Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

理論の行方

1月のブログにコメントを寄せていただいた方からご紹介ただいたリー・スモーリンの『迷走する物理学』はやはり色々と考えさせられる本である。

第一にこの本は超弦理論をわかりやすく教えてくれるという点で私はとても気に入っている。ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』も感心したし、ミチオ・カクの『パラレル・ワールド』も面白かったが、それらの類書とはまたちょっと違った理解のさせ方をしてくれる。私の場合、これらの三冊を読み合わせることで見えなかったものが見えてくるというおもしろさがそこに加わっているからかもしれない。例えば、M理論との出会いやその見方に対するミチオ・カクとスモーリンのとらえ方の違いなどは、2冊を読み比べた時に得られる醍醐味の一つである。

また、この本についての感想を述べている多くの方がブログなどで指摘されているように、この本のもう一つのテーマである、「超弦理論にあらずば人にあらず」といった理論物理学界の現在の実情も興味深いものがある。

1980年代には就職先もなく、人々から相手にされることもなく、ただ真理への探究の情熱から超弦理論に携わっていた研究者たちが、ある日突然脚光を浴び、一夜にして理論物理の王道に躍り出たのであれば、その後に来る反動は想像に難くはない。もはや大学の研究者になるためには超弦理論に与しなければならないという時代がやってくる。

私は、理論経済学の分野で同じような反動を見てきた。私の学生時代は、日本の理論経済学界は、マルクス経済学の黄金時代だった。難解な数学を使う新古典派理論の研究者たちは「鳩の豆鉄砲」と揶揄され肩身の狭い思いをしていた。ところが、ソ連が崩壊する前後から状態は逆転し、今ではマルクス経済学の牙城であるはずの経済理論学会でさえ「ポリティカル・エコノミー」というやや曖昧な表現がまず最初に使われるようになり、マルクス経済学の看板は2枚目に追いやられている。当然のことながらも個々のマルクス経済学の研究者が堂々とマルクス経済学者と名乗る機会も激減している。何よりもそうしなければ大学への新たな就職はまず絶望である。

ところが、そういう時代になってみると新古典派経済学は「何でも説明できる便利な道具を持っているが、何も予測できない」という閉塞状態に陥っているように思われる。20世紀の終わりから金融工学という極めて実際的な学問が台頭してブームとなったこともこの閉塞状態と関係があるのかもしれない。

超弦理論も隆盛を極めたとたん、超弦理論が予測し得なかった宇宙常数が正であるという発見に戸惑い閉塞感を強めているようであるが、理論経済学界を見ていると、数学との関係といい大学への就職の関係といい、何でも説明できるが何も予測できないという関係といい、どこか超弦理論と似ている。

奢れる平家は久しからずという、まるで「平家物語」の世界のようにも見えるが、では、超弦理論や新古典派を完全に打ち負かし新たなパラダイムが生まれるのかといえば、おそらくどちらにもその希望はまだ無いという点でも共通点があるのかもしれない。少なくとも経済学界は、これからしばらくは春秋戦国時代のようなまとまりのない時代が続きそうだと感じているが、スモーリンを読む限り、物理学の世界も同じような時代に突入してゆくように見える。スモーリンの提唱するパラダイムも、理論経済学界の状況からの類推を許していただければ、結局は群雄割拠の一つにしか私には見えない。

だれも覇者になれないとすれば、大学や研究機関という研究者の一番の就職先では、スモーリンがなんと言おうと、今の覇者がそのまま居座り続けるしかなさそうである。それがますます研究の閉塞感を助長することになるとしても。

「先の見えない時代」という表現は何十年も前から使われているが、それはどちらかと言えば社会的な動静に向けられる言葉であった。経済学や物理学の理論の世界においても遂にそのような時代を迎えつつあり、しかも10年や20年という短い時間ではそうした時代から抜けられないという状況に突入したのかもしれない。

迷走する物理学

迷走する物理学

  • 作者: リースモーリン,松浦俊輔
  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2007/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 1人 クリック: 47回
  • この商品を含むブログ (15件) を見る

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する


パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ

パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