたと報告している。 当初「今までこの分野では多くのプロジェクトが失敗してきたが、今回のプロ ジェクトも成功しない」とささやかれてきたMOOCがわずか一年足らずで強大な パワーを持つようになってきたのである。 \subsection*{万人のための教育という虚構} MOOCの一つであるCourseraの創立者の一人Daphne Kollerは、自分たちの目標は Higher Education for Everyone 「万人に高等教育の機会を与えること」と述べてい る。

従来、貧困や障害、家庭の事情といった様々な理由で高等教育の機会を奪われ てきた人々にとっては、これは言うまでもなく恩恵である。今までスタートラ インに立つことさえできなかった人々が、スタートラインに立つことができる ようになった。しかし、同時にそこから先は本人の努力と能力にかかっている。ある種のハン ディを言い訳にすることはもはやできない。結果だけが全てになる。能力の格 差は歴然となり、大きな格差が白日の下に晒される 教育する側はもっと厳しい状況に立たされる。教えることがオープンになり、 歴然とした評価を学習者から受けることになる。現在のように限られた施設で 限られた学生を教えるのであれば、必要であった多くの教員は、競争の中で淘 汰されることになるかもしれない。

この限りでMOOCは、万人を幸福にするものでは無く少数の勝者を産むものでしか ない。教育版グローバリゼーションの一面を有している。

伝統的大学の存在意義の喪失

MOOCは何を変えようとしているのだろうか? 第1には、カリフォルニア州の動向にあるような、大学運営上のコスト削減であ る。オンライン上ですぐれた教育成果が上げられるのであれば、どの大学にも共 通の講義である数学や基礎的な統計学、物理学などのコースはもはや自分の大学 では不要となる。商用のMOOCの目標の一つはここにある。

第2には、学ぶ側にとって今や深刻な問題となっている、高騰し続ける世界の大 学の学費への一つの回答になると言うことである。MOOCが単位として認められ、 さらには学位まで発行できるようになると、推定で通常の学費の3分の1程度での 学位取得が可能になるといわれている。

第3には、上記2点と関係するが、初期のMOOCが目指していた大学の「脱学校化」 である。MOOCには教室も高価な施設も不要であるだけでなく、オンライン環境 があれば、世界中どこでも授業を受けることができ、学位まで取ることができ る。貧しい国で教育機会に恵まれない人たちにも大きなチャンスが生まれる。

オープンエデュケーションにおいては、大学という空間はもはや不要である。そ して、低コストで質の高い高等教育が受講できるようになる。オープンユニバー シティも同じように施設らしい施設を持たないが、既存の大学の一部として位置 づけられてきた。しかし、MOOC はあからさまに既存の大学を置き換えようとする 活動といっても良い。 MOOCの下では、従来の大学の大半は不要になる。

教師という職業の消滅

MOOCの下では、教員として生き残ることができるのは研究者として優秀な教育 者だけである。単なる教育者で生き残る者があるとすれば、それは非常に優秀 な教育者に限られるであろう。

MOOCに開講されている教員構成からもこのことをうかがい知ることができる。 日本でMOOCの最初の講義をするのはノーベル賞候補と言われる東京大学の村山 斉である。

教科書の講義しかできない教員のいる場所はどこにも無い。すぐれた教科書が 一冊あって、その教科書の作者が講義すれば、それで事は足りるから である。よほどのことが無ければ、それをさらに別の誰かが教える理由はもは やない。 座学での講義は全てオンラインで置き換えられ、この分野の教員はわずかの数 だけ居れば良いことになる。その結果は、社会的コストを大きく下げることに なる一方で、現実に大学で働く教職員にとっては、これは大きな危機である事 は間違いない。

ただ、そのような事態になれば、既存の教員は黙ってはいない。ドラッカーに 言わせれば、「教育改革にとって最大の障害は教員である」という事態が出来 するだろう。 現に、オープンエデュケーションと教員との衝突はカリフォ ルニア州で起きている。ハーバード大学のマイケル・サンデルの 哲学講義を配信をしようとしたところ、哲学を教えている教員たちが反対をし、 講義配信ができなかったのである。 反対の理由は、自分たちが失業するからというものであった。

