Seishi Ono's blog

Fugaces labuntur anni. 歳月人を待たず

医療とインターネット

あらかじめこのブログでもご案内をしておけば良かったのだが、以前触れたCAUA研究会シンポジウムが山梨で開かれた。テーマは「安心・安全の地域作り〜医療情報化が地域を救う!」である。

私は外野の参加だったが、今回はなかなか考えさせられるところがあった。

CAUA会長の麗澤大学林英輔先生は、以前に現在の医療のインターネット利用状況は90年代を思い出させるとおっしゃっていた。医療という人の命に直結する現場では、インターネット利用にはいろいろな強い制約があり、それはインターネットをたちあげる時に様々な規制に苦労した状況に似ているというのである。

結果として医療におけるインターネットは一見関心の低い分野になっている。そこのことを象徴するように今回のシンポジウムの参加者はちょっと寂しいものがあった。

しかし、これだけ医療従事者の不足が叫ばれている今日でインターネット利用は今後の医療のメインストリームに躍り出る可能性があるというのが林先生の考えであり、私もそれには同意する。そういう意味で今回のシンポジウムは重要な集まりだったように思う。

一方で、医療従事者の方の切実な感覚というものも今回は学ばせていただいたと感じている。山梨大学医学部の山縣然太朗先生は、遺伝子情報に対する個人情報保護の観点から医療の世界では、「知りたくない権利」というものが真剣に議論されはじめているということを指摘した。例えば、自分や親兄弟がハンチントン舞踏病に将来かかる可能性があるかどうかは、今の技術で遺伝子情報を調べればわかってしまう。しかしこの病気に治療法はなく、知ったところで病気を防ぐ手段はない。アルツハイマーなども事情はほぼ同じである。そういう情報については「知りたくないことは知らない権利」も必要だというのである。

インターネットには「知りたくない権利」はない。いりもしない電子メールでの広告や誤ったWeb上の情報などおかまいなしにやってくる。それでいいのか、少なくとも医療ではそんなものは使えないよ、というなかなか挑戦的な問いかけである。

ここで注意しなくてはいけないことは「知りたくない権利」を守るためには、その情報を適切に出したり隠したりする管理者がどこかにいなければならないということであろう。山縣先生はこれについて、遺伝子をはじめとする医療情報は「預ける」べきものか「管理する」べきものかという表現をしていたが、ちょっとわかりにくい気もする。

「預ける」とは情報を第三者に預けるけれども管理は自分でするという意味で、これは個人情報保護で言う自己コントロール権の事を指していると思われる。他方で「管理する」というのは、管理をお任せしてしまう、結果として「知りたくない権利」を守れるという意味だろうと私は解釈した。

インターネットの場合にはそもそも管理者がいないので「預ける」ことも「管理する」こともできない。これはインターネットの強みなのだとインターネットの関係者は信じてきたのであるが、医療から見ればそれは実は弱みでしかない。

医療とインターネットがうまく組み合わせることが難しい背景には医療従事者とインターネット技術者のこうした哲学的な背景に相違があるという山縣先生の指摘は大変鋭くまた考えさせられるものであった。

これに対する回答はもう少し考えてから作ってみたい。