Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

人生のために学ぶ


ラテン語の格言には、Non scholae sed vitae discimus.「学校のためにでは無く人生のために学ぶ」という一文がある。セネカの書簡集にあるNon vitae sed scholae discimus.「人生のためで無く学派のために学ぶ」という学者に対する皮肉な言い回しをひっくり返したものだ。non 〜 sedは英語のnot  〜 but のことだというお勉強もできる。これをさらに簡単にしたNon scholae, sed vita「学校のためで無く人生のために」というのもあって、ヨーロッパの大学なとにはこちらが掲げられることが多いようだ。*1これを今の大学の実情に合わせてもう少し意訳すれば「学位のためにでは無く人生のために学ぶ」となるだろう。

まあ、オリジナルのセネカの方がさすがに深いと思うが、Illichの脱学校化社会もこの精神の上にある。そしてその先にあるMOOCも。さらに今のxMOOCsの理念までそれは続いているのは、KollerのTEDでの講演を聴いていても明らかだ。


Daphne Koller: What we're learning from online education

新しい挑戦をするのであれば、卑近にならず高い理想を掲げて進まなければならない。現実はほど遠くても。

オープンエデュケーションは、学校を抜け出して人生のために提供される。

しかし、ヨーロッパの多くの大学自身が先のラテン語を掲額しているように、大学自身に求められている目標もまたそれと異ならない。にもかかわらず、改めてそれを言わなければならないという現実が今の大学には、あるように思われるし、日本の大学に至ってはなおさらそうである。

そういえば、この格言をGoogleで検索していたら、昨日話題にしたジョージタウン大学で歴史学を長年教えていた神父様の話に行き着いた。この神父様の強い影響を受けて自分も神父になったという話しなので、まさに人生のために学んだということなのだろうが、ジョージタウン大学の歴史と伝統を垣間見る話しだ。そのジョージタウン大学がEdXに踏み出すと決めるまで半年しかかかっていない。慨嘆してみてもはじまらないが、今の日本の大学事情は余りにほど遠く貧困だ。