授業料徴収という仕組の崩壊

オープンエデュケーションの仕組みで、私が注目している問題がもう一つある。 それは授業料徴収の仕組みである。

西洋中世期における最初の大学は、11世紀後期頃に成立したイタリアのボロー ニャ大学と言われている。ボローニャ大学は、Univesitas(組合)の名の通り、 学生がお金を出し合って教員を呼び後から謝礼を払うというシステムだった。 12世紀に成立したと言われるフランスのソルボンヌ大学は、反対に教員が学生 を集め、事前に学生から授業料を徴収するシステムだった。いずれも13世紀に は、ローマ教皇からストゥディア・ゲネラリア (studia generalia) として認可 されることになりこれが今日の大学の起源となるのであるが、それ以降の大学 は今日に至るまで、授業料徴収については、ソルボンヌ方式になっている。

オープンオンラインコースは、学習者たちが学習を終え、試験に合格した後、 希望する者はお金を払って修了証をもらうモデルである。高等教育機関におい て、前払い方式から完全後払い方式への数百年ぶりの変革が起きたと考えられる。 オンラインエデュケーションでは、気に入った学生が授業料を支払うだけであ り、そのために魅力ある授業を提供しない限り経営は成り立たない。反面、学 生たちに投資するコストは極めてわずかで済む。

しかし、従来の大学は、昔ながらの授業料前払制度から脱却することはできな い。後払いは、インターネットの特性を活かし、多くの参加者がいて初めて成 立する仕組みだからである。 授業料後払いという仕組みは、一件小さな事のように見えて、大学経営に与え る意味は、実は大きい。従来の前払い授業料で運営する大学は、品質と価格に おいて果たしてこの新たな出現相手との競争に勝てるかどうかが問われている。

知の体系の溶解

コンピュータ登場以前には、Concordanceと呼ばれる学問領域があった。聖書や シェークスピア全集などの用語索引を丹念に作成する作業である。しかし、今 日では意味の無い作業になってしまった。 インターネットの検索エンジンが発達した今日では、事情はさらに深化して、 我々は、かつては教養の一部を形成していた知識そのものを余り持たなくても 「グーグル先生」に聞けば済むように なった。 これを軽佻浮薄などと呼ぶべきでは無いと私は思っている。digital native と呼 ばれる、生まれながらのインターネットの利用者にとって「教養」の持つ意義は、 我々の時代と大きく変化している。

オンラインコースの受講者を観察すると、我々は、そこに学習者の興味深い行 動に出会う。多くの学習者は、オンラインコースを1分も見ると見飽きてしまい、 次のコースや次の回に移ってしまう。 しかし、それで飽きてしまったというわけではない。そのようにして得られた 断片を彼らなりに組み立て、自分なりのコースを作ってしまっているのである。

そこに教養や知に対する深い意義が認められる。教師が意図したオンラインコースを越え、学習者自身が独自のコースを作り上 げるという行動は、我々の調査でも共通してみられる学習者の行動である。 学習者は学習者なりの知的体系をimplicitに有しており、そこに必要な知識を 蓄えていると考えても良いかもしれない。教養とは、こうして学習者がどのよ うな独自の知的体系を持つかということを意味するようになってきている。

ここまで考えてくると、体系的な知識というものの意義が問われていることに 気づく。ヘーゲルでさえも個人的な知的体系の一つの表現に過ぎないのかもし れず、何よりも知的体系とは物事を整理し知のINDEXを作成する作業と見なせば、 知の体系はConcordanceと同様に、オンラインコースの中で無用の長物と化して しまうものなのかもしれないと考えることもできるのである。 知の体系は、断片的な知識へと溶解し、知の結合は検索エンジンを通じて実現 される、という謂わば知のアウトソーシングの徹底化が、オープンオンライン コースの下で進むことになる。

大学の解体

40年前の学生運動が掲げた大学解体は、今日では死語になってしまってい るが、Open Educationによって知の溶解が進み、教師の役割は、情報の伝達に 止まり、学習者が自身の知的なしかし極めて個人的な体系を構築して行くとい うプロセスが進行すれば、従来の大学のあり方は当然に大きく変貌する。 単なる知的な情報伝達に過ぎないような一般講義は意味を失い、体系的なカリキュラムもそ の意義を失ってしまう。

1970年代のベビーブームが終わった米国の大学存続の危 機を分析したMartin Trowは、大学の進学率が50\%を越えた状態をユニバーサル アクセスと呼んだ。その段階では大学のカリキュラムが崩壊すると予言したのだが、その本当の意味は今日の段階になって初めて明らかになったと言えなくも無い。 多くの教員が失業し、大学の多くが消滅する危機が目の前にある。 大学という従来の概念からは考えられない新たな世界がそこに広がることになる。

ガラパゴスの海を襲う黒船

私は、知的体系が溶解し高等教育機関のあり方が大きく変わるという点につい ては、憂慮していない。 digital nativeな世代にとって知的体系など意味が無 いと言うことを私は理解する。大学の解体も恐るるには足らない。必要な大学 だけが必要とされる姿で残るだけのことである。学習者にとってはむしろあり がたいだろう。

しかし、日本の高等教育機関の実情にはいささか憂慮する。日本語という非関税障壁の内側でガラパゴス日本は眠り続けている。大学の解 体などあり得ない、と誰もが信じて疑わない。それが今の日本の高等教育機関の 実情である。ガラパゴスの平和がいつまでも続くことを願いたいが、インターネットの下で は国境も言語も軽々と乗り越えられてしまう。その日が来たときに日本の高等 教育機関はどうなっているのだろうか。ここまで世界の動向に無感覚で無防備な日本の高等教育機 関の対応を見ていると、何の備えも無いままに黒船が来たときには、何もでき ないことだけは確かである。

西暦2000年問題の教訓

最後に、全くの余談になるが、私のOpen Educationへの憂慮は、十数年前に騒がれた 「西暦2000年問題」の時と似ていると思うこともある。まだ西暦2000年問題に人々が驚くほど無関心だった頃、学長に就任して間もな いS学長にこの問題を報告したことがある。当時の英国からのレポートでは、 西暦2000年問題で世界が崩壊するかのような記述になっていた。先生は一 笑に付されて「こんな事で世界は崩壊しないよ。」とおっしゃって、しかし、 その一方では何が起こりうるかについては継続的に私にレポートを求めたもの である。 私がS学長にご相談してから数年してから、ご承知の通り日本でも西暦2000 年問題は過剰なほど大騒ぎとなった。

もちろん、西暦2000年問題で世界は崩壊せず、むしろ、我々は、西暦2000年の 正月を静かに迎えることができたが、ただ、その蔭でプログラム上では数多く の小さな問題が発生した。我々も大学の中でその対応に追われることもあっ た。そうした対策があればこそ、エンドユーザはこの問題に気が付くことは無 かった。この西暦2000年問題で大騒ぎをした技術者たちの事を、私は苦い想い出として 持っている。彼らは技術者として十分一流だった。彼らの技術的予測が外れた ことなど滅多になかった。しかし、未経験の事態については、技術的予測は極 めて不確かなものになる。

私自身はといえば、これこそS先生とそのゼミに感謝しなければ行けないこ とであるが、私が多少なりとも社会科学的なセンスを身につけていたことが、 他の技術者にありがちな過剰な心配から私を救ってくれた。世界崩壊という大 げさな心配はしなかったが、しかし、一方、技術者としてのプログラミングの 知識から推論すれば、それなりの事故があってもおかしくは無いと思っていた。 結果としては最初の私の心配は、それでもいささかの杞憂だったかもしれない と思うことがある。

この時の最も優れた判断は、S学長の「何も起こりはしない」といいながら、 それなりの配慮も忘れなかった絶妙のバランス感覚だったとも思っている。そ のお陰で、大学での西暦2000年問題を極小化できたのである。

その反省に基づけば、Open Educationについても、大したことは起こらないと いう疑念が頭をよぎらぬでは無い。ただ、何もしなければ大きな付けがまわっ てくると言う教訓が、西暦2000年問題にはあることも忘れるべきでは無い。 また、今起こっている事象は技術的予測を求められているわけでは無く、努め て社会的な現象である。この点は西暦2000年問題とも異なっている。

今度も私の杞憂で済むのか、あるいは大変革の波がやってくるのか。私も間もなく現役を離れる。これから Open Educationが実際に何をもたらすか を私は興味深く眺めている。

(櫻井ゼミ同窓会誌『対話』第2号 2013年8月24日発行 所収)